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ニセモノ彼女

作者: ごりお

 中学一年生のとき、なんとなく付き合っていた友達に誘われるまま陸上部に入った。苦しいだけだった練習に楽しみを見出した頃、大会に出てみたら先輩たちを押しのけて上位入賞してしまった。

 喜んでくれるチームメイトの中で、陸上部へ誘った元友達はあからさまにやっかんできて、嫌味・イヤガラセ・陰口のオンパレードをしてきてくれた。

 負けず嫌いが高じて部活は最後までやり遂げたもののしっかりとやさぐれた佐伯まどかは、自宅最寄り駅から離れた高校へと進学し逆高校デビューを果たしていた。

 ひっつめた黒髪お下げにスカートは膝丈、飾り気のない眼鏡で制服をきっちり着込んだ模範生スタイル。

 そうなることでクラスの空気になれると信じていた。

「……ってー、のに!」

 昼休み、生徒たちが昼食購入に燃える中、まどかは廊下を全力失踪していた。

「委員長、頑張れー」

「東はバカだけど悪いヤツじゃないよー」

 真面目そうだという理由だけでクラス委員に選ばれて、役職が愛称となって久しい一月半ば。追い越したクラスメートたちが口々に笑って無責任なエールを寄越す。

 それなら熨斗つけて差し上げるわ!

