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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
決戦
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決着

 皇帝が逃げた。

 戒燕の矢が煌登の御者を射抜き、それに恐れた煌登が逃げ去ったという報告を受けた衛舜は、その事実をすぐに全軍へ伝えた。

 そして前線の兵たちに「皇帝が逃げた! 皇帝が兵を置いて逃げたぞ!」と叫ばせることで、袁氏の兵にも伝えた。煌登は飾りの大将であり実質的な総指揮を採るのは袁永泉であるが、「皇帝が逃げた」という事実は彼我の士気に大きな影響を及ぼす。袁氏の鶴翼の陣における鶴の胴体に位置する鋳山軍も、共藍軍の猛攻を辛うじて受け止めていたがやがて後退に転じた。

 鶴の翼に位置するのは袁氏から遠い諸侯が中心である。彼らは袁氏に対して強い忠誠心を持つわけではなく、袁氏が勝つことに賭けて袁氏に与していただけである。袁氏の敗色が濃厚というこの状況において、まだ槍を手放さず奮戦を続ける者はごくわずかであった。

 もはや大勢は決していた。


 敗勢の混乱に包まれる袁氏軍の中で、気を吐いて奮戦する男がいた。

 高成建である。

 雀関を寡兵で守り、敗れはしたものの見事な撤退で被害を最小限に留めて玄安まで撤退した高成建は、その功によって袁永建から褒賞を与えられた。それは真に功績を讃えられてのものではなく、袁永建に見捨てられたとみた高成建が袁永泉に近付くことを恐れたための措置であった。そのことは高成建も承知していたが、表面上だけでも自分を重用しようとする袁永建の近くにいることが自身と自家の栄光に近づけると考え、袁永建の陣営に留まった。

 高成建は徹頭徹尾、袁永建に賭けたのである。

 その姿勢は袁氏軍が敗勢に陥っても変わることはなかった。

「陣を後退して態勢を立て直す。それまで敵を押し留めよ」

 袁永建からのその命令を、高成建は従順に遂行した。逃げ惑う味方を収容し、襲い来る敵兵の攻撃を受け止めた。

 態勢を立て直した袁永建の部隊が反攻に転じて援けに来る。そう信じて、高成建は戦い続けた。しかし、その想いは応えられることはなかった。

「本陣の反攻はまだか」

「将軍、本陣は既に撤退しました。反攻はありません」

 そう進言する側近を高成建は思わず睨みつけたが、すぐに視線と共に肩を落とす。高成建とて本陣の反攻がないことは既に察していた。高成建に与えられた程度の寡兵で、勢いに乗る反袁氏軍の攻勢を押し留め続けることなど、到底不可能である。それでも、袁永建に賭け続けた高成建はその賭けに敗れたことを認めることができず、ここまで奮戦を続けてきた。

「将軍。もはやここまでです。降伏しましょう」

 側近の説得に周囲を見渡すと、兵たちの縋るような視線が高成建に向けられていることに気が付いた。

 高成建の周囲を固めるのは、雀関防衛のときにも高成建に従った兵たちである。これ以上戦い続けるということは、ずっと寡兵で戦い続けてくれた部下たちに死ねと言うも同じことであった。

 ついに高成建の部隊も降伏した。


「勝った……、のか」

 最後まで前線で槍を振るい続けた琉は肩で息をしながら、敵兵が武器を捨て降伏していく様を見つめていた。

「配下の兵を置いて逃げるような美しくない皇帝の軍が勝てるはずがありません」

 琉を護って戦い続けた清隆も、さすがに琉と同じように肩で息をしている。

「殿下! ご無事でしたか!」

 戒燕が琉の下へ駆けつけた。

「おお、戒燕。聞いたぞ、お主が登の御者を射抜いたそうだな」

「偽帝を狙ったのが外れただけです。偽帝の逃げ足が速すぎたため、二の矢を放てませんでした」

 戒燕の矢が全軍の勝敗を決したようなものであるにも関わらず、戒燕は煌登を仕留め損ねたことを本気で悔しがっていた。

「敵の大部分は降伏したが、登や袁永建、袁永泉などはまだ捕らえられておらぬ。戒燕、すぐに追撃をしてくれ」

 琉の命に、戒燕は再び駆け出していった。

 煌登はすぐに追撃の兵に発見された。

 正確には、追撃の兵が発見したのは煌登の死体であった。

 煌登が死体となった経緯は、直後に捉えられた側近の兵によって明らかになった。


 戦場から先頭を切って逃げ出した煌登を待っていたのは、閉ざされた玄安の城門だった。

「城門を開けよ! 私は弦の主である皇帝であるぞ!」

 しかし、煌登の声に応えたのは、降り注ぐ矢の雨だった。

「お前などは皇帝ではない! この玄安は正統な主の下へお返しする!」

 袁氏に背き玄安を占拠したのは、盤呉丹の息子、盤志丹(したん)である。

 父は自身の判断を封印し社稷の主の席にいる者に従い袁氏の軍に加わっていたが、息子は自身の判断によって従うべき者を定めたのだろうか。あるいは既に社稷の主は換わったと見たのか。

