第11話 ゲーム会議失格
「ここが部室よ」
「へ……へえ」
宮戸のいう部室は、驚く程――
「なんかちょっと意外なたたずまい……だねえ」
汚かった。
「今は誰もいないから自由に入ると良いわ」
「お邪魔しま~す」
宮戸の属している部活は文学ペンクラブ。テニスサークルの俺には全く縁もゆかりもない部活だ。こんな美人が入っていていいような部活じゃあない。
「あれ、これは何だい?」
「それは私たちが定期的に発行している雑誌ね。読みたいなら読めばいいわ」
「へぇ~」
粗雑な作りの雑誌を開けてみる。
「うわ……」
つい、声が漏れた。紙一枚に、びっしりと文字が書かれていた。いかにも根暗な人間が書いたという感じがして、気持ちが悪い。
「ここに宮戸さんのも載ってるんだ?」
「そうね」
宮戸は汚い部室を歩き回りながら何か探し物をしている。
「ペンネームは?」
「リン」
「へぇ~、格好良いね」
目次からリンというペンネームのものを探す。おそらくこういう雑誌が大学構内のどこかにも置いてあったんだろうけど、全く目につかなかった。というか初めて見たかもしれない。
「ところでリンちゃん、ここはいつも人がいないのかい?」
「……」
「ところでリンさん」
「……」
「ところで宮戸さん」
「何」
「ここはいつも人がいないのかい? 昼休み後なら誰かしら部室にいそうなものだけど」
少なくともテニスサークルなら、絶対に誰かいる。
「そうね……」
絞り出すように、言った。
「あまり力を入れて書いている人がいないからかしらね……」
誰に言っているかも分からないようなか細い声で、言った。あまり力を入れて書いている人がいないから。なんだ。結局そうなんじゃないか。結局お前らも楽して生きる道を選んでるんじゃないか。お前らが俺のことをどうこう言えるのかよ。
段々と、自分の奥底にある何かが冷えていく気分になる。
「……」
「……」
無言。
「そんな顔をしないでくれるかしら」
俺の顔を見た宮戸が、そう言った。出てた? 顔に? この俺が?
「ん? 何のことだい? そんな変な顔してたかい? 宮戸さんが美人すぎて表情が緩んでたかもしれないなあ」
「……」
茶化す。もしかして俺は今までも、ずっと表情に出ていたんだろうか。
「……私は頑張る人が好きよ」
「え?」
突然に宮戸は呟いた。
「無様になって、泥まみれになって、貶されて、軽蔑されて、弾かれて、それでも一生懸命頑張るような、そんな人間の生き方は美しいと思うわ」
「それは僕のことかい? いやあ、照れるなあ。良かったら付き合ってくれないかい?」
「はあ……」
再三にわたる溜め息。これは脈ありのサインじゃあ、なかったのか?
「少なくともあなたみたいに茶化してその場を乗り切ろうとするような人間には分からないかもしれないわね」
「……」
なんだか、宮戸の言葉にひどくイライラさせられる。こいつの言葉はいつも俺をイライラさせる。
「宮戸さん」
「あったわ」
同時に、宮戸が分厚い辞書のようなものを取り出した。
「なに?」
宮戸が俺と目を合わせる。
「いや……」
気勢が削がれた。
「部室掃除した方が良いよ」
「……そうね」
宮戸と俺は部室を後にした。
「やっほー、紗子ちゃん」
「あ、お疲れ様です生島さ……ん?」
「へぇ、この子ね」
俺は宮戸と共に、事前に呼んでいた紗子ちゃんの下へと向かった。いつもの通り、机を隔てて紗子ちゃんと対座する。
「じゃあ宮戸さん、座ると良いよ」
「そうさせてもらうわ」
当然ながら、宮戸は紗子ちゃんの隣に座った。
「よし、じゃあ取り敢えず紗子ちゃんパソコン出してくれないかな?」
「え、あ、は……はい」
宮戸の雰囲気に圧倒されていたのか、茫然自失としていた紗子ちゃんがパソコンをいそいそと出した。
「これがあなたの友達……かしら?」
「そうそう。だよね、紗子ちゃん?」
「え……あ、はい。えっと……」
紗子ちゃんは宮戸と俺とを交互に見た。