 叫びたいのをこらえて身を隠す場所を脳内で検索する。女子トイレは使用する場合を除いて禁止だし、ひとの多い場所だとクラスメートのタレコミが怖い。

「――こんなことなら、携帯没収しておけばよかった!!」

 後悔先に立たず。そんな言葉を振り払いながらまどかは走ることに専念した。



 すべては、三日前の一言からはじまった。

「委員長、俺と付き合ってよ」

 東太一。別名アリーナで寝る男・居眠り大臣、クラスの問題児兼ムードメーカーだ。

 高校生活を日陰の中すごすと決めたまどかにとって縁のない存在だと思っていた彼は、朝の冷たい空気に鼻を真っ赤にしながら笑って言った。

「ああ、男女交際をしてくださいって告白だからね。職員室までならって返事は却下」

「……そういった罰ゲームの類はちょっと受け付けないんですけど」

 びっくりしすぎて逆に無表情になってしまったまどかだったが、上手いこと切り返せたと内心ガッツポーズをした。

 どうだザマーミロ。冴えない女子をからかって遊ぶつもりなのだろうが、こちとら高校入学前にありそうなからかいシチュエーションを散々シミュレーションしてきたのだ。

 高らかに笑いたいのを我慢しつつ相手の出方を待っていたら、東はこらえきれないとでもいうように笑ってすぐに否定した。

「だから違うって、俺は委員長のことが好きだから付き合いましょうって告白してんの」



「なーにが告白よバカったれ。結局大人しい女子をだまくらかしてこんな状況に追い込んだくせに!」

 想像の中の東に悪態をつきつつ今日の逃げ場所を探す。もう三日目にもなればバカらしさが先に立って真面目に逃げる気にもなれなかった。


 じゃあさ、賭けをしよう。今週の昼休みいっぱいを使っての追いかけっこ。委員長が逃げ切ったら俺はきっぱり諦める。その代わり俺が委員長をつかまえたら――。


「俺の告白を信じて本気で考えてよね。とか言われて、だーれが信じられるかってーの」

 ケッと吐き捨てながら階段を二段飛ばしで駆け下りた。すれ違った名も知らない男子生徒がぎょっとした顔をしたが、かまわずすり抜ける。

 今日まではみつからないように物陰に隠れつつ逃げ回ってきたが、事態を面白がりはじめたクラスメートたちが便乗してはじめた。

 なんでも、まどかをみかけたら速攻で東にメールをするそうだ。

 通りすがりに聞いてしまったやり取りに苦情を入れなかったことを今更後悔しながら、まどかは固く拳を握り締めた。

「絶対に逃げ切ってやるんだから」

 なぜかじくじく痛む胸から意識を逸らしながら、三日目もどうにか切り抜けた。



 放課後、主に精神的な疲労でヘロヘロになっていたまどかを呼び止めたのは、遠慮がちな声だった。

「委員長」

「ちょっといいかな?」

 ジャージ姿の勝気そうな女子が二人、伺うような視線を向けてくる。

 ああ、面倒だな。

 そうは思いながらも頷いたまどかを待っていたのは、本当に面倒な事柄だった。

「お願いっ、東のこと嫌わないであげて!」

「あいつバカだけど、バカなんだけどいいヤツだから!」

「……はぁ」

 人気のない階段下に連れ込まれたときはボコられるかしらとまで考えたが、二人はまどかを拝み倒してきた。

「別に嫌ってはないです」

 迷惑だとは思っているし、ついうっかりアホな約束を交わした自分をバカだと思ってはいるけれど。

「そっかぁ、よかったー」

「帰るとこごめんね~、それだけが気がかりだったんだ」

 部活があるのだろう。口々に気をつけてねと笑って手を振る彼女たちに曖昧な笑みを返したまどかは、足早に校舎から飛び出した。

 考えるな。なにも、考えちゃいけない。

 東にはわざわざまどかの居所を携帯でしらせてくれたり、陰でフォローをしてくれる友達がいて。自分は目立たないように目立たないようにこそこそして、そんな風に思いやれる友達なんて一人だっていなくて。

 自分で決めたことなのに、無性にそれがやるせなくて胸の中をぐるぐるとかき回す。

 きっとひどい顔をしているからとマフラーをぐるぐる巻きにして隠して、顔を伏せて早足に歩いた。

「委員長?」

 校門の手前で、強い力で腕を引かれてつんのめりそうになった。あまりのタイミングのよさに舌打ちしたくなる。

「どうしたの? さっきのやつらにいじめられた? 連れてかれたの気になって追っかけてきたんだけど」

 汗だくで荒い息を吐いた東も部活の途中なのだろう、ジャージ姿だった。そういえばまどかは、東が部活をやっていることさえしらなかった。

「……別になにもされてませんし、そもそも東くんには関係ないです」

 いじけてた自分をしられるのが嫌で、必要以上につっけんどんな返事をする。

「関係なくても気になるんだから仕方ないじゃん。だって好きな子のことだよ?」

 さらりと、本当にさらりと言ってのけるからびっくりして目を見開いた。なんだってこのひとはこんなにも迷いなく、真っ直ぐな言葉をぶつけてくるんだろう。

 ぐらりと揺れそうな心を持っていかれないように、両足と腹に力を入れて顎を引いて真っ直ぐ東を見据えた。なのに東は大きめな目を細めて、楽しそうに笑うのだ。

「そういう、大人しそうにみせてるくせに実はものすごい負けず嫌いっぽいところとか、何気に言いたいこと言っちゃう皮肉屋っぽいところとか。――可愛いよね」

 入り込まれる。

 なににとかどこにとか全然わからなかったけど直感して、つかまれた腕を思い切り振り払って東との距離をとった。

「約束、忘れないでください」

「なんの?」

「明後日まで私が逃げ切れたら、こういうこと一切したり言わないってことです」

「俺が勝ったら好き勝手していいんだよね」

 一歩、東が距離を詰めてきてその分まどかは下がる。やたらと自信に満ちた笑顔が腹立たしいと思うのに、挑むように笑う東から目を逸らすことが出来なかった。

「そんな約束してないっ!」

 叩きつけるように拒否すれば悪びれない東が舌を出す。

「そうだね、でも逃げ切れるなんて思わないでよ。俺はあきらめ悪いし?」

 歩き出す背中に追いかけてくる宣戦布告を振り切って、まどかは今度こそ校門を通り抜けた。

 顔が熱く感じるのは寒さのせいだ。そう言い聞かせているうちに、早足だったのが小走りになって気づけば全力疾走で駅まで向かっていた。

 絶対、絶対つかまるもんか。

「最終日、勝ったら土下座させてやる!」

 まどかには、最終日に使う予定の切り札がある。多少卑怯くさい手段だが、向こうだってブラックかグレーかって言われたら黒だろう手段を用いているんだから、そのくらい許されるべきだ。

 新たな決意に燃えながら、まどかは改札を通り抜けて電車に乗り込んだ。

 元々混まない二両編成の電車は、一人燃えているまどかの周囲だけ特に人気がなかったが、まどかには理由を気に留めるだけの余裕はなかった。



 木曜日は東本人よりもクラスメートからの追撃の方がしつこかったが、チャイムが鳴るまでまどかはどうにか逃げ切った。

 東に対しては周囲がハラハラするほどつっけんどんな対応を貫き、クラスメートたちからのすがるような目線だとか、みしらぬ誰かからの「東をよろしくなー」という声も全部素知らぬふりで通しきり最終日を迎えた。



