~手の届かない花~12
四
外に食事に行くなどお金がもったいないだの、あそこの店よりわっちの飯の方がおいしいだの、夏鈴にさんざん文句を言われながらも、研之介は「三ツ輪」へやってきた。
確かに夏鈴の飯はまずくはない。だが、「三ツ輪」の味も恋しいのだ。
「おや、佐々木の旦那、久しぶりだねえ」
相変わらず「三ツ輪」の女将は元気がいい。
「ああ、最近は家計のために家で飯を食っていたらな」
「佐々木の旦那がつくるのかい?」
女将はびっくりしている。
「いや、俺には台所仕事は無理だ。夏鈴が作ってくれるのさ」
「へえ、そうかい。夏鈴ちゃんいいお嫁さんになれるねえ!」
夏鈴は静かな笑みを見せた。
「おほめいただきありがとうござんす。でもわっちはお嫁になる気はござんせん」
「あら、どうしてだい?」
「どうせわっちはお嫁になる前に死んでしまうからでござんす」
研之介はぎょっとする。女将もいつもの笑顔を忘れ、研之介の顔を見た。
「佐々木の旦那、まさか夏鈴ちゃん病気なのかい」
「い、いや、そんなことは。夏鈴、お前……」
夏鈴はすました顔で卓につく。信吾は話がわからないながらも場の空気を感じ取ったのか、姉と大人たちの顔を交互に見た。
「女将、冗談だよ。すまないな」
研之介は苦笑して言った。女将もようやく頬をゆるめ、自分を納得させるようにこくこくと首を振る。
「夏鈴ちゃん、よくないよ。生き死にを冗談にしちゃあ」
夏鈴は黙って木の板の目を数えている。
「女将、それより早く飯を頼む。俺はこのあと伊丹屋に行かねばならぬのだ」
「おや、こんな時間にかい」
「うむ、最近ぶっそうなので用心棒として雇われたのだ」
「そうかい、それじゃあ精の付くものにしなきゃねえ」
女将はにっこり笑うと、奥に向かって呼んだ。
「太一、太一! 夏鈴ちゃんと信吾ちゃんが来てるよ。お皿をもっておいで」
すると、奥から信吾が出てきた。ところがこれが頭に布を巻いている。頬にもいくつか擦り傷ができていた。
「太一、どうしたんだ」
研之介は驚いて言った。夏鈴も顔を上げ、太一を見る。
「なんでもねえよ―――ちょっとぶつけただけだ」
太一はぶっきらぼうに言うと、皿を並べ出した。
「自業自得なんだよ、この子、木に上ってて落っこちちゃったんだ」
女将が笑いながら言う。
「うるせえ、かあちゃん。言うんじゃねえよ」
「罰が当たったのさ。寺の境内の木の花をとろうとしたんだから」
「言うなって!」
太一がわめく。夏鈴は目を丸くして太一を見た。
「まさか、夏椿? あのてっぺんの?」
「とれなかったよ。だけど、いつか必ずとるから」
「なんだいおまえ、夏鈴ちゃんにあげようと思ってのぼったのかい」
女将がけらけら笑った。太一の顔がみるみる赤くなる。
「女将さん、笑ってやるな。男子が女子に花を贈るというのは勇気のいることだ。俺にはわかる」
「おやそうなのかい」
女将はまだ笑いのさざなみを目元に残したまま言った。
「かあちゃんのバカッ」
太一は布巾を卓に叩き付けると板場へ戻ろうとした。その背中に冷ややかな声がかけられた。
「バカはお前でありんす」




