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帰るさや

作者: 花屋

 その日の学業を終え、帰りの路線バスから飴色の町並みを眺めていたときのことです。

 車内は吊革が埋まる程度に混雑しており、働き盛りと勉強盛りが大半を占めていました。部材が軋むほどの若々しさと騒々しさ。それらを身一つで制御する運転手には毎度頭が上がらない思いになります。ここが自由の国で、わたしが稼ぐ大人なら快くチップをはずんでいたことでしょう。

 わたしと隣の同級生は始発点乗車なこともあり最後列の座席を確保することができ、優等生なりに教科書を読み返したり沈思黙考したりしていました。後列は人の行き来が少なく、座席が高く設置されているため背の低いわたしが景色を眺めるに適したお気に入りの場所です。座席の真下には駆動系の機械が集中しているらしく、冬は暖房器具として、夏は冷房で体を冷やさないように対策できる女性に都合のいい構造となっています。占領の成否は一日の総評に花を添えるか毒を垂らすかといところまで重大性を帯びるようになりました。


 半路を経たあたりの停留所で、わたしは珍しいものを見ました。一時停車したバスに乗り込んできたのは、齢九十にもなりそうなご年配の方でした。夕暮れ時、それも住宅地を終始行路とするバスに住宅地の只中から途中乗車してくるような方を、わたしは親戚に作物を届けに来る優しい農夫くらいしか知りません。

 心配で目が離せないほどゆったりとした乗車。隣の同級生も老人の動きに注目していたらしく、

「よっ……こいせぇ……、とぼ、とぼ、とぼ、ごめんなさいねぇ、あでででででで」

 わたしに聞かせるような小声で、柄にもなく老人を茶化したのです。人というもの刺激や変化に飢えると何にでも食いつくのだなと、結婚十年目の夫婦よろしく冷ややかな目であしらいます。

 車内は生憎の混み模様でしたが、一人の働き盛りが老人に席を譲りました。疲労困憊必至の金曜日でも貫く善意、そして着席を確認してから発進させる運転手の気配りに、わたしは心に熱いものを感じていました。


 バスが団地の停留所を経由したとき、わたしは珍しいものを見ました。大勢の降車客との入れ代わりで乗り込んできたのは、腹を異様に膨らませた妊娠末期の主婦でした。今どき、それも頭から爪先までマタニティーグッズで固めた妊婦を、わたしは今まで見たことがありません。

 というもの、近年では妊娠中期の段階で母体から胎児を取り出し、培養カプセルで幼体まで育てる公共サービスが普及、主流化しているのです。直立二足歩行という他の種にない歩行様式の人間は骨盤底が発達するなど出産に困難な進化を遂げており、スタンダードな経膣分娩は想像を絶する激痛を伴うと聞きます。他にも胎児への負担や流産のリスクなど、それらの軽減を無料で受けられるとなれば普及は必然と言えるでしょう。妊娠期間の半減は働き手の確保が難しくなった会社側にも利をもたらしますから、むしろ義務だという社会の風潮さえ現れ始めているそうです。

 人口減少と、拍車のかかる経済至上主義社会。渇きと機械化の最中に見る妊婦の曲線は、信仰の絶えた世界に降り立つ場違いなユーノー神(結婚と妊娠を司る神)を思わせます。車内に散る心ない乗客からの蔑視と陰口。加えて生憎の混み模様でしたが、一人の働き盛りが席を譲りました。社会の理念に囚われず人間の本来の姿を尊重する姿勢、そして乗客を平等に扱い静かに発進させる運転手のポリシーに、わたしは聖水で心を洗われるような気分になりました。


 バスが緑地公園の停留所に差し掛かったとき、わたしは珍しいものを見ました。バタバタと乗り込んできた男児が背負っているリュックに、土まみれの野球バットが刺さっていたのです。社会の低年齢化が進む時代、それも競技人口減少に伴い地上波中継が絶滅しマイナースポーツと成り下がった野球のプレイヤーを、わたしは今日の今日まで見たことがありませんでした。

