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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
共藍
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豹変

「何故私に勝ち目がないと」

 琉は自身の声に冷えがあるのを感じていた。

「理由はいくつかあります」

 そう言って衛舜はその理由を指折り数えて述べていく。

 まずは煌丞と琉の実績の差。そして、それによる現在の地位の差だ。

 琉は初陣で戦功を挙げはしたが、煌丞はその何倍もの実戦を経験し戦功を挙げ続けている。

 そしてその結果、煌丞は現在は車騎(しゃき)将軍という地位にいる。車騎将軍は大将軍に次ぐ高位の将軍位である。大将軍が空位の今、弦国軍の頂点にいるのが煌丞なのである。

 辺境の太守に過ぎない琉とは比べ物にならない。

 次に協力者の差。即ち後ろ盾である。

 煌丞に直接的・間接的に協力支援する者・勢力は多い。

 直接的には外戚の堰氏。

 三公の一つである御史大夫(ぎょしたいふ)には煌丞の従弟である堰無夷(せきむい)がいる他、三公に次ぐ地位である九卿にも堰氏の縁の者が複数いる。

 丞相の杜氏も次期皇帝の時代にも権勢を維持するため、煌丞に協力的な姿勢を示している。

 他にも太子に協力的な重臣・貴族は多い。

 それに対し、琉には今後ろにいる臣下、戒燕と志道の二人のみ。貴族ですらない二人は後ろ盾とは言えない。

「そのお二人で玄安の貴族たちに対抗できましょうか」

 淡々と言葉を紡ぐ衛舜を見る琉の目は段々と厳しいものになっていく。

 現時点で琉が煌丞に敵わないのは重々承知している。

 しかしその理由の一端は琉に尽くしてくれている戒燕と志道にもある、というような衛舜の物言いだった。

「そして殿下と太子の差を生んだ根本的な違いは他にあります」

 衛舜は真っ直ぐに琉の目を見返し、さらに踏み込んできた。

「それはお母上の差です」

 煌丞の母は弦国有数の名家である堰家の生まれを持ち、現在も後宮の最上位である皇后の位にいて影響力を保っている。

 琉の母は平民の生まれで、後宮においても低位の妾。しかも既に故人であり影響力があろうはずもない。

「お母上の遺したものでは、太子殿下が皇后陛下から与えられ続けておられるものに太刀打ち出来ようはずがありません」

 母の遺言に従って帝位の道を目指す琉。その前途を阻むのは母である。

 その宣告に琉の中で何かが弾けた。

「黙れ!」

 怒声と共に卓に拳を叩きつける。

「それ以上、母を侮辱するな」

 湧き上がる怒気の炎を何とか抑えつつ絞り出した声には、琉自身が今までに聞いたことがないほどのどす黒いものが内包されていた。


 目の前で怒気を放つ皇子を衛舜は冷静に観察していた。

――ようやく怒ったか。

 義弟の衛業に指示し敢えて臣下の席に座らせたが、琉は平然としていた。

 敢えて強い表現を用いて琉が不利な理由を説明して見せても、自身に責があることについては耳を傾けていた。

 それが崩れだしたのは臣下の二人に言及したとき。徐々にその眼つきが険しくなっていった。

 そしてついに怒りを発したのは、母について触れられたときだった。

――自身のことより、身の回りの者を傷つけられたと感じたときに怒りを覚える御人か

 人は怒りを発したときに、その人の本性が現れる、と衛舜は考えている。

 わざと怒らせることで、琉の本質を見抜こうとしていたのだ。

 相手は玄安で人気のあった皇子である、ということは衛舜は調べていたが、それだけで臣下になるつもりはなかった。

 もとより栄達には興味はない。忠誠を捧げるに値しない皇子であると判断すれば、この屋敷の中で祖父の遺業を継いで一生を終わらせても構わなかった。木簡竹簡の書を紙の本に写し取る作業も嫌いではない。

「貴方の知恵をもってしても、私が帝位に至る道を示せないというのであれば、もはや用はありません」

 怒れる皇子はそう言い立ち上がった。

「お待ちください」

 踵を返す琉に静かにそう語りかける衛舜。しかしその足は止まらない。

「帝位を取れないとは申しておりません」

 足が止まった。

「このまま玄安に戻っても勝てないと申し上げただけでございます。玄安にいなければ帝位継承争いができぬと誰がお決めになりましたか」

 その言葉に振りむいた琉だったが、その眼は依然怒気を孕んでいるようだった。

「どうか席にお着きください。私は客観的に見た事実を述べたにすぎず、お母上を侮辱するつもりは毛頭ございません」

 怒りを収めることなくこのまま帰ってしまうような皇子ならば、衛舜も仕えるに値せず、という評価を下すだけであった。

「現状の把握を怠る者に勝利はありません」

 琉の怒りを買うように敢えて強い言葉を選びはしたが、列挙した事柄は事実なのだ。

 その衛舜の言葉に、琉はハッとしたような顔をした。

 その眼にはもう怒気は感じられなかった。

「お話を続けたければ、どうかお座りになってください」

 再度着座を促す。

――これで怒りを収めて着座するのであれば、試しに仕えてみるのも悪くない。

 そう思い始めた衛舜。

 しかし琉が次にとった行動は、衛舜が思いもよらぬことだった。

「申し訳ありません。先生」

 謝罪の言葉と共に頭を下げる琉。

 弦という強国の皇帝の血を引く皇子が、平民の自分に対して頭を下げた。

 それには衛舜も驚きを隠しきれなかった。

「先生のお知恵を拝借しに参上したにも関わらず、話の半ばで冷静さを欠き退出しようとしてしまいました。どうか不肖なこの煌琉に、帝位への道をご教授ください」

「あ、頭をお上げください、殿下」

 さすがに慌てた衛舜は、琉に駆け寄り頭を上げさせた。

――まさかあの怒気を一瞬で収めて、その怒気を向けていた相手に頭を下げるとは。

 君子豹変す。

 豹は季節によってその毛が抜け替わり、その斑紋は美しく鮮やかになる。君子は自身の過ちを認めたとき、豹の毛皮が鮮やかに変化するようにその態度を改めるという。

 王者の才である、と衛舜は思った。

 帝道を歩まれるお方だ、と。

 そう思ったとき、衛舜は自然とその身を地に投げ出し平伏していた。


 琉は何が起きたのか、瞬時には理解できなかった。

「多大なご無礼を働きましたこと、どうかご容赦願います」

 先ほどまで威風すら感じられるほど堂々としていた景家の当主が、地に伏せ謝罪の言葉を述べている。

 そして衛舜はこれまでの言動が琉を観察するために敢えて怒らせるためのものであったことを明かした。

 それを聞いた琉は、思わず声を上げて笑っていた。

「ははは、そうでしたか」

「衛業が殿下を北面させたのもすべて私の指示です。お怒りはどうか私一人にお向けください」

「いえ、構いません。考えてみれば当然のことです」

 琉は衛舜が臣下として役に立つか、ということを見極めに来ていたのだ。相手が同じことを考えているとは、考えもしなかった。

「むしろ皇子というだけで、私の為人も知らず仕えようと考える浅慮な人物ではない、ということがわかり安心しました」

 その言葉に恐縮の色を満面に浮かべ再度平伏する衛舜。

 琉に促され立ち上がった衛舜は琉を北座に座らせ、自身は南に座し北面した。

 それは主従としての対面である。

 この瞬間、衛舜は琉の三人目の忠臣となった。


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