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学生失格  作者: 利苗 誓
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第15話 努力家失格



 宮戸と紗子ちゃんとゲーム制作の話をしてから、ちょうど一週間が経った。


「おっ、いたいた宮戸ちゃ~ん」

「……」


 前回宮戸を誘った食堂に、俺は赴いていた。講義終わりに食堂に向かうというのなら、一般的に考えてそう行動に大差はないはずだ。講義が終われば食堂に行くというルーティーンを見抜けば、宮戸と邂逅するのもそう難しいことではない。食堂を毎回変えるような奴でもないだろうし。


「お久しぶり、宮戸ちゃん」

「……」

「お久しぶり、宮戸さん」

「図ったわね」

「いやいや、何も図ってないよ」


 宮戸は胡乱げな顔で俺を睨む。俺はあはは、と愛想笑いで返す。


「いやあ、偶然だね宮戸ちゃん、こんな所で会うなんて。今日は何しに食堂に?」

「あなたはご飯を食べる以外の目的が食堂にあるのかしら」

「いやあ、ほら、僕テニサーだからさ、ここの最上階に僕たちのサークルのたまり場があるんだよ」


 階上を指さす。宮戸は少し驚いた顔をした。


「上の階も食堂なのね。知らなかったわ」

「まあ普通に生活してたら行く機会あんまりないしね~。どう? 宮戸さんも今から僕の巣窟に行ってみない?」

「嫌よ。テニスサークルなのにどうして食堂にいるのよ」

「やだなあ、宮戸さん。テニスなんてやるわけないじゃないか。あくまでサークルを作る上での建前みたいなものだよ」

「それなら私はことさら嫌ね。何をしに行くか分からないわ」

「つれないなぁ~」


 宮戸の前でにこにことする。一挙手一投足、宮戸の動きはとても楚々として可憐だ。


「日頃何をしてるのかしら、あなたたちは」

「ん~、上でマイパイプ見たりトランプとかしたり雑談してるかなぁ~」

「どうしてテニスサークルと銘打っているのかしら?」

「さあ? 別に何でも良かったんだけどね。テニスサークルが本来は飲みサーだって固定観念があるからテニスサークルを装うのが一番効率が良いんじゃないかい? 僕は未だにルールすら知らないよ」

「へぇ」


 興味のなさそうな相槌。相も変わらず、宮戸は努力をしない人間に対して冷たい。


「何か……悪いのかい?」

「……べつに」


 宮戸と視線が交錯する。

 食堂の端。俺に興味を持たず、俺のしていることを何から何まで否定する宮戸。


「そうやって勝手に自分の人生を終わらせてると良いわ。精々あがきなさい」


 興味なさげに、俺を見ることもなく、言った。

 俺はそんな宮戸の言葉に、もう耐えられなくなっていた。俺のことを馬鹿にして見下して、客観的に見てるような口ぶりで俺を批判してくる宮戸に、耐えられなくなっていた。


「何か悪いのかい? 大学で何も努力しないで講義も代筆してもらって、遊んで遊んで遊んで遊んで、それが何か悪いのかい?」

「別にって言ってるでしょ」


 心に蓋をしていた黒い感情が段々と溢れそうになる。

 何度も何度も俺を批判してくる宮戸が、醜い。嫌になる。どうしてそんなに悪い風に言われなくちゃならないんだ。どうしてお前ごときが分かった様な顔をしてるんだ。お前は一体何様なんだよ。お前はそんなに大層な人物なのかよ。所詮お前が元から持ってるステータスだろうが。容姿の良さなんてお前が努力して獲得したものでもないだろうが。


「大学なんて皆そんなもんじゃないかい? どうせ皆努力もせずに遊んでる。人生の夏休みなんだから別に遊んだっていいじゃないか。勉強なんてしなくてもいいじゃないか」

「……」

「何かに向かって努力するなんて馬鹿げてるね。ちゃんちゃらおかしいよ。僕から見たら努力してる人間の方が馬鹿に見えて仕方ないね」


 宮戸が冷たい視線を俺に浴びせる。

 対照的に、俺は段々と舌が回って来る。


「努力して頑張って、そんなことをして一体何になるって言うんだい? 君は、君たちは人の上に立つような大層な人間なのかい? 頑張ったからって人の上に立てるような人間になるわけじゃないだろう? 努力したからってそれが報われるとは限らないだろう? どうせ今さら、何をやったって無駄じゃないかい? なんでそんな無駄な努力を重ねることを君は求めるのかさっぱり分からないよ。何者になれるわけでもないのに何を目指そうとしてるのかな、君たちは」