「おはよう委員長、今日も寒いねぇ。俺寒いの大っ嫌いだから本当にまいるわ」

「おはよう東くん、本当に寒いですよね。だからとっとと戸を閉めてもらえますか?」

 ピシャーン、ゴロゴロ。

 にこやかな会話のはずなのに、殺伐とした空気が場を包む。

「今日が約束の最終日です。私が逃げ切ったらもう私にかまわないで下さいね」

「大丈夫だって心配しなくたって、ちゃーんとつかまえてみせるから」

 マフラーを外しながら告げる東の表情があまりに自信に満ちているから、まどかは思わずひるむ。

 逸らしてしまった視線に内心で舌を打つものの、どうしても東の視線を真っ直ぐ受け止めることが出来なかった。

「……からかわれたりするのは、迷惑です」

 机の下のてのひらを硬く握りこんで、結局言えたのはそれだけだった。

「ふーん?」

 途端冷たくなった東の表情や声に、胸がざわざわしてきてどうしたらいいのかわからなくなる。

 なんで、泣きそうになるんだろう。

 まどかの言い分は真っ当なはずだ。そうでなければおかしい。

「委員長がそのつもりでも別にいいけど」

 声がこれまで聞いたことがないくらいトゲトゲしていて、ひらりと手を振って去っていく背中は不機嫌さを隠そうともしていない。

 そうやって呆れてくれればいい。まどかの中に踏み込んでこようとしなければいい。

 うつむき口唇を噛みしめながら、ざわざわと騒ぐ胸は一向に静まることがなかった。



「でも、勝負は勝負だからね。まどか」

 昼休み。チャイムと同時に駆け込んだのは普段から人気のない旧校舎のトイレだった。

 鏡のヒビが怖い。壁になんかシミがある。なんとも言いがたい匂いがする。

 以上が、女子が語る不人気理由堂々のベストスリーだ。

 胸がざわざわする理由から目を逸らすように、まどかはひび割れた鏡に映る自分の姿を確認をする。

 ひっつめた髪は手ぐしでざっくりまとめて普段使わないシュシュで一まとめにして、長めの前髪はサイドでわけた。眼鏡は胸ポケットに突っ込んだし、どうにもならないスカート丈はウエストで折って膝上まで上げた。

「これで東くんも気づかないでしょ」

 そこにいたのは、大量生産されて無個性化した一人の女子高生だった。

 今回の賭けを受けたあとで、ない知恵を絞って考えた作戦だ。

 これなら、昼ご飯をゆっくり食べられる。

 不適な笑みを隠そうともしないまま、まどかは足取りも軽くトイレを後にした。



 静かな廊下を少し歩いたら、自分を探すクラスメートの女子集団と遭遇した。咄嗟に回れ右をしそうになるのをこらえてすれ違う。

「委員長いないねー」

 彼女たちは自分が探している『委員長』だとは気づかないらしく、まどかに視線を向けることなく辺りを見回している。

 出会い頭での遭遇はさすがにびっくりしたものの、バレていないようだと内心ガッツポーズをとる。ほっとした分だけ動機も激しいが出来るだけ顔に出さないように心がけた。

 そうやって廊下を歩いているとなんだか不思議な気分になる。

 いまの自分は佐伯まどかではなくて、名もなき女子高生だ。

 鼻歌まじりにスキップしたい気分をこらえていたら、少し先にもっとも会いたくない男の姿がみえた。

「なぁ東、今日は委員長探さねーの? 昨日まであんな楽しそうに探し回ってたじゃん」

 無意識のうちに教室へ向かってしまっていたらしい。まさかのご本人との対面に、ぐりんと中庭に面した窓を向くふりで背中を向けた。そのまま素通りすればよかったと気づいたのは、声がすぐ傍まできてからだ。

「まだ発見メールもこねーし。大丈夫か?」

「んー」

 気のない素振りをみせる東になぜか落ち着かなくなった。この追いかけっこがはじまってから、東が自分を探す光景をみたのははじめてだったけれど、こんなにもやる気のない姿をみせつけられたことに動揺した。

