~夏のしらべ~9
四
俺が案内する、と、紋次が歩き出したが、行く先は黒門町ではない。
「黒門町には大五郎の家があるだけだ。作業場は押上村のほうにある」
道を急ぎながら紋次が言った。
「作業場? なんの?」
紋次はちらりと研之介を振り向くと、暗い笑みを浮かべた。
「……黒門町の大五郎が、外道な働きをしている場所さ」
「やくざは元々外道だろう」
研之介がそう言ったが別に気にした様子はない。
「そうだな。だが、いくらやくざでも人は食わねえ」
その言葉に研之介も与ノ助もぎょっとする。
「ど、どういう意味だ」
「大五郎は、幼い子供を、ばらばらにすると、言われている」
紋次が一語一語区切るように言う。
「それぞれの部位を必要なものに売りつける。たとえば呆け始めた年寄りに赤子の脳みそを、心ノ臓の悪いやつに子供の元気な心ノ臓を。骨を砕いて粉にしたり、柔らかな皮膚を革の代わりに」
「そ、そんな。それじゃあまるで鬼の所業じゃないですか」
与ノ助が震え上がる。
「奴は金さえ手に入れば地獄とでも取引する。俺らの間でもあいつは嫌われている。というより関わりにならねえようにしている」
「まさか信吾も」
「そうなる前に救い出すんだろ」
「……ああ!」
研之介はふと気づいて振り返った。太った与ノ助がはあはあ言いながらついてきている。紋次も研之介も速足だが、与ノ助はほとんど走っている。
「与ノ助殿。そなたはついてくる必要はない。ここから先は危険だ」
「な、なにをおっしゃるんですか、佐々木さま」
与ノ助は飛び上がった。
「さきほど佐々木さまは信吾が自分の子供かもしれないとおっしゃいました。でも、それでしたらあたしの子供かもしれないんです。親だったら子供の心配をして当たり前でしょう」
「しかし、そなたは伊丹屋の跡取りであろう? わざわざ危ない目に遭わなくても」
「あ、あたしだって琴菊さんに惚れていました。結婚するなら琴菊さんとお願いしたかった。おとっつぁんさえ許してくれれば……」
与ノ助は何かを振り切るように首を振った。
「琴菊さんはいつもあたしを幸せにしてくれました。恩返しをするとしたら今しかありません。あたしを男にさせてください」
必死な様子の与ノ助を見て、研之介と紋次は顔を見合わせた。その口元が同時にほころぶ。
「わかった。そなたも立派な琴菊の男だな」
「佐々木さま」
「研之介でいい。長屋の大家殿は研さんと呼ぶがな」
「け、研さん?」
「おう、与ノさん」
研之介はにっと与ノ助に笑う。与ノ助はその笑みに力づけられたようにうなずいた。
「紋次さんも同じ気持ちなんだろ」
研之介は紋次を見た。紋次はまっすぐな研之介の視線から一瞬目をそらしたが、すぐに顔をもとに戻した。
「ああ……俺はくずだが、琴菊の前にいるときだけがちゃんとした男になれていたように思う。俺にとって琴菊はきれいな泉のようだった。夢のような女だった。何も俺に望まなかった女の最後の望み、叶えなきゃ俺は男じゃねえ」
口数の少ない紋次が一気に言った。
「紋次さん」
研之介は紋次の手を取った。そして与ノ助の手も取る。
「与ノさん、俺たちは琴菊を介しての兄弟だ。一緒に俺たちの息子を取り戻そう」
「はい!」
「―――しかしお前さんは足が遅ぇ」
紋次が与ノ助を見て容赦なく事実を告げる。
「お前さんはかごでくるといい」
「そんな」
与ノ助が泣きそうな顔になる。
「のけ者にしようってわけじゃねえよ。帰りにもきっとかごが必要になるんだ。子供を乗せるためにな」
研之介も与ノ助の肩に手を置いて言った。
「あんたもう足がしんどいだろ、与ノさん。たぶん、かごの方があんたの足より速いよ。そしてあんたはかごを雇えるだけの金があるだろう? 使えるもんは使って補いあおう」
「……わ、わかりました」
与ノ助はしぶしぶという風にうなずいた。
「押上村に入ったら一本道だ。確か地蔵堂がそばにあるはずだからすぐにわかる」
紋次に道を教えられ、与ノ助は町中のかごを探しに二人から別れた。