~鬼灯の夢~5
「じきに私は父上の家督を継いで国元に住まうことになる」
時定は落ち着いた声で言った。
「そのときは母上を連れて帰る。さすればお前はなんの気兼ねもいらぬだろう」
「……」
研之介は時定の母、お光の方に嫌われている。幼い頃からのけもの邪魔もの扱いを受けていた。
こんなことがあった。
なにかの拍子にお光の方の着物の裾を踏んでしまったのだ。激怒したお光の方は侍女に命じて五歳の研之介を庭の木に縛りつけた。
その日は雪が降っており、襦袢一枚で縛られた研之介はもう少しで凍死するところだった。
研之介の縄をほどき、自分の部屋にかくまい、さらにはお光の方に意見したのは十四歳の時定だった。
時定は研之介が食事もまともにもらっていないことを知ると、自分の食事を半分隠して食べさせてくれた。
ほぼ一年の間、研之介は時定の部屋で暮らしたのだ。
「母上を恨むなとは言わない。だが堪えてくれ。お前が大きくなったら必ずこの家から逃がしてやる。それまでは私が守る」
時定は研之介に約束した。
時定は研之介をお光の方の目に触れさせないようさまざまな努力をした。剣を習わせたのもそのためだ。道場にいっている間は研之介も自由だ。
研之介はお光の方の目を逃れて初めてのびのびと息ができた。そして与えてもらった剣の修行という名目を果たすべく、それに打ち込んだ。実績がなければ辞めさせられるという恐怖もあったため、必死だった。
その甲斐あって研之介は一五で目録、十八で免許皆伝となった。一番喜んだのは時定だった。
「よくやった、研之介。その腕を持って俺を支えてくれ」
研之介ももちろんそのつもりだったが、お光の方がそれを許さなかった。庶子である研之介が時定の地位を狙っている……とありもしない妄想を抱いたのだ。
研之介が屋敷を出ることにしたのはそのためだ。
自分が生きているだけで揉め事の種になるのなら、なにもかも放り出してしまおうと決めたのだ。
「どうだ、研之介」
時定が重ねて言う。研之介は両手の拳を畳みについた。
「ありがたき仰せではありますが、研之介はやはり屋敷に戻るつもりはございません」
「研之介」
研之介はぱっと顔を上げた。
「実は、研之介、子供を二人ひきとりまして」
「なに?」
時定が思わず腰を浮かす。
「子供だと?」
「はい、三年前に情を交わした女子の子でございます。あ、一人は違うのですが」
研之介はこれまでのことを話した。時定はそれを驚きながら聞き、
「琴菊、か。確かにその名、聞き覚えがあるな。俺がお前に目会わせたのではなかったか」
「左様でございます」
研之介は兄の記憶に感心した。
「本当にお前の子かどうかわからぬのだろう?」
「まあ、候補は全部で七名ですからね」
時定は呆れた顔をした。
「なにも好き好んで面倒を引き受けなくてもよかろう」
「面倒、とは考えませんでした。そうしたいと思ったのです」
研之介は微笑んだ。
「それに子供というのも一緒にいるとなかなか楽しいものでございます」
「……そうだな」
時定には二人の姫と一人の男子がいる。時定が家督をついで国元へ戻れば、彼らとは離ればなれになってしまう。
「大人になったらこの家から逃がしてくれる……兄上はそう約束してくださいました。その約束通り、研之介はこの家から出て江戸の長屋で日々を楽しく懸命に生きております。羽佐間の家には戻りませぬ。研之介という弟がいたことはお忘れください」
「研之介」
時定は立ち上がると研之介の前まで近寄った。そしてその手を取る。
「私はお前を守れたのか」
「はい」
研之介も兄の手を握った。
「兄上のご恩は生涯忘れませぬ。領主に御成りになれば、もうお会いすることもないでしょう。研之介はどこにいても、兄上のご健勝をお祈りしております」




