対面
琉は共藍の都市の近くにある小さな集落に訪れていた。
付き従うのは戒燕と志道の二人のみ。護衛の兵すら連れていない。
「いいところだな」
長閑、という表現がこれほどしっくりくる場所を琉は他に知らない。
目的の邸宅は、その長閑な集落に不釣り合いなほど大きなものだった。
当主の名は景衛舜。
商人の周氏に紹介された人物である。
景家は元々は弧国との貿易で財を成した大商人の家だという。弧国は偽海を挟んだ東側に位置する大国で、弦と並ぶ大陸東部地域の二大強国と呼ばれている。
その商家が、衛舜の祖父の代で突如として事業の全てを他人に譲り、この共州の田舎に移った。
その際に弦・弧両国を巡って蒐集した書物を倉を三棟埋めるほど持ち込んだという。
衛舜は幼少期にその書物の山を全て読破したという神童で、その才知は古の名軍師・呂子にも劣らないと周氏は胸を張っていた。
「あの胡散臭い商人の話を全て信じているのですか」
戒燕の顔には不信の色が浮かんでいる。
「商人とは、自身の商品を誇大に表現するものです。その景衛舜という男が話の通りの天才ならば、とっくにどこぞの官職に就いているはず」
「まあそうかもしれんが、話半分としてもかなりの逸材ではないか」
琉とて周氏の話を全て信じているわけではない。半分どころか十中八九は誇張だろうとさえ思っていた。
それでも智謀に優れた人材が在野にいるのならば会って損はない。
琉は座して待っていても望むものは決して手に入らないことを知っていた。
景家の門を叩くと、一人の少年が対応に現れた。冠をしていないため、まだ冠礼前だろう。
「早朝にお邪魔致して申し訳ありません。私は共藍太守の煌琉と申します。ご当主の景衛舜殿はご在宅でしょうか」
「は、はい。お、お話は周殿から聞いております。お待ちしておりました」
少年は琉の丁寧な話し方にかなり驚いた様子だった。
相手は皇子なのだ。たとえ玄安の貴族に相手にされないような不遇の皇子であったとしても、平民にとっては雲の上の存在であることには変わりない。
少年は景衛業と名乗った。当主衛舜の子なのだろうか。
「こちらの席へどうぞ」
琉は衛業が案内した席へ座る。
右手側の窓から中庭が見えた。空には中庭を照らす朝日が輝いている。
「待て、こちらは南側ではないのか」
戒燕が声を挙げた。朝日は東から上る。それが右手に見えるということは、南の席で北面しているということだ。
しかし衛業は既に退出しており、戒燕の声は届かなかったようだ。
通常、客を迎えるときの席は、西に客人、東に主人とするのが礼である。
南北に向かい合うのは主従の対面だ。南側は従、即ち臣下や部下の席である。
琉を南側に座らせたということは、客人として遇せず、家の主として従者に会ってやろうとでもいうことであろうか。
「なんという無礼な対応か! 殿下、帰りましょう」
「構わないさ。景殿とはまだ主従の間柄でもなんでもない。今日は先生に教えを請いに来ただけだからな」
周氏に紹介してもらったものの、まだ会ったこともない人をいきなり臣下に、というのは失礼に当たるし、琉にとっても資質や為人のわからぬ人間を臣下に列に加えるわけにはいかない。
この日は景家の当主に知恵を借りに来た、という名目で訪ねているのだ。
先生を相手にするのならば南の席で問題ない。
しばらくすると、一人の青年が現れた。琉よりやや年上といったところか。先ほどの衛業という少年の兄でちょうどいい年頃だ。
青年は琉が南の席に座っているのを見ると、その顔を驚きに染めた。
「あっ、なぜそちらに。衛業が間違えたのですね」
慌てて西の席へ促す。
「大変なご無礼を致しました。普段自分が座る席に案内してしまったのでしょう。申し訳ありません」
琉らが西の席に着き、自身が東の席に座り対面すると、青年は自己紹介を始めた。
「申し遅れました。私が景衛舜でございます」
それは琉が会いに来た景家の当主の名である。
――まさか、こんな若い青年だったとは。
こんな立派な邸宅を構える一家の当主というからもっと年上の人物を想像していた。それでは先ほど案内をしてくれた少年・衛業は衛舜の子ではなく、弟ということか。
「あまりに若輩者で驚いておられるようですね。父が家を継ぐ前に病で早逝したため、私が継ぐしかなかったわけです。と言っても、日がな一日祖父の残した書物を読んでいるだけですが」
晴耕雨読どころか晴読雨読です、と笑う衛舜。
「周殿からある程度は話を聞いております。先代が遺された倉三棟分の書物を読破されたとか」
「ははは、さすが商人は良いように表現しますな」
「と、言いますと」
「”倉三棟の書物”というのは本当です。が、その大半は木簡や竹簡の書なのです」
木簡・竹簡は紙が発明されるまで文字を書いて記録することに使われていたものである。短冊状の木や竹の板に文字を書き、それを繋ぎ合わせ書物にした。
当然薄い紙と比べ場所を取るため、同じ”倉三棟”と言ってもその分量には大きな差がある。
それでも膨大な量になるのは違いはないだろう。
「先代が商人を辞めこの地へ来たのは、木簡竹簡を紙の書に写し取り、後世へ残そうという願いのためなのです」
先代の当主は道半ばで他界したため、衛舜がその遺志を継いでいるという。
「ですが、子供の頃は読む方に夢中になってしまい、書き写すことを忘れることもしばしばでした」
気恥ずかしげに笑う衛舜。
――膨大な蔵書を読破していたのは事実のようだな。
この若さでそれだけの蔵書を読破するのは並大抵のことではない。
会話の受け答えも聡明さを感じられるし、気難しい様子もない。
琉は既に臣下に迎えたい、と思うようになっていた。
「玄安へ戻るにはどのような方策が考えられるでしょうか」
衛舜の才能を見極め臣下に迎えるのが琉の目的であるが、名目上は「衛舜の知恵を借りに来た」のが目的なのである。
仮に衛舜が琉の臣下となることを了承しなかったとしても、その知恵だけは持って帰りたい。
「殿下は何故玄安へ帰りたいのでしょうか」
「この共藍の地は玄安、即ちこの国の中心から遠すぎます。もし玄安で変が生じたとき、ここにいたままではどうしても対応が遅れるでしょう。太子である兄上と帝位を争うには玄安にいなければ勝負にならないのです」
「殿下は皇帝になるために玄安へ戻りたい、と」
「はい」
琉の言葉を聞いた衛舜は小さく息を吐き目を伏せた。
そして❘徐に顔を上げ、琉の目を見つめる。
「無理ですな」
衛舜の口から発せられたのは、琉の僅かな望みを打ち砕く言葉であった。
「それは、玄安に戻るのが、ということでしょうか。それとも帝位に就くのが、ということでしょうか」
衛舜は琉の目を見つめ、はっきりとした口調で断言した。
「玄安に戻って太子と帝位を争っても勝ち目がない、ということです」
席次の話が出てきますが、中国の堂室制をモチーフにしていますが、厳密には堂室制とは異なります。
(堂と室の区別もない)