「……」


 ああ。うぜえ。


「滑稽なんだよ。叶いもしない夢を追ってる人間が」

「……」

「気持ち悪い」


 心の奥底から、そう思う。


「そう」


 宮戸はそう一言いうと、止めていた手を動かし、口に持っていく。

一口料理を口にすると、宮戸はこと、と箸を置いた。ごそごそと鞄の中をまさぐっている。


「持ちなさい」


 宮戸は紙とペンを俺の前に差し出した。


「……え?」

「描きなさい」

「何を?」

「何でもいいわ」

「い、嫌だよこんなところで。こんな人の目がある所で絵なんて描きたくないに決まってるじゃないか」


 文化祭の絵を見せた時の反応を思い出した。


「じゃあ分かったわ」

「え、ちょっ……」


 宮戸は俺の襟首を掴んだ。俺は宮戸の料理を持ち、連れ去られるようにして宮戸に引きずられた。


「ここならいいでしょ」

「はあ……」


 宮戸は食堂の中でも隅の隅、周りにちらほらとしか人が座っていないようなさもしいテーブルまで俺を連れて来た。確かに、ここなら人の目は届かないし、万一誰かがやって来てもすぐに隠せる。


「まあ別にいいけどさあ。でも描くものとかないしなあ」


 宮戸は俺の手から料理を奪い取り、テーブルに置いてまた食べ始めた。マイペースなやつだな。


「あ、そうだ。描くものもないし、じゃあ宮戸ちゃんでも描いちゃおっかな~? ほれほれ~。嘗め回すように見ちゃうぞ~」


 宮戸から貰ったシャーペンをちろちろと動かす。

 ああ。まただ。

 またやってしまった。こうやって茶化して自分のしていることを笑い種にしようとしてしまう。何かに本気になっていると思われたくなくて、自分は本気じゃないんだと思いたくて。何かに熱を入れるのが昔からいつも、ずっとずっと嫌いだった。期待されればされるほど笑い事にして誤魔化して、結局なかったことにしてしまう。

 本気になって何かをしたことなんて、一度もない。こうやって俺はいつもいつも逃げてばかりだ。

 流行りのダンスを踊ったあとに笑って誤魔化していた男女の姿が、頭にちらつく。

 あいつらも俺も、結局本気になるのが怖いんだ。自分のやってきたことと向き合うのが怖いんだ。別に本気でやっているわけじゃないよ、と、そんなポーズをとって、自分を守りたがる。


 本気になることなんて、ださいんだよ。


「好きにしなさい」

「……え?」 


 宮戸は、そう言った。


「いや、嘗め回すように見ちゃうぞぉ~。えっちな目で見ちゃうぞ~。ほらほら、宮戸ちゃんの豊満なお胸に目が吸い寄せられちゃってるぞ~」

「好きにしなさい。描いて」

「……」


 なんだよ。

 なんなんだよお前。お前は俺に逃げ道を与えない。逃げることを許さない。自分と向き合うことを強制する。

 気色悪い。


「本気で描くのよ」

「……うるさい」


 俺は宮戸を描き始めた。真剣に、俺の今持っている全ての技術を使用して、ゆっくりと、それでも確実に宮戸を描き始めた。


「……」


 手が震える。小刻みに揺れるせいで線が上手く引けない。緊張しているのか? 俺が? 何に?

 いつもの絵が描けない。線がぶれているせいでとてつもなく不格好に見える。


「ふう……今日は調子が悪いからまた次の機会にしようかな」

「今日描いて」


 宮戸は凛と俺を見据える。


「……分かったよ」


 俺は書き損じた紙をしまった。


「新しいのくれないかな」

「いいわよ」


 宮戸は新しい紙を俺に渡した。


「ふ~……」


 一度深呼吸をする。また、描き始めた。

 艶のある長髪。薄桃色の頬に、整った相貌。俺に宮戸の魅力を完全に引き出した絵なんて描けるのか? また手が震えだす。

 ああ。 

 なんだよ。なんなんだよこれ。なんでいつもみたいに絵が描けねえんだよ。こんなにか。こんなに人に見られてるのが嫌なのか? 何だ、何なんだよ、一体。

 線が引けない。人に見られていると絵が描けない人が有意にいることを思い出した。一体あれは何なんだろうか。


「自分の好きなように描きなさい」


 震える俺の手に、突如として宮戸の手が添えられた。驚愕。一瞬体が硬直する。


「……あ」


 反応が一瞬送れる。


「い、いやあ、宮戸ちゃんに手を握ってもらえるなんて光栄だなあ。僕も握り返していいかな?」

「その調子よ。私のことは気にせず描きなさい」


 少し緊張がほぐれた。もう一度深呼吸する。


「ふう」


 俺はまた紙と向き合った。宮戸の細部をよく見ながら、絵に落とし込んでいく。大丈夫。誰もいない。この場には俺と宮戸以外、誰もいない。俺の絵を馬鹿にする人間も、気持ち悪いと思う人間も、誰もいない。そう。俺は自由に絵を描いてるんだ。

