Thebes:「車窓」-第一回
年中豪雪。
国境の山岳を境に国家全体が雪国。
シルヴェリア自治領。
そんな中でも室内ともなればそれなりに暖かく、バナナで釘を打ったら飛び散って大変だろう。お勧めしない。
装甲客車「雪国に降る雨」
母を看取り。埋葬し。別れを告げ。
家財を売り払い。家を引き払い。そうして得たなけなしの財で、少女は乗車券を買った。
シルヴェリア自治領ランス市
もう、ここに未練はない。
帰る理由も、ない。
搭乗前に小高い丘の上の駅から、街を振り返る。
つまらない街だ。
何がある。雪しかない。
もう、雪しかない。
物の数秒も眺めたろうか。
狸帽の少女は踵を返し、客車の搭乗口へと足をかける。
これからコレに乗って、北へ。
唯一寄る辺で在った母の最期に居合わせなかった、放蕩親父を探して。会ったらまずぶん殴ると決めて。
少女は年の頃十五に満たない若さ──幼さ、と言い直そうか。そんな風貌で。
しかしながら故郷を捨てて、一人旅路へ。
気鳴りの様な、勢いよく空気の漏れる音とともに、横開きの鉄戸がひとりでに横にずれて開く。
面妖な。そういう付与魔術だろうか。
しかしながら搭乗口で立ち止まるわけにもいかない。狸帽の少女は多分に気を引かれながらも、客車内へと進む。
暖かい。
こんな客車ひとつひとつに専用の暖炉でもあるのだろうか。
とにかく理由はわからないが暖かい。
この雪国、シルヴェリアにおいて不自然なほどに。
搭乗口に引き続き、その仕組みに多分に首をかしげながらも、狸帽の少女は乗車券に書かれた部屋番号を頼りに、客車内の通用路を進む。
しかしながら暖かすぎる。
どういう理屈かわからないが外着のままでは汗ばむほどで、狸帽の少女は仕方なく毛皮の外套の前を開け、背中へ撥ねた。
露になるのはそれなりに厚手の長袖の上着と、下はどういうわけかミニスカート。
ミニスカートってのはあれだ。普通は雪国では穿かない。下にタイツでも穿いているのかと思えば、この年頃の少女らしい白く、華奢な素足。
羽織に毛皮の外套、耳当てのないウシャンカの様な短い円筒形の帽子に狸尾の飾り。少女の外着と中着はひどくアンバランスだった。
途中、キャビンアテンダントと思しき職員を見つけ、乗車券を示しながら客室の位置を問う。
振り返ったくせ毛の栗髪、制服を脂肪で膨らませた小太りの男。
そこはかとはなしに醜悪なそれは、狸帽の少女を見るなり方眉を吊り上げた。
「なんだい、お嬢ちゃん。親御さんとはぐれてしまったのかな? ボクが一緒に探してあげようか」
列車として巨大とはいえ、それなりに狭い客車内の通用路。その横幅の大半を埋めんばかりの肥満。
本人は優し気な、にこやかな顔のつもり。いやもう何ならどう繕っても"気色悪い"といった実際。
そんな顔を少女はというと無表情に見上げ、かるく、首をかしげるような仕草。
こて、と小首をかしげる姿は不愛想さを圧してなお、そこそこに愛らしい。
その口が開きかけ。
『おい豚野郎。その醜い姿を可能な限り遠ざけろ。わかったらさっさと客室の場所を言え。余計な真似をするな、殺すぞ』
事実。いや、揺るぎない事実であるとはいえ、あまりにもあんまりな言い草に、栗毛の小太りがぎょっとして目を見開く。
しかしながら、一拍置いて、小太りが冷静さを取り戻してみれば、その声は目の前の少女が喋ったにしてはあまりに低く、太い。思い返してみても成人男性の其れだ。
見れば少女も少女とて、感情の起伏が読みづらいながらも、僅かに驚いたような表情で小太りを見上げている。
第三者でもいたのかと、小太りは後ろを振り返るが、それらしい姿は無い。
いったい誰が喋ったのか。
此処には小太りと少女しかいない。
では少女が言ったのだろうか。
「あの」
小太りが困惑していると、目の前の少女が少しバツの悪そうな顔をしながら、口を開く。
「前方の車両か後部か、だけでも教えていただけませんか。客室番号は34です」
狸帽の少女の声は年相応、性別相応であった。
では先程の言葉は誰のものか。
いよいよ戸惑って、余裕を失くした小太りは、言葉もなく車両の後部を指さした。
小太りから逃げる様に、少し小走りに。
狸帽の少女は車両間をそそくさと移動して。ひとつ後ろの車両内で引き戸が閉まる音を聞くと、一度だけ小太りを振り返った。
よし、もう見えない。
とでも言いたげに、溜息をついてから歩き出す。
乗車券の入ったパスケース。そこに書かれた客室番号と、頭上に見える部屋番号とを見比べながら長大な客車を後部へ向かって進んでゆく。
途中、食堂車両を通過した。ラウンジバーの様な体を成したそれは、全幅5メートルほどもあるこの列車ならではの構図ともいえよう。