「そういえば自己紹介がまだだったね! 僕は二回生の生島昂輝。彼女は同じく同期で天才プログラマーの桐原紗子ちゃん」
「そ、そんな。滅相もないです」
慌てて手を振り、紗子ちゃんは俯いた。
「で、彼女も同期の宮戸凛。文芸ペンクラブの部員で、小説を書くことが趣味。今回はゲームのシナリオ作りに協力してもらえないかと声をかけた次第だよ」
「そんなことしてくれてたんですか? す、すみません、生島さん」
紗子ちゃんが肩をそびやかし、ぺこりと頭を下げる。
「いいいいよ、紗子ちゃん。僕は紗子ちゃんのゲームをすごく面白く感じたんだよ。僕が力を貸したいのは僕の意志だよ」
これは半分事実だが、半分嘘だ。事実、紗子ちゃんの作ったゲームはよく出来ていた。が、宮戸に下心があって、ゲーム制作を免罪符にこんな状況を作った。俺は紗子ちゃんを自分の目的の為に利用しただけだ。
「それに紗子ちゃん」
「はい?」
紗子ちゃんは小首をかしげる。
「そういう時はすみませんじゃないよ、ありがとう、だよ」
「……はい、ありとうございます」
紗子ちゃんは嬉しそうに笑った。こんな時間が永遠に続けばいい。
「じゃあ宮戸さん、自己紹介は以上だよ」
そう、と一言いうと宮戸は隣に座っている紗子ちゃんを見た。
「よろしく」
「あ、よろしくおねがいします」
ぺこぺこと頭を下げる紗子ちゃんと、天空海闊としている宮戸。中々対照的な二人だ。
「で、あなたがゲーム制作者の桐原さんね」
「は、はい」
「取り敢えずどういう物を作ったか見せて貰えないかしら?」
「は、はい」
ノートパソコンの電源をつけ、紗子ちゃんは両手を膝の上にちょこんと置いた。
もしかすると、紗子ちゃんと宮戸はあまり相性が良くないかもしれない。紗子ちゃんが委縮しているように見える。
「宮戸さん、あまり紗子ちゃんを怖がらせないでね」
「人を鬼みたいに言わないで。桐原さん、私とあなたは対等よ。そこまで慎ましくしなくてもいいわ」
「あ、はい、ありがとうございます」
と言うものの、やはり体の強張りが解けていない気がする。
「ん~、宮戸さん、やっぱり僕と場所変わろう。初対面で宮戸さんと隣同士は圧が強すぎるね」
「そう……別に私はそれでもいいけど」
宮戸は若干不服そうに、俺と席を変わった。
「やっほー、紗子ちゃん。まあ見知った顔じゃないとやり辛いかもしれないと思ってね」
「す、すいません」
ぺこぺこと謝る。
パソコンの電源が付いて暫く時間が経った。紗子ちゃんはスクリーン上のアイコンをクリックして、起動させ始めた。
「あ、あの、因みに何ですけど生島さんと宮戸……さんはどのようなご関係なんですか?」
俺は宮戸を見た。少し頓狂な顔をしていたかもしれない。
「単なる同期よ。同じ講義で席が隣になって話しかけて来たから話してあげてるだけ」
宮戸はつん、と突き放したように言う。
「そそ。コミュニケーション研修って講義で隣になって僕から話しかけたんだよ」
身振り手振りを交えながら隣の紗子ちゃんに教える。
「そ、そうなんですか……てっきり生島さんの彼女さんなのかと思ってました……。宮戸さん、随分とお綺麗ですし……」
「あり得ないわね。こんな下水道に生息してそうな人間と私が付き合っているわけないじゃない」
「ちょっとちょっと~、人をスライムみたいに~!」
対座している宮戸に突っ込みを入れる。
「まあでも確かに宮戸さんは美人だよね」
「黙って」
「はい」
紗子ちゃんが宮戸にも見えやすいようにノートパソコンの位置を調整する。
「桐原さんも嫌なら嫌って言った方が良いわよ。こんな何の能力もないような、下心だけで動いている人間と一緒にいると馬鹿になるわよ。もう少しあなたも人を選んだ方が良いわ。申し訳ないけれど、見る目がないとしか言いようがないわよ。生島くんも自覚してるようだしね。彼と付き合っていてもこの先あなたにいいことは一切ないわよ」
「な、そんなことないですっ!」
突然に、紗子ちゃんが激昂した。今まで聞いたことがないような紗子ちゃんの声量に、目を剥く。
