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第二章 ~手の届かない花~1

   一


 長屋に着いた研之介は、信吾と夏鈴の前に正座した。子供たちもきちんと膝を揃えて座る。

「俺は佐々木研之介。縁あってお前たちの親代わりとなる。正直、立派な親になる自信はない。俺自身、父とはほとんど暮らしていないのでな、父親というものがわからんのだ。いろいろ不慣れで失敗もあるかもしれんが大目に見てくれ」

 信吾はよく意味がわからないのかきょとんとしている。夏鈴は小さな唇をきゅっと結んで研之介を見上げていたが、やがて周りを見回し気づいたように言った。

「―――主さま、奥様はござんしょうか」

 研之介は、うっとのけぞった。

「い、いや。おらん」

「主さまはおいくつにおなりんした」

「二二だ」

「二二にもなってお独り身」

 夏鈴は「まあ」と言うように口を丸く開けた。

「見ての通りの貧乏所帯でな、嫁の来手がない」

 研之介は八歳の子供相手に言い訳めいた口調で言った。

「貧乏なのはわかりんした。それでは今後お金がご入用になりましたら、いつでもこの夏鈴を吉原にお戻しになってくんなまし」

「いやそれは―――」

 研之介が言いかけたとき、甲高い声がそれを遮った。

「やだやだ! かりんねえちゃ、もうどこにもいかないで!」

 信吾が夏鈴にしがみついて叫んでいる。

「もうおいらをおいていかないで! おいらもいっしょにいくっ!」

「信吾……」

 夏鈴は信吾をぎゅうっと抱きしめた。

「仕方がないの、大人はだれもわっちたちを守ってくれない。大人はみんな身勝手で無責任。金になるとわかればあっさりと裏切ったり、いい年をして嫁もなかったり」

「おいおい」

 研之介は手を挙げた。

「俺はお前を金の成る木だとは思っちゃいないよ。なんのために大金を払って見受けしたと思ってる。それに俺に嫁がいないのは今は関係ないだろう」

「身請けのお代を払ってくださったのは伊丹屋の若旦那とお聞きしておりんす」

 夏鈴は冷たい一瞥をくれた。

「う、まあ、そうだ」

 夏鈴は信吾にすがりつく。

「伊丹屋の若旦那が信吾の父さまになってくださったらよろしかったのに。信吾、信吾もかわいそうに。こんな甲斐性も金も嫁もない貧乏侍しか名乗りを上げてくれなくて」

「―――おい」

 さすがに研之介もむっとして夏鈴をにらんだ。

「俺はな、金はなくても心正しく、まっすぐな人間にお前たちを育てたいのだ。過分な金はよこしまなものを呼び寄せる」

「育つためにはおまんまが必要でありんす。おなかがすいていてはまっすぐどころか平たくなってしまいんす」

「おなかすいた!」

 信吾が無邪気な声をあげる。研之介は、あっと気づく。

「そういえばお前を吉原に迎えに行って、そのままだったな。朝飯にしよう。それからゆっくり話をしよう」

 腹がふくれればこの娘のつんけんしたもの言いも改まるかもしれない。

(そうだ、腹が減っていれば悲観的なことしか考えないからな)

 夏鈴がすっと立ち上がった。

「わっちが朝餉の支度をいたしんす」

「お前が?」

「はい。わっちは琴菊姐さまが寝付かれてから身の回りのお世話をしておざんした。食事の支度など造作もないことでありんす」

「あ、おい、ちょっと―――」

 夏鈴はすたすたと部屋を横切り、炊事場に降りた。ぐるりと周りを見て眉を顰める。

「主さま、釜がありゃあせん」

「あ、ああ」

「鍋もありゃあせん。包丁も、―――」

「う、うむ」

 夏鈴はしゃがんだり立ったりしてあちこち覗き込んだ。

「米櫃も味噌も……主さま、まさか」

「し、塩はあるぞ」

 機嫌をとるように言った言葉に夏鈴は目を吊り上げた。

「塩で腹をふくらませと!」

「ああ、その―――実は俺は料理をよくしないのだ。だから飯はいつも外で」

「よくしない?」

 研之介は両手を挙げた。

「……まったく、しない」

「なんてことでありんしょう」

 夏鈴の声が地を這うように低くなった。

「米や味噌を買って家で作れば家計の節約になるというのに。こんな調子では信吾を育てるお金がまったく貯まりゃんせん」

「す、すまん。今までは俺一人だったから」

 夏鈴は大人のようにため息をつくと頭を振った。髪に刺した小さなかんざしがチリンと鳴る。

「今後はうちで煮炊きをいたしんす。鍋釜包丁、米、味噌、昆布。これだけでも今日のうちにそろえてくんなまし」

「わ、わかった」

 夏鈴の迫力に研之介はただうなずくだけだ。

「おなかへったよー」

 信吾は一人、明るい声を上げていた。


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