~夏のしらべ~10
押上村は畑と雑木林ばかりで足元も見えないほど暗い。奥のほうにぽつりぽつりと百姓家の明かりが見えるだけだ。
昼間の熱気は土が吸い込んだのか、足元だけが生暖かく、吹く風は湿気をまとってひんやりとしていた。
歩いていくと夜の中にさらに黒々と茅葺の大きな農家が見える。夏なので戸は開きっぱなしになっていて、男たちの声がかすかに聞こえた。
紋次は少し手前で立ち止まり、手のひらを口元に当てて「ほうほう」とふくろうの鳴きまねをした。
すぐに近くの地蔵堂が開き、男がひとり転がり出てきた。
「諸刃のあにき」
「おう、喜助、ご苦労」
紋次が黒門町の大五郎の名前を聞いてすぐに走らせておいた手下だ。
「さぐってみたか?」
「へい」
喜助は背後を振り返り、肩をすくめた。
「ガキどもが五、六人捕まってやす。大人は二本差しを含めて六人です」
「用心棒か。何人いる?」
「二人です」
「侍は任せろ」
研之介の言葉に紋次は振り向いた。
「人を斬ったことはあるのかい? おサムライ」
茶化すように言う。
「いや、」
研之介はぐっと刀の束を握る。
「だが、やる。やらねばならん」
「邪魔になるくらいだったら引っ込んでろよ」
紋次はそっけない調子で言って、自分は懐の中から匕首を取り出した。
鞘を少し抜いて確かめている。月明かりにぎらりと光るその刃はなるほど諸刃に作られている。握りの部分が黒く変色し、長い間その手に握られていたことがわかった。
紋次は匕首をしまうと懐に戻した。
「しかし、そなたはいいのか? 同じやくざ同士、もめたりはせぬか?」
「俺が関わっていることを知られなければいいのさ」
紋次は凄みのある笑みを見せた。中にいるやくざものを生かしておく気がないことを研之介に教える。
「喜助、外に逃げたやつは任す」
「へっ」
喜助が身を低くした。
「行くぞ」
紋次は落ち着いた足取りで百姓家に向かった。研之介もそのあとを追う。紋次は開いた戸口から堂々と入った。
「おっ、なんだてめえ」
男たちは土間で茶碗を手にサイコロ遊びをしていたらしい。酒瓶や魚の骨などが床に転がっている。
「大五郎親分から交代を言われてな」
紋次は軽い調子で言って一人の男の横を通った。瞬間、紋次の手に鞘を払った匕首が現れ、男の首を横から貫いていた。
「ぎゃっ」
抜いたとたんに血が勢いよく、一間あたりも噴き出す。紋次は次の獲物に飛びかかっていた。
「て、てめえっ! 田丸組の諸刃の……!」
最後まで言えなかった。男の心ノ臓に刃が深々と刺さったからだ。
「おのれ!」
浪人らしき男が抜刀した。研之介も抜いた。
かまちから飛び降り、振り下ろしてきた力を頭上、横にした刃で受ける。ギインッと鉄が鳴って火花が散った。
研之介は全身のばねを使ってその刀を弾いた。やせた浪人者はその力によろよろっとたたらを踏む。研之介は、星が流れるような速さでその肩に刀を振り下ろした。
「ぎゃああっ」
浪人が叫んでそのまま土間にうつぶせにつっぷす。血がじわり、と胸の下からあふれた。
「……ッ」
研之介ははじめて人を斬った感触に、一瞬呆然とした。肉に入り、骨に当たり、それをぶち切った感触が両手にある。
「おサムライ!」
張り手のような紋次の声が研之介を我に返した。
はっと顔を上げるともう一人の浪人者が突進してくる。