「そんなことは、ないですっ! 生島さんはそんな人じゃない! 何も知らないのに勝手なこと言わないで下さい!」
重ねて、紗子ちゃんが畳みかける。聞いたこともないような語気で声を荒らげる。紗子ちゃん、君はこんなに声を出せる子だったのかい。
「さ、紗子ちゃん、ここは穏便に……」
「生島さんは私のないものを沢山持ってます! 絵だって私より何百倍も上手だし、宮戸さんだって私一人の力じゃ絶対来てなんてくれなかった! 生島さんは凄い人なんです!」
涙目でぷるぷると拳を震わせている。こんな紗子ちゃん見たことない。
「……」
「……」
「……」
宮戸を含め、俺も茫然とする。紗子ちゃんがこんなに語気を荒げて反論することなんて、一体誰が予想できただろうか。
「え……え~っと、い、いやあ、まさか僕がそこまで紗子ちゃんに買われてるなんて、知らなかったなあ。あ、あははは。でも宮戸さんもそこまで悪気があったわけじゃないと思うからさ、紗子ちゃん、一旦落ち着こ?」
俺は取りあえずこの場を押しとどめるため、紗子ちゃんをなだめる。
「あ、ご、ごめんなさい……」
紗子ちゃんを軽く叩くと、落ち着いた。暴れ牛みたいなやつだ。
「い、いえ、私も悪かったわ。確かにあなた以上に生島くんのことを知ってるわけじゃないわ。軽率なことを言って悪かったわ」
「い、いえ、す、すみませんカッとなっちゃって」
「私もよ」
「……」
「……」
嬉しくない沈黙。こんなの予想外すぎる。
「い、いやあまあ人間それぞれすれ違いもあるさ! じゃあ今作ってるゲームについて紗子ちゃん、教えてくれるかな?」
「あ、は、はい」
紗子ちゃんはゲームの画面を映した。
「今出来てるのはこれだけです」
そして次々と画面を映していった。出会い編だとか学園編だとか告白編だとか、それぞれのパートAだとかパートBだとかパートCだとかパートDだとかを順に映していった。
「取り敢えず分岐画面とメインのルートは作ったんですけど、その他がどうすればいいか分からなくて……」
「へえ、そうなの」
宮戸は言う。そういえば、宮戸はゲームの出来が悪ければ手伝ってはくれないと言っていた。果たして紗子ちゃんのゲームは一体どんなレベルなんだろう。
「一人で作ったのかしら?」
「は、はい」
「へえ」
宮戸がかちゃかちゃとマウスを動かして、ゲーム画面を見ていく。取り敢えずメインルートの絵だけは俺が描いたけど、他のルートは全く絵がない。どういう絵を描くかすら決まっていないんだから当たり前ではあるのだけれど。
「この絵は生島くんが描いたのかしら?」
「そうだよ」
「へえ……あなたにも特技があったのね」
「絵を描くことだけは昔から続けて来たからねえ」
惰性の延長線上ではあるのだけれど。
「綺麗な絵ね」
「え、あ、ありがとう」
返答に窮した。宮戸に褒められたのは初めてじゃないだろうか。正直驚いた。
「そうね。面白いかもしれないわね、こういうのも」
存外、好感触。
「あ、あの、私こういう恋愛の話は疎くて、その……あまり自分でシナリオとかは考えられなくて……」
「そう」
宮戸と紗子ちゃんが対峙する。
「なら自分のやりやすいゲームを作ったら良かったんじゃないかしら?」
「自分のやりたいことだけやってたら成長しないのかな、と思ったので……。一応勉強の意味も含めて挑戦してみました」
紗子ちゃんは、言う。
ああ。目の前の二人が、とても遠いように感じた。自分のやりたいことだけやってたら駄目なのかな。俺は、ずっと自分のやりたいことばかりやっている。自分のやりたいように遊んで、やりたくないことをずっと遠ざけて、遠ざけて遠ざけて遠ざけて、俺は結局何からも逃げてばかりだ。
「なるほど……」
宮戸は鞄からノートを取り出した。
「いいわ、なら手伝ってあげる。桐原さんも生島くんも、ちゃんとやるのよ?」
「は、はい! ありがとうございます!」
宮戸が助力を申し出た。
俺が話に傾聴できないうちに、二人の話は終わっていた。