「いーんだよ、だってつまんねーし」

 平坦な言葉がざっくりとまどかに刺さって息が止まった。

 浮かぶのは今朝のやり取りだが、まどかには落ち度はない。東のやり口はどう考えたってからかっているひとのそれだ。

 泣きそうな気持ちから一転、腹にちりちりと怒りがわく。

 一体なんだったんだこの一週間は。昼ご飯も満足に食べられずに走り回った自分は。そして、窓の向こうで自分を探しているクラスメートたちの好意は。

「――ねぇ、委員長?」

 声が、すぐ後ろからした。びくんと身体がすくんで揺れて、おそるおそる振り返る。

「っ」

 そういえば近づいた声が遠のく気配はなかった。至近距離で東が感情の読めない笑顔を浮かべている。

「逃げてくれなきゃつまんないよ」

 反射だった。まどかは踵を返して駆け出していた。

 全身から汗が噴く。心臓がフルマラソンを走りきったみたいに騒ぎ出す。

 腕の振りも足の運びもばらばらでスピードに乗れないまま、息だけが荒くなって肺がきゅうと締めつけられたような気がした。

 すぐ後ろには東の気配を感じる。振り返ったら追いつかれそうで、確認なんて出来ないまま階段を駆け上がった。

「頑張れ東ー!」

「委員長も負けるなーっ」

 すれ違ったクラスメートたちの勝手な声援に応える余裕もその意味を考えることも出来ないまどかは、息も絶え絶えの状態で屋上へたどり着いた。

 まだ追いついてきていない東を締め出すような気持ちで乱暴にドアをしめ、背を預けて荒い息のままその場にしゃがみ込む。

 痛いくらいに冷たい風は、すっかり火照った身体にはかえって心地いい。

 さすがに一月の屋上だけあって、他に生徒の姿は見当たらなかった。

「委員長ー、ここ開けてくんない? 最初に言ったじゃんたてこもるのなしってさー」

 こんこんとアルミのドアがノックされる音と感情の読めない間延びした声は真剣さの欠片もなくて、ふつふつと先ほどの怒りが再燃してきたまどかはぷっつん切れた。

「いい加減にしてよっ、あたしのことからかって楽しいんだろうけど迷惑なのよ!」

 叩きつけるように怒鳴って自分の言葉にまた傷ついた。でも腹立つ気持ちも本当だ。

「ずっと、真面目な格好して丁寧な言葉遣いしてたけど、そんなの全部嘘っぱちだし。そういうあたしをからかう対象に決めたんだとしたらお生憎さま、実態はこうよ。あたしは静かに高校生活送りたいだけなの。騒ぎの中心に引っ張りこまれて迷惑してるの。だから騒ぎたいなら他当たってよっ!」

 早口でまくし立てた。覆っていたメッキを自ら剥いだとしても、この茶番さえ終わってくれるならもうどうでもよかった。

 だというのに。

「――っ!?」

 鈍い打撃音が響いた。背中越しのドアが激しく振動して咄嗟にその場から離れる。

 ガン、ガン。と、ゆっくり打ち鳴らされる音は校舎中に響き渡ってしまいそうなほど大きく、まどかのかたくなな思いを破壊しようというほど強かった。

「――佐伯まどか、七岡中出身で元陸上部。中一のときに出た新人戦で地区大会突破して県大会でも上位入賞、それから二年三年でもここらじゃ負けなしだったよね」

「……なんで」

 最後にひときわ大きな音が響いてドアが開かれた。キィと軋んだ音を立てたドアの向こうには、怖いくらいに目が笑っていない東が真っ直ぐまどかを見据えている。

「委員長さ、俺の部活しってる?」

 運動部だ。というのを一昨日ジャージを着てるのをみてしった。

 東への興味なんてその程度だった。

「陸上部だよ、中学からずっとね」

 しらなかった。顔に出たんだろう東が苦笑する。

 投げやりな仕種でポケットに両手を突っ込んで立つ東は、ふてくされたこどものようにまどかを睨んだ。

「なんでなんて聞かないでよね、俺は最初っから言ったはずだ。委員長のことが好きだって――佐伯まどかのことが好きなんだって。これだけ言ってんだから、そろそろ信じてくれてもよくない?」

