Thebes:「車窓」-第六回
セレクトリア王国領シュヴァイツ市
「槍の雨号」はこの街に数日停泊するらしい。
こうして各町々で数日ずつ過ごしたとしても
徒歩で北上するよりは随分早く到着すると言う。
何より安全だ。
線路の上はな?
しかしながら何だかきな臭い匂いがするじゃないか、この街。
"イカクサイバナナ"にゃ用はないんだけどな
ぷしゅう、と。
気の抜けるような音とともに、装甲客車「|雪国に降る雨《Lance the Rain》号」は停車した。
シルヴェリアを発って三日。
この巨大列車が停泊できる駅施設を備えた、最初の街であり、そしてここはもう、セレクトリア王国領。つまりは外国だ。
この国際鉄道の敷設実装とともに、近年急速な発展を遂げた、セレクトリア南端の街、シュヴァイツ。
この三日で山岳帯を越え、雪こそ見なくなったものの、外気のほどは未だ零下かどうか。という南方。
たん、たん、たん。と。
サイズ感の合わないステップの段差を降りる、狸帽の少女。
街に降り立った瞬間、街ではなく車両を振り返る。
相も変わらず、"勝手に開いて勝手に閉じる引き戸"に納得がいっていない様子。
「動力は魔石ね。人の接近を感知して開いて、そうでない時に閉じる様に魔術回路を組み込まれているわ。あ、走行中はロックされるわよ?」
いつの間に隣に立っていたのか、少し得意げに、桃髪の客室乗務員が説明する。
少女は特に驚いた風でもなく、真顔のまま桃髪を振り返った。
「"業務"は真面目にこなすんですね。……というか、停泊中は乗務員も自由に降車できるんですか?」
「もちろんよ。個人的な買い物とかもしたいし。アタシの場合はほら、"お仕事"もあるしね」
あっけらかんと、そんなことを言ってのける桃髪に
"本当、この列車の乗務員は皆こんななのか"
と、嘆息してみせる少女。
しばし沈黙の後。
「ねぇ、今は――」
『障るな、と、言っている』
「あ、ハイ」
明らかに少女のものでない声に、桃髪は目線を合わせないまま、冷や汗を一筋垂らして従った。
少女はまるで自分の背後にだれか立っているかのように、真横に視線を向けたかと思うと、特に言葉を発することなくその視線を戻す。
「ええと……どこまで行くつもりか知らないけど、稼ぎたいなら停泊中に"お仕事"もありなんじゃない? ……3泊後の朝までに戻ってなければ容赦なく発車するけどね」
「生憎と、何処かの誰かさんのおかげで、アホみたいに高価いチケットの半額分が返金されましたので」
ぐぬ。と口を噤む桃髪を尻目に、狸帽の少女は特に当てもなく、街へと繰り出すのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
煉瓦造りの街並み。
ほぼすべてに煙突が見える。
シルヴェリアほどではないにしろ、此処も十二分な寒地。暖炉の類は必須だろう。
しかしながら狸帽の少女は思う。あのクソ忌々しい雪という奴がないだけで、街並みとはこうも過ごしやすいものか。
羽織っている毛皮の外套はまだ手放せまい。だが、とても歩きやすい。
ひとつ。鬱積がないだけで、それなりに気分は良いものだ。
駅前通りを越え、宿場街へ。
通りへ入ると、付近の孤児院の者と思しき子供たちが、簡素な籠を大事そうに抱えながら布施を募って回る。
なるほど、宿場街であれば、行きかう層は旅人がほとんど。
"孤児院"と言うだけでそれは無条件に庇護欲を掻き立てるだろうか。
指示したであろう院長は余程評判に自信がないと見える。何しろそれは、市民から募る事を諦めた結果であるが故。
当てのない散策に足の疲れを覚え始めたころ、一軒の酒場が目に留まる。
酒場という体に反して、漏れ聞こえる声からは、こんな朝からそこそこの客入り。店内はそこそこ暖かそうではあるが、しかし狸帽の少女は酒を嗜まぬ。
