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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
共藍
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帝位への道

「まずは共藍で力を蓄えるべきです」

 それが玄安へ戻っても勝ち目がない、と言った衛舜の主張だった。

 玄安に戻らないとすると、この共藍以外に琉が寄るべき地はない。自然な発想ではある。もちろん琉も初めはそれを考えていた。

「帝位争いという観点から考えますと、太子が殿下をこの共藍太守にしたことは失策と言っていいでしょう。本気で帝位争いの相手と考えているのならば、完全に失脚に追い込むべきでした」

 何らかの罪を着せるなり、早々に決戦を起こさねばならない状況に追い込むなど、失脚に追い込む手段はいくらでも考えられる。

 煌丞には無視しても構わないという程度の存在と思われていたのだろう。それゆえ明確な失脚に追い込まれることなく、この共藍という辺境へ追いやられるといった程度で済んだとも言える。

 それも太守という地位を与えて。

「この共藍は辺境であるがゆえに、玄安からの影響も最小限で抑えることができます。太子は殿下を辺境へ押し込めたと考えておられるでしょうが、実際には玄安から解放されたと言って良いでしょう」

「しかし、このような辺境の田舎で玄安の兄上や貴族たちに対抗できようか」

 それが琉の懸念であり、玄安に戻るべきと考えた理由でもあった。

「共藍一郡のみで玄安の太子やその周囲の貴族たちに勝る力を得るというのは、まず不可能でしょう。しかし必要なのは太子を越える力ではなく”無視できない”と思わせるだけの力です」

 煌丞に対抗できる可能性を琉が持っている、ということを示せば、現在煌丞派に属さない中立の貴族たちを味方にできるかもしれない。

 既に煌丞派の勢力は大きい。現在中立の貴族が今から煌丞派に属しても高位へ昇ることは難しいだろう。弱い琉に加勢することで恩を売り、高位へ昇ろうと考える者を抱き込むのである。

――そういう考え方もあるのか。

 琉はずっと自分自身で煌丞を上回る力を手に入れ、煌丞を打倒し帝位を得ようと考えていた。

 琉自身の力が煌丞の力を上回らぬ限り、貴族たちは煌丞の方を向いたままだと思っていた。

――私一人で考えているだけでは、この固定観念という鎖から解放されることは困難だっただろう。

 衛舜という謀臣を得ることでこの鎖は外すことができたのだ。

 衛舜も平民である以上、玄安への影響力という面では、何一つ前進したことはない。が、琉は天へ飛翔するための雲を得たような気分だった。


「ただし、一つお覚悟頂かなければならないことがございます」

 揚々と展望を語っていた衛舜の言葉の温度が下がった。

「なんだ」

「共藍で改革を行い”辺境の田舎都市”を脱し、弦国全土への存在感を示していくということは、一朝一夕でできるようなことではございません。時間がかかります」

「どれほどだろうか」

「五年で成果が出始めれば良い方でしょう。十年、二十年かかるかもしれません。場合によっては成果が出る前に玄安の事情が変わってしまうことも考えられます」

 ”玄安の事情”とは、朝廷における力関係のことであろう。

 五年もすれば末弟の煌登が冠礼を迎えるため、玄安における影響力を発揮し始めるかもしれない。現時点で帝位に興味を示していない様子の次兄・煌崔の心変わりにより、煌丞と帝位争いを始める可能性もある。

「良いように転べば良いのですが、事態が悪化することも十分に考えられます」

 むしろ事態が悪化する可能性の方が高い、と衛舜の表情は言っていた。

「もとより不利な争いであることは承知の上だ。何年かかろうがやり遂げてみせるさ」

 玄安に戻っても勝ち目がないことは、琉も納得している。となれば選択肢はない。

 不利だから、無理そうだから、で諦めるのならば、琉はとうの昔に諦めている。

 母の遺言に従い帝位という念願を果たすため進むべき道があるのならば、それがどんな難路だろうと迂回路だろうと、琉は前進することを止めるつもりはなかった。


「治水ですと?」

 共藍に戻った琉は黄郡丞に共藍改革の意思を伝えた。

 その具体策の第一は治水工事である。

 共藍郡は広い面積を有してはいるが、他の地域に比べ圧倒的に人口が少ない。その大きな要因となっているのが、農地の不足による食料の問題だった。

 広い土地はあるが、農地に使えない土地が多いのだ。

 それは南江の存在があるからに他ならない。

 南江は北河に並ぶ大河として知られているが、川幅が広く流れが穏やかな北河に比べ、南江は川幅が狭く流れが急である。下流に行くに従い流れも穏やかになり治水も進んでいるが、上流に位置する共藍の付近はほぼ手つかずの状態となっている。