 マイナー化の原因として、前述した理由もさることながら、球技に用いる広大な広場の減少、世界的スポーツ大会の実施競技からの完全除外も挙げられます。当時、まともなプロ野球組織を有する国は世界に数えるほどしかなく、委員会本部のあるヨーロッパ圏に浸透していないことも相まっての宿命と言えるでしょう。硬く重い球やバットを扱うなど危険性も高く、人体への負担も大きいことからシニア受けもせず廃れてしまった。お家芸とまで謳われていただけに、なんとも気の毒な話です。

 この野球少年も、世情に追いやられ学べだ稼げだとつつかれてきたことでしょう。車内の働き盛りたちも、働かざるもの座るべからずとでも言いたげなオーラを放って少年を寄せつけません。さすがの運転手もやむを得ず発車のコールをした、その直後のことでした。隣の友人が大胆に手を振り上げ「こっち」と少年を招いたのです。わたしたちが席を詰めてやれば小人一人くらいのスペースを確保できると考えたのでしょうけれど、断りもなく勝手にそんなことをされると極度の人見知り体質であるわたしに相当な負担がかかるということを友人は覚えていない、あるいは気にかけていないみたいでした。

 見ず知らずの異性に声をかけられ戸惑う少年でしたが、発車までの猶予もなくなり滑り込むようにして席に座りました。わたしと友人の馴れ初めもこんな感じだったなと入園初日を懐かしみ、誰に対しても厚情で友好的な友人を栄誉に感じるのと同時に、安全を確認して発進させる運転手への賞賛もわたしは欠かしません。


 バスが郊外の中流住宅街で停車したとき、わたしは珍しいものを見ました。新雪の化身、絶やさない微笑、太らせた狼みたいなフォルムはまさしくサモエドという犬種のものです。今の季節、それも指先から汗を吹き出すくらい暑苦しそうな多毛でも笑顔を貫く狂気の生物を、わたしは乳児期に見た“もっぷちゃん”しか知りません。

 このサモエド。整った耳や鼻、サイズや毛色、温厚そうなたれ目と実際に温厚な性格の何から何まで魅力的で、常に笑っているような口元はサモエドスマイルと称され親しまれています。日本では小型の改良型が二十世紀中期に爆発的な人気を博しましたが、鎖に繋げて外で飼うという当時のスタイルは神経質な性格との相性が悪く下火となり、後期には国内の飼育数が千匹を下回っていたそうです。しかし近年になると品種改良が進み、おおらかで無駄吠えをせず育てやすい中型の流通、特に地球寒冷化や景気好況を背景とした中流層への販売戦略が的中し、冬には特集記事や放送が組まれるなど独特な人気を得るようになりました。雪原を狂ったように駆け回る保護色達磨は冬の名物となり、わたしも一歳に満たない頃に背中に乗せてもらったことがあるため思い出深い生物です。

 記憶の片隅のもっぷちゃんとは違い、単身で乗り込んできたその固体は掃除用具の名が付かなさそうな純白でエレガントな毛色をしています。さぞかし上品な立ち振舞いをするのだろうと眺めていると、サモエドは中扉から乗車するや否や正面の働き盛りに飛びかかり、前足でつつくなどして場所を変われと乱暴に訴え始めました。終点が近づき乗客もまばらになり、座席には困らないはずですが、それでも乗客に対する殴る蹴る低く吠えるの暴行は止まりません。

 このサモエド。寒冷地に適した体質のためか熱に弱く、夏の暑い時期にはそれこそモップのようにくたくたになって寝そべるそうです。ブラッシングで冬毛を取り除き、水浴びでもさせないと食事すら拒む始末。室内飼育が基本で冷房器具必須という、住む世帯を選ぶペットでもあります。

 そしてバス中腹ですが、後列と比べて床が低いため涼しい空気が溜まりやすく、前列と比べて直射日光が当たりづらく熱されにくいため、働き盛り界隈では屈指の避暑地として知られています。純白サモエドもそれをよく理解しているのでしょう。冷房ファン真下の座席を奪還せんとし、水場を求める魚みたいに暴れ回っています。胃が熱々の焼き芋になったみたいにハフハフと息巻いています。