 声は静かなのに責められている気がした。だってしらない。これまで東は積極的にまどかに交流を求めてきたことはなかった。

 踏み込まれてかき回される。

 心の中は嵐の中に投げ込まれたようで、まどかを守る盾はもう東の気持ちを否定することしかなかった。

「晒し者みたいな告白されて、わけわかんない賭けまでふっかけられたらからかわれてるって考るのが自然じゃないっ。もう十分楽しんだでしょ? あたしはこれまで通り静かに暮らしたいからもうかまわないで!」

「無理」

 間髪入れずに拒否した東は大股で距離を詰めてくるから、まどかは同じだけ下がった。

 けれどあっという間にフェンスにぶつかり追い詰められてしまう。

「大体、とっくの大昔にみんな委員長が見た目みたいなガリ勉じゃねーって気づいてるっつーの。だからもういいじゃん」

 がしゃんと大きくフェンスが揺れる。まどかが逃げられないように両腕をフェンスに突き立てて囲いを作り、東が噛みつくように言い放った。

 距離が近い。心臓がうるさい。東は触れるかどうかというギリギリまで顔を寄せて、まどかを真っ向から睨みつけた。

「それは東くんのせいでしょっ! こんな風に走り回ってれば誰だってっ」

「もっと前からだよ」

 言葉尻を奪われるように叩き込まれて、ぐっと口唇を噛みしめた。

「もう二月だぜ? うちの学校なんてほとんどがこの辺からの持ち上がりで、委員長みたいに遠くから来るやつなんて少数だから少なからず興味引くんだよ。しかもあんた赤点常習組だろ? 勉強不得意でそんなナリならオタクかもなんて言ってたこともあったよ」

 それは、しらなかった。

 オタクと呼ばれていたらしいことは少なからずショックで、なにも言えなくなった。

「でもしらないだろ。あんたうちのクラスじゃ人気者なんだぜ」

「…………オタクなのに?」

 力なく返せばデコピンされた。痛い。

「そうでないこともみんなしってる。それにオタクだから嫌われるって変だろ。――春に外見だけで委員長に祭り上げられたあと、あんた文化祭だ体育祭だってすげー頑張って仕切ってくれたじゃん。委員長が体育祭のトリのリレーで声張り上げて応援してくれたのとかいまじゃ伝説扱いだし。俺らはそういうのみてんの。あんたと違って」

 いちいち癇に障る言い方だったが事実なので黙った。デコピンを喰らった場所が、じんじんと熱を持っているからというのもある。

「だから自分の殻にこもってないでこっちこいよ。自分作った高校生活になんの意味もないじゃん。楽しんだもの勝ちだろ?」

 東の表情がふっと緩んで優しくなった。

「みんな、委員長と仲良くなりたいんだよ」

 その一言に、うるさいくらいに鳴っていた心臓がきゅっと縮んで痛んだ。

 東は、まどかとクラスメートを仲良くさせるきっかけを作るためにこんな手のこんだことをしたんだろうか。

 からかわれているのでなければ、好意を持たれてると思うよりその仮説の方が説得力があるように思える。

「……心配してくれてありがとう。せっかくのご好意ですが、私はいまのスタイルを崩す気はないんです」

 傷ついた素振りをみせたくないから薄く微笑を浮かべた。このまま東が納得して腕を解いてくれればいい。そうしてもうかまわないでくれたらいい。

 東のせいでここ数日、まどかの心は大きく波うちっ放しで休まることがない。

「あんたって本当にバカ。この期に及んでまだ俺の気持ち疑うの?」

 心底呆れきった声で東が呟いた。

「中一の新人戦ですげー楽しそうに走ってる女の子がいました。その子は大会に出るたびに毎回記録を伸ばしてて、すげーなってなんとなく覚えてました」

 小さい子に物語でも聞かせているようなゆっくりとした口調に戸惑う。東の話はものすごく覚えがあった。

「その子とは地元の高校で再会しました。てっきり陸上に力を入れてる高校に推薦で入るんだろうと思っていたので驚きました。しかもその子は、びっくりするくらい様子が変わっていたのです」

 いい加減バカにされてる気になってカッときた。思い切り怒鳴りつけてやろうと、まどかは肺に息をためる。

「――好きだよ、信じないなら何べんでも言ってやるよ。委員長が好きなんだって。最初はなんでこんなことしてんのかって単なる興味でみてたけど、どんどん好きになった。無理して委員長ぶってるところも、実はすっげー負けず嫌いなところも、こんなバカみたいな賭けを真剣に付き合ってくれるところも」