 特に多数の大きな支流が合流する地域であるため、いずれか支流の水源付近で大雨が降ると、南江にも大きな影響が出て、度々洪水となっていた。

 堤を築き南江の急流を治めることで、南江沿岸の広大な土地が安全に農地として使用できる。

 また山に囲まれ雨が少ないため農作物の生産量が安定しない、という点についても灌漑を併せて行うことで解消することができるだろう。

「治水を行い農地を増やせば、この地で多くの食料を賄うことができ多くの人をこの共藍に呼び込めるはずだ。それによって現在の主要産業である鉄の生産量も増えるだろう」

 共藍の鉄は良質であると評価は高いが、産出量は多くない。それは埋蔵量の問題ではなく、労働力の問題であると衛舜は言った。人口を増やすことに成功すれば、鉱山での作業者も増え、鉄の産出量も増えるだろう。

 鉄の産出量が増えるということは、単純に産業、即ち財力としての力だけではない。良質な鉄を大量に得られれば、それによって作られる武器により兵力・武力の底上げにもなり、それだけ影響力が増すことも期待できる。

 しかし黄郡丞は治水を行うことに反対の意を表していた。

「商人たちが承服しませんぞ」

 その理由として挙げたのが商人である。

 共藍で不足している食料を他の地域から運んでくるのは主に商人である。その商人たちにとっては、農地が増え食料生産が増えるのは不都合と言える。

「代わりに鉄の生産が増えれば、それだけ商人たちの仕事も増える」

 現在食料の輸送を行っている商人たちは代わりに鉄を運べばいい。そもそも現在食料を運んでいる商人たちとて、それを専門にしているわけではなく数多の商材の一つでしかないはずだ。

「それに工事を行うことで、資材等を商人たちに用立ててもらうことも多いだろう。むしろ商人たちは喜ぶのではないか」

 黄郡丞の顔には焦りの色が浮かんでいる。

 共藍に着いたばかりの頃、琉は「殊更に何かを変えるつもりはない」と明言していた。それが突然治水という大事業を起こそうとしているのだから驚くのは当然だろうとは思っていた。しかしその顔に浮かぶ焦りの色は、驚きによるものだけではないように感じられた。

「景家の若当主に何を吹き込まれたのか存じませぬが、景家は元々は商人の家。この治水事業により利益を上げるつもりに違いありません」

 黄郡丞の矛先が衛舜へ向けられた。

「己の利のために、太守を動かそうと考えているに違いありません。どうか目をお覚ましください」

 黄郡丞の言葉に、衛舜は些かも動じることはなかった。

「確かに元は我が家は商人の家でした。しかしそれは祖父の代までのこと。現在我が家では商いの類は一切行っておりません。我が家が元商人の家であることをお調べしているのならば、当然既に足を洗っていることもご存じでしょう」

 黄郡丞の言ったことは、まるで根拠のない誹謗中傷でしかない。

「治水については衛舜の知恵を借りていることは間違いないが、衛舜の言ったことをそのまま鵜呑みにしているのではない。私も私なりに考え、治水を行うべきと判断したのだ」

 琉とて黄郡丞の意見を無視し決定を押し通そうとは思っていなかった。

 しかし建設的な議論ではなく衛舜への攻撃を始めた時点で、黄郡丞の言葉は空虚なものになってしまった。

 あるいは突然現れた衛舜に、郡丞の座を奪われるという危機感があったのかもしれない。

 いずれにせよ黄郡丞が議論の席から外れてしまった以上、共藍の治水事業は実行へと動き出すこととなった。


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