 このサモエド。首輪に定期券を携えているだけで、リールもなければ取り押さえてくれそうな飼い主の姿もありません。働き盛りはされるがままに蹂躙され、ついに「参った、参った」と音を上げて席を譲りました。ファンの角度を調節してやり、対価として半ば強引に頭を撫でさせてもらい、すぐ近くの空席に座って運転手にゴーサインを送ります。運転手もまた、困ったような笑みを湛えながらも速やかに発車の合図を飛ばします。

 車内で一番熱い場所から、今日も発車の合図を飛ばします。



 深夜。

 幅広い地域を担当する国内有数のバス営業所。その日の運行を終えた路線バスの格納風景をよそに、一足早く退勤する二人の壮年の男が言葉を交わしていた。

「ああそう。今日ねえ、チップ貰ったのよ。お客さんから」

 得意満面な笑みと、取り出される蛇腹状の紙幣。その男は飲み物を奢ってやると偉ぶり、付近の自動販売機を示した。

「学生でもないんだなあこれが。切れ込みが入った園帽見たことあるだろう? そう都心の。そう、そのまさかだよ。幼稚園児から貰ったんだ」

 男は多種多様な陳列品のなかから奇抜な飲料水を選ぶ。付き添いの男もまた、駄菓子屋で見かけそうなネオンカラーの飲料水を選ぶ。

「そこが有名な教育財団付属の幼稚園らしくて、英才教育を受けたんだろうが異常なくらい早熟(マセ)ててさ。いや、もっと早いよ。あそこは産まれて何週間かで入園検定を受けさせるレベルらしい。卒園試験なんてのもあって、何種類もの言語を学ばされるとか、読書の時間に研究論文読まされるとか」

 男は談話ついでに臨時収入を使い切ろうと言い出した。最寄りのレストランで安価かつ腹の膨れる料理をそれなりに注文し、それなりに響く声で会話を続ける。

「それはもう、人形かってくらいかわいかったよ。健康的で律儀で、学費だけじゃなく美容にも金がかかってるんだろうね。間違いなく美人になるってのが俺でも分かる。それにつけて頭も良いとなるとね。もう反則だよな」

 言葉を重ね、料理を口に運ぶほどに語気を強める男。生まれた環境の違いを妬むような発言をし、三十手前にもなって配偶者のいない自身の境遇を嘲り、ついには普段なら絶対に口にしないような悪態をつき始めた。

「年相応が一番可愛いんだよ。ちびっこは絵でも描いてりゃそれでいいんだよ。なんだよチップって。俺が貧相だからって哀れんでんのか。賢いからってイキがってんだろ。嬉しくねえよ、こんなもん寄越しやがって。んなあ、腹立つ」

 男は心底悔しそうに、厚切りのハンバーグを口に含む。



 十年後。

 男の結婚事情は現在、当時幼稚園児だった(くだん)の女と婚約直前というところまで進展していた。双方の両親は猛反対。中年の仲間入りを果たした男も二回りの年齢差は非現実的だと親に同調するようになり。若くして学士号(薬学)を取得した女はその日ついに、あろうことか強行手段に打って出た。


 チップの出来事からしばらく、ごっこ遊び名目でやり取りは続いていた。小銭、折り紙、手芸品とバラエティに富み、和歌を綴り始めた頃から本格的なモーションを示すようになった。


《おほき背の 俥夫におぶわれ 人とおよすく》

《帰るさや 見る目おぼなり 壮丁の あはきゑまひに わがみこがるる》


 大袈裟な贈り物はなく、どれもこれも一粒の金平糖のようにささやかだった。男は餌付けされる雀のように少しずつ距離を縮めていき、欠かさず謝辞を述べるようになり、やがて別れ際に手を振り合うほどの仲になった。お世辞にも上手とは言えない折り鶴で返礼してみたり、ほかの場所で彼女のことを悪く言えなくなった。

 友人の前で口を滑らせたことがあり、少女愛者の変態だと罵られた男は翌日以降、園児への態度を大きく改めた。チップを貰っても会釈だけで済ませ、あからさまに話しかけられても軽くあしらうようになった。