 筆が動き始めた。思い通りに、およそあり得ない程に俺の頭に思い描いていたように描ける。楽しい。絵を描くのはこんなに楽しいことだっただろうか。

 宮戸を見る。絵を描く。宮戸を見る。絵を描く。宮戸を見る。絵を描く。それを繰り返す。

 気付けば、宮戸はとうの昔に食事を終えていた。それでも俺を待っている。待ってくれている。俺は宮戸の気持ちに応えたかった。




「出来た」

「……見せてちょうだい」


 俺は出来上がった絵を宮戸に見せた。


「よく出来てるわ」

「……そうかい」


 宮戸はゆっくりと、落ち着いた声音で言った。そして――


「じゃあ、これ破るわね」


 両手で紙の端と端を持った。瞬間。俺は宮戸の手首を掴んでいた。


「い、いやあ、宮戸ちゃんの可愛いお顔だし、さすがに破るのは気が引けるなあ」


 咄嗟に動いた俺の行動を正当化するため、俺は必死に理由を考えた。


「あら、どうしたのかしら。別に良いでしょう、こんなたかが一枚の絵くらい。あなただってどうとも思ってないでしょう? 私の絵を描かれて気持ち悪いと思ってたのよ」

「いやあ~」


 宮戸がまた紙の端と端に手をかける。


「止めろって」


 思ってもない言葉が、俺の口から出た。


「あら」


 宮戸が芝居がかった口調で、驚いた顔をする。


「こんな紙切れ一枚破くのも駄目なのかしら?」

「必死になって描いたんだから、別に破かなくたっていいんじゃないかい?」


 ほとんど嘆願だった。


「……」


 宮戸は絵を置いた。そしてファイルの中にしまった。


「ならこれは私が頂いておくわ」

「そうして欲しいね。破くにしても家でね」

「ふふ」


 妖しく笑う。


「あなたがやったことはあなたを裏切らないわ」

「……?」 


 宮戸は唐突に言った。


「あなたが頑張って獲得したものはあなたを裏切らない。あなたがやったことは決して人に嗤われるようなことなんかじゃあ、ないのよ。人に嗤われる前に自分で嗤って誤魔化そうとするのは弱い人間のすることよ」


 言葉を継ぐ。

 その通りだ。そうだ、人に嗤われる前に自分で嗤えば、おかしなことだろう、と自分も嗤う側のスタンスでいることが出来る。


「あなたは一体何に怯えているの?」


 宮戸はゆっくりと、小首をかしげた。

 手を見る。紙に接触していた部分が黒くなっている。いつぶりだろうか、この感覚は。


「夢に向かって頑張ることは決して愚かなことじゃあ、ないわよ」


 そうだ。その通りだ。


「そうだね」


 ああ。

 そうか。

 俺は努力をする人間が嫌いだった訳じゃないんだ。努力して夢を叶えようとしている人間が愚かしくて嫌いだった訳でも、嫌悪していたわけでもないんだ。

 俺は、自分の好きなことに嘘を吐いて、頑張ることを諦めた自分自身が、嫌いだったんだ。夢に向かって努力する人間を見るとそんな俺の不甲斐なさが、諦めた俺自身が、酷く惨めに見えて、暗鬱とした気持ちになる。そんな俺を思い出させるからこそ、俺は努力する人間が嫌いだった。

 遊ぶことで必死に隠してきた、蓋をしてきた俺の心をこじ開けられそうになるのが、怖かった。恐怖していた。俺は俺自身と向き合うことが、怖かったんだ。


 ぎゅっと拳を握る。


「僕は僕を否定しない」


 はっきりと、宮戸に向かって、そう言った。


「あらそう」

「そうだね」


 宮戸はどこ吹く風だ。


「まあ、精進しなさい。その足りない頭でね」

「つれないねぇ」


 宮戸と俺は、食堂を出た。俺はほんの少しだけ、自分に正直になれるような気がした。





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