 怒鳴る間合いを読んだタイミングで畳み掛けられ、まどかは口をぱくぱくと開閉させるだけでなにも言えなくなった。 

 身体の内側で火が灯った。

 熱くて、熱いのに身体が震える。

 言いたいことを言ったのか東は黙ってしまい、落ちた沈黙に心臓の音が響きそうで気が気じゃなかった。


 キーンコーンカーンコーン


 間延びした電子音が沈黙を破った。あーと小さく呟き顔をしかめた東の両腕がまどかから離れあっさりと開放された。

「――おめでとう委員長の勝ちだよ」

「……え」

「そういう約束だったろ。今日の昼休みまでに俺が委員長つかまえられなかったら――」

 きっぱり手を引く。

 賭けはそういう話でまどかはいままで東につかまっていた。それなのに東は自分の負けだと言い張りあっさり踵を返した。

「んじゃ、先に教室戻ってるな」

 なんの未練もみせずに去っていく背中に、声をかけることも出来ず見送った。

 足元から吹く風は短くしたまどかのスカートのすそを揺らして通りすぎる。

「なに、言うつもりだったんだか」

 思わず伸ばされていた指先をみつめて自嘲した。気持ちに応えるつもりもないのに声をかけるなんて、なんの意味もない。

 すっきりしないまま終わることなんてたくさんあるし、明日からはゆっくり昼休みをすごせるのだからこれでいい。

「……それで、いいじゃない」

 まどかに言えることはない。むしろにっこり笑って喜んでみせるべきだった。これでは東のことが気になるみたいだろう。

 告白されたから気になるのか、追いかけっこが吊り橋効果を生んだのかはともかく、都合がいいことこの上ない。冗談じゃない。

 ふつふつと怒りが沸く。

 なんで自分がこんな風に思い悩まなきゃいけない? 本当にまどかを好きだと言うのなら、もっと違う方法があったはずだ。そもそも告白というものは、あんな衆目の前で賭けまで持ち出してするものじゃないだろう。

 どうしたいかの結論が出るよりも早く、まどかは地面を強く蹴って校舎内に戻った。

 東は背中を丸めて階段を降りきったところで、その姿にちょっぴり勇気をもらったまどかは階段を飛び降りるくらいの勢いで東の前に回りこむと、首をかしげる東の鼻先に人差し指を突きつけた。

「再戦を希望します!」

 今度は東がぽかんとする番だった。

「あたしはこんな勝ち方じゃ納得出来ないから、もう一回ちゃんと勝負してほしいです」

 明らかに賭けはまどかの負けだった。でも東がそれを認めてくれないのなら、もう一度やり直すだけだ。

 口を大きく開けたままだった東は、かちりとスイッチが入ったように笑い出した。

「あっははははははははは! い、っきなりなに言い出すかと思ったら!」

 腹を抱えて床で転げ回りそうな大爆笑に、まどかは反応出来ずに東に人差し指を突きつけた状態で固まった。

「なっ、なにがおかしいのよっ!」

「あー、ごめんごめん。まさかそうくるとはなーって思ってさ」

 追いかけてはくると思ってたけど。

 笑いの虫を引っ込めるように荒い息を吐いた東は、浮いた涙をぬぐってまどかをみた。

「条件は?」

 面白そうに口唇を曲げる東をまどかも負けじと睨み返して、高らかに宣言をした。

「そっちが勝ったときの条件は東くん次第。でも、あたしが勝ったら」

 一瞬冷静な自分がストップをかける。それはマズい、やめなさいと。けれどまどかの口は止まらなかった。

「告白の仕切り直しを要求します!」

 あまりの恥ずかしさに爆発してしまいそうだと思いながら、目線はそらさずに言い切った。声が震えたのは愛嬌と思ってほしい。

 東は両手を挙げて降参のポーズを取りながら、りょーかいと心底嬉しそうに目を細めると、悪戯っぽく笑って両腕を広げた。

「ねぇ、抱きしめてもいい?」

「――っ、まだ早い!」

 バカ! と大きな声で罵って教室へ戻ろうとしたまどかの背中に、心底嬉しそうな笑い声が届いた。




END

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