《最近 反応が悪くて寂しいです》

《迷惑ですか 飽きましたか》


 それがごっこ遊びなどではなく、本当に好意を寄せられていると悟ったとき、男は体調を崩すほどの胸騒ぎに駆られた。異性に好かれていることに小躍りする反面、妙な性癖をこじらせてしまった彼女の将来を心配し、自分から身を引くべきではと担当路線の変更を検討するようになった。その当時、園児だった彼女は付属校への内部進学を果たし、登校先が変わらなかったこともあり変わらず顔を合わせ続けていた。チップの関係も一年近く続いていた。


《敬愛なる×××××様へ》


 そんな書き出しのラブレターを手渡されたのは、担当変更の話を切り出した直後だった。

 誠実な姿勢に心を打たれた。心から愛して止まない。このまま乗客と運転手の関係が続き、わたしが結婚適齢期を迎えたとき告白を受けてほしい。

 あなたに素敵な人ができ、結ばれる日が来るかもしれないけれど、それを咎めることはありません。わたしの気が変わり、ひっそりと姿を消す日が来るかもしれないけれど、今の気持ちだけは本物です。

 そのような内容だった。


 月日が流れ、季節が移ろい、九年が経過しても、男は未婚のままバスの運転手を続けていた。女性は同年春に薬科大学を卒業、学士号を取得し、研究所への就職後も変わらず乗客を続けていた。

 男女共に、転勤、転校、予期せぬ恋愛沙汰などの危局を回避し約束を守り抜いてきた。相思相愛。会うだけで運気が上がり、言葉を交わす毎に骨が抜けていく。女が結婚適齢期を迎えた日に晴れて恋人同士となり、丸一日かけて一通りの初体験を網羅した。

 隔てる障壁などないかに思われたが、両親を始めとする周囲の人間が二人の交際を許さなかった。両親への度重なる説得も徒労に終わり、男が弱気な発言をするようになった夏の暮れ。

 女は強行手段に打って出た。

 長年の成果、アサガオの種を用いた洗脳薬の投与を試みたのだ。



「ーーもういいだろう、こんなこと知られたら怒られる」

「いいの。はい、あーん」

 自宅デートの夕食時、女は自作の薬品入りハンバーグを男に与え、


「ーーわかってくれないのね」

「なにも平凡な男と付き合うことはないだろう」

 実の両親に会い、説得が通じないと見切りをつけては一服盛り、


「ーー売女(ばいた)から水餅が届いたよ。結婚を反対されて機嫌取りのつもりだろうね」

 やはり薬品入りの中元を男の実家に送り、期を見てその家に乗り込み、それぞれに次のような暗示をかけた。


「あなたは妻一途な働き盛りに」

「あなたたちは育児用品を送ってくれる若き祖父母に」

「あなたたちは農作物を送ってくれる長生きな義父母に」


 暗示はすべて成功し、女は晴れて結婚、若くして男の子を産んだ。子どもには周囲の反対を押し切って野球を習わせ、中流住宅街に一軒家を買ってサモエドという犬種をペットにし、自分の理想像に囲まれて生涯を幸せに暮らしたという。

 十年前の未来予想図、そのままの景色だったという。

タイトル名は古語で言う“帰り道”です。

以下は和歌の解説的なものです。


《おほき背の 俥夫におぶわれ 人とおよすく》

大きな背の運転手に背負われ、わたしは大人へと成長していきます。

(この場合の“大きな背”は乗員数を指し、人が多く乗れるバスの比喩です)


《帰るさや 見る目おぼなり 壮丁の あはきゑまひに わがみこがるる》

帰り道、素朴な壮年の淡い笑顔に、わたしは恋い焦がれるのです。

(壮年は三十代前後を指す言葉です)


自作ではありますが、ネットで調べて回った程度なので不自然な点があるかもしれません。

それと補足。英才教育を受けた児童の二十歳までの犯罪率は、非授業者と比べて三倍にもなるそうです。知識の早期取得は危険か、という風の記事を見つけてオチを作りました。


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[良い点] 女の子の純情? [一言] 異常に賢い女の子が相手の男性を観察しながら、次第に好奇心から恋情を抱くようになるまで書かれていて、文の遣り取りが古語だったりして、秘めたる気持ちを相手に伝えたいと…
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