酒か。
走行中に酒にありつけるのは結構なことだ。狸帽の少女は喜ばないだろうが。
食事が供されるのであれば、それには諸手を挙げて歓喜することだろう。
あとで絶対来よう。
とでも言いたげに、拳を握り締めてちらり、と、食堂車を振り返る。
多分に後ろ髪惹かれるようなニュアンスを含んだまま、再びパスケースに目を落として車両後方へ。
指定の個室が見つからないまま、何車両移動したか。
途中、通りかかりにまた、キャビンアテンダントと思しき職員に声をかける。
目に痛いほどの桃髪。
桃髪だ。ピンク。そんなの染色もなしにあり得るのだろうか。
ぎょっとした、というか、上手くその顔が出来ず、眉を寄せたまま目を見開いたような、少女の顔。
「あら、お嬢さん。何か御用かしら。親御さんとはぐれちゃった?」
定型文でも決まっているのか、先ほどの職員と似たようなセリフを吐くその女性に、狸帽の少女は表情そのままに、いよいよ口をへの字に曲げ。
「子供扱いはやめてくれませんか。……シルヴェリア人で10を過ぎれば、一人で食いぶちを稼ぐことも珍しくありません」
桃髪の女性は年の頃二十歳過ぎといったところ。女性にしてはやや長身で、細身ながら出るところは出ているグラマラス。紺の制服にタイトスカートが良く似合っており、密着する布地がボディラインを強く強調する。無論、この車両の中に居るからこその格好で、このシルヴェリアにおいて突拍子もない恰好ともいえるが。
比較して。
少女はようやく性差も体に見え始めたかという年の頃。
まぁ"子供"と捉えられるのも無理からぬところ。
こんな感想など、面と向かって言えば少女は怒り出すかもしれないが。
しかしながら狸帽の少女の言に桃髪の女性職員は、一瞬キョトンと、僅かに驚きの表情を浮かべたかと思うと、すぐに微笑んで。
「あら、失礼しました。お客様。ご用件を伺います」
抗議に、背筋を正すと言うわけではないにしろ、物腰の柔らかな対応。
どうやら先ほどの栗デb──小太りとは違うようだ。と、少女は安堵の息をつき、パスケースを示しながら、先ほど同様に部屋の場所を問う。
少女のパスケースを覗き込んだ女性職員はふと、怪訝な表情を見せる。
その顔がこれまた気になって、しかしながら狸帽の少女は無表情に軽く首をかしげるのみ。
女性職員は表情の理由を問いただされたわけでもなく、反応に困って。
しばし少女と見つめ合って、やがて根負けした様に呟いた。
「ごめんなさい。──なんて読むのかな、と」
「名前、ですか」
パスは現在、高額商品だ。盗難防止のため、個人情報も一部記載されている。
自分の名前の読みにくさに自覚でもあったのか、少女はそう聞き返す。
「え、ええ」
「……クロケットです」
「え、でも」
なんだかやりにくい子供だな。
桃髪の女性職員の表情からはそんな感想が伺える、が。
"Lco Clockcat"
ルコ……はわかる。しかし"クロケット"とは、シルヴェリアではよくある料理──マッシュした馬鈴薯の揚げ物の事だったはずだ。
これではまるで──
「時計猫……ですか?」
スペルとしてはそう読める。
桃髪の女性職員はいまいち納得しきれないような表情。
「──それで、ルコ・クロケット。です。別にどうだっていいじゃないですか、そんなこと」
やや憮然と。
口を引き結ぶ狸帽の少女に、桃髪の職員ははっとした様に。今度こそ姿勢を正して。
「これはとんだ無礼を。大変失礼しました。私は客室乗務員のヴィアーネ・ティセールと申します」
ひとに名前を出させておいて、フェアではないとばかりに、桃髪の女性は名乗った。
少女は先ほど見せたような顔──眉を寄せて黙って目を見開くような反応。
不躾だが対応は誠実なんでまるっきり嫌えない。
そんな葛藤がその顔から読み取れた。
やがて狸帽の少女がため息をついて
「こちらこそ、態度悪くてすみません。あの、ついででってのもなんですけど、部屋までの案内をお願いしても良いですか?」
「かしこまりました」
桃髪の女性はにっこりと微笑んで、一礼した。
Thebes:「車窓」エピソード
第1回
キャスト
狸帽の少女 ルコ・クロケット
栗髪の客室乗務員 クリストファー・フォルケッペンネン
桃髪の客室乗務員 ヴィアーネ・ティセール
語り手 "オレ"
いやだからお前は誰だ……って?
"オレ"が誰かなんて、そんなのどうでもいいじゃないか。
ところで雪国だからって暖かい室内で
バナナで釘を打ったら飛び散って大変だろうなー
って思うじゃん?
実際にはバナナ側に釘が刺さるだけで飛び散りすらしない。
まったくもってくそつまらない。
お勧めしない。