店先で少しだけ困ったように眉を寄せ、しかしながら少女はそのままドアノブに手をかけた。
からり。
木管のドアベルが軽い音を立て。
店内の客が新たな客の来報に、ちらり、と視線をやると。
しかしながらそこに予想した顔はなく、ひとしきり首をかしげるだの眉をよせるだのしたあと、視線を巡らせば。
其れは予想のはるか下。身の丈は150にも満たないだろう。歳の割には冷めた顔をした少女の姿がそこに在った。
店内は青に橙。寒々しさの中に慎ましやかな暖。といった体の、場末とは言わないまでの一般向けのバー。
グラスが滑って現れるような磨かれたカウンターは無いが、そこそこの着こなし、立ち振る舞いのバーテンダーはマスターだろうか。
朝から酔客と思しき、一人、二人、三人。
ある者は顔をしかめ。
ある者は企み顔で口笛を吹き。
ある者は興味もなさそうに視線を戻した。
きっと間違って入ってきてしまった旅行者の子供だろう。
大方がそう思ったが、次の瞬間少女が迷いない足取りでカウンターへ向かうのを見て、三様の反応を繰り返した。
少し足が届かない椅子に、実に座りにくそうに狸帽の少女が腰かける。
マスターですら顔をしかめた。
「帰んな。何を勘違いしてるかわからんが、ここには嬢ちゃんの──」
「メニューを」
実に子供らしくない。
可愛げもへったくれもない。
少女の有無をも言わせぬ物言いに、マスターの中年は頬をヒクつかせ、次いで大きくため息をついた。
間を置いて、少女の前に年季の入った冊子が置かれる。
しばらく冊子に見入っていた少女だが、徐に
「司教の懐酒の26年物。ダブルで」
そう一言言い放つ。
彼女がそう言った瞬間、にわかに店内がどよめいた。
年の頃はどう見ても15に届くまい。若いと言うよりは、幼いと言った方に是が傾くだろう少女。
彼女の要求した司教の懐酒は玉蜀黍の蒸留酒の高級酒だ。26年物ともなればグラスで銀貨を要求されかねない。
「──金は有るんだろうな」
「ではこれで」
今日何度目かの溜息の後、マスターが言葉を絞り出してみれば。
こともなげに、少女。
カウンターに先払いで置かれたのはセレクトリア王国正式流通銀貨3枚。
価値を示すのであれば、安いライのパンかあるいは馬鈴薯のグリルであれば100食分になろうかという額。
「嬢ちゃん、あんた何者……いや、よそう。うちで最高の蒸留酒だ。良く味わってくれ」
コトリ、と少女の前に良く磨かれたグラスが置かれ、目の前でボトルから琥珀の液体が注がれる。
とろりと。蜜ほどの粘度でないにしろ、ただ液体と言い伏すには表しがたい滑らかさを伴った、鈍く、輝く琥珀。
度数の高さを伺わせるヨードの煙りがふわりと漂う。
マスターがボトルを下げるのを待って、少女がグラスに手を伸ばせば。
嗚呼。
それを横から攫う、手。
Thebes:「車窓」エピソード
第6回
キャスト
狸帽の少女 ルコ・クロケット
桃髪の客室乗務員 ヴィアーネ・ティセール
布施を募る孤児 マリエル
布施を募る孤児 ラヴィク
布施を募る孤児 トマシュ
バーマスター アクセル・バークボルト
顔をしかめた酔客 ヨヴァン・スエーデ
企み顔の酔客 ナルカス・タルカ
我関せずの酔客 リトア・ディフェンド
語り手 オレ
バナナはない。
バナナは無いが、酒はあったな。
この酒という奴は悪くない。
中でもあの穀物を蒸留した奴はなかなか良い。
美味いものを目の前にしてわざわざ食らわずに待つ等
ニンゲンは中々素っ頓狂なことを思いつくよな。
しかしながらこの酒という奴は良いぞ。
だが醸造26年だと言うこれが、相当な年代物で
古酒とも呼べる代物なのだとか。
たかだか26年でか? もっと待てんか。ニンゲン。
──いや、ここは訂正しておこう。オレも待てぬ。
……何だこの手は?