~手の届かない花~14
夏鈴は夏椿の咲く廃寺にいた。
濡れ縁で膝を抱え、着物のたもとを涙で濡らしている。
地面に落ちている夏椿の花が、月の光を白く映していた。
太一から花をもらったとき、嬉しかった。なのに、それを手で払って憎まれ口を叩いた。
(だって、でないとわっちは太一を好きになってしまう。好きな人が増えてしまう)
花をもらったとき、着物を買ってもらったとき、研之介に優しくされたとき……いつもうれしかった。喜びたかった。だけど、そうやって心を開いて親しくなれば、別れが辛くなる。裏切られたとき、相手を憎んでしまう。
最初からすべて諦め、拒絶していれば、悲しいこともない……。
廓での生活で学んだことだったのに。
―――琴菊はお前に人の情を教えなかったのか―――
そんなことはない。琴菊姐さんはいつも優しかった。一番そばでそれを見ていた。
琴菊に初めて会ったのは、今の信吾と同じ三つになった頃だった。ほかの遊女の八つ当たりを受けてぶたれて泣いていたら、琴菊が自分の部屋へ呼んでくれた。
客からもらったという甘いお菓子をくれて、優しく髪をといてくれた。
それからいつも琴菊と一緒にいた。
五つになったとき、琴菊が身請けされ、廓を出て行った。悲しくて、ずっと琴菊にしがみついていた。
「必ず迎えにくるから」
琴菊の約束を信じて一年、ようやく夏鈴は琴菊と再会できた。
しばらくして琴菊は家を追い出され寝付いてしまったけれど、三人で長屋で暮らしたあのわずかな日々は、夏鈴にとって一番幸せな日々だった。
だけど琴菊はたくさんの幸せと約束をくれたまま死んでしまった。大家は親切なように見えたけれど、本心は自分たちをやっかい払いしたかったのだ。
引き取ってくれたざる屋はすぐに夏鈴をもといた廓に売ってしまった。おまけに信吾まで殺されるところだった。
大人は信じられない。
きっといつか自分はまた廓へ売られてしまう。
そのとき、悲しくないように、誰も憎まないように、心を冷たくして何も感じないようにしようと思った。
一番怖いのは信吾を憎むことだ。
それだけはしちゃいけない。琴菊の大事な子供。夏鈴が命をかけて守らなければならない大切な宝物。
だけどそのための意地が、強情が、琴菊を汚していたのだろうか。
琴菊が何も教えなかったと、夏鈴が何も学ばなかったと。
「琴菊姐さん……わっちは、わっちは……」
膝の上に顔をふせた夏鈴の耳に、土を踏む音が聞こえた。
「やっぱ、ここにいたな」
顔を上げると太一が息を切らして立っている。