 いずれにせよ、煌登は玄安に入ることは叶わなかった。

 途方にくれる煌登は、やがて追いついた袁永建と合流した。

「鋳山に身を寄せる」

 そう判断した袁永建だったが、恐慌に陥る煌登は早口に不安を口に出していく。

「鋳山のような小国で、あの軍勢を防げるのか。我々に協力していた諸侯も皆敵軍に投降したのではないのか」

「他にどうしようもあるまい。まずは鋳山で落ち着いてその後の策を考えるのだ」

「そうだ、義兄上二人を王に封じて封地を加増すれば、満足して兵を収めるのではないか」

「無駄だ。共王は既に王の位を捨ててこの兵を挙げているということを忘れたか」

「で、では、弦の国土を三分し、義兄上二人も皇帝として認めれば……」

「もはやそのような事態ではないことがどうしてわからぬのだ!」

 袁永建の怒声に驚き、身を硬くする煌登。

 しかし恐怖と不安に押し潰される煌登の口は、心中の感情の吐露を止められなかった。

 ああすれば良かった、こうすれば良かった、と並べ続ける煌登に、袁永建は一つずつ否定していった。袁永建とすれば、最善を選択し続けたつもりである。少なくとも、自分に担がれるまま帝位に座っていただけのこの甥が考え付く程度のことは、既に考えた上で選択してきたつもりだ。

 浅い考えで伯父を非難する煌登は鬱陶しく思うが、それでも煌登が帝位に座っていたおかげで袁永建は権力を振るえてきたのだ。多少のことは我慢していた。自分に対抗させるために袁永泉を呼び出したことも不快ではあったが、子供の浅知恵と高をくくっていた。雀関に援軍を送れなかったことは腹が立ったが、この玄安での決戦に勝てば良いと考えていた。

「そもそも、伯父上がもっと上手く国を治めていれば良かったのではないか」

 しかし煌登が最後に発したその言葉で、ついに袁永建の怒りは頂点に達した。

「誰のお陰で帝位に座れていたと思っているのだ! ただの御輿飾りの分際で偉そうなことを!」

 腰の剣を抜き払う袁永建。

「既に輿は破壊された。もはや飾りは不要だ」

 怒りに任せ甥を殺した袁永建は、死体をそのまま放置し鋳山の方向へ去っていった。


 報告を受けた琉は、すぐに鋳山への進軍を指示した。

 煌登は袁永建に殺され、袁永泉も戦死が確認されていた。残るは袁永建のみである。袁永泉はどれほど劣勢になろうとも、最後まで逃げずに奮戦していたという。

 玄安での戦後処理は景兄弟に任せたが、その際に琉が特に指示したことが二点あった。

「宝物庫に封印を施し、義兄上が兵をまとめて玄安に入るまで中の物には手を触れるな」

 琉が兵を挙げたのは私欲によるものではなく義憤によるものであり、あくまでも兄である長清公を立てる姿勢を明らかにするための指示である。

 これは衛舜も同様に考えていたことであったが、二つ目の指示には衛舜も驚きを隠せなかった。

「袁貴妃を保護せよ。室内には誰も入れぬように」

 袁貴妃とは、煌登の生母である袁玉永のことである。袁氏は彼女を皇帝の生母として皇太后と称していたが、煌登を偽帝をする琉たちとしては、袁玉永は平帝の貴妃に過ぎない。

 衛舜は袁玉英を保護する理由に、すぐには思い至らなかった。後に民の怒りを宥めるための生贄にするのかとも思ったが、それならば「保護せよ」ではなく「捕らえよ」と言うはずである。何よりそのような指示をわざわざ出すような酷薄な主君ではない。

「民の怒りの矛先は全ての袁氏の者に向けられる。袁貴妃は息子を兄に殺された哀れな女だ。彼女を見つけた兵に殺されるのは忍びない。民の怒りは全て袁永建に受けてもらう」

 そう言う琉の視線は既に袁永建が逃げ去った鋳山の方へ向けられていた。その目は、煌登を利用するだけ利用し、不要になると無残に切り捨てた男に対する怒りに染まっていた。


 共藍軍が鋳山を包囲すると、すぐに琉の下へ袁永建の身柄が突き出された。鋳山公が保身のため袁永建を捕らえて投降してきたのである。

「この男が弦の国土を乱したことを、一族の当主として謝罪申し上げます」

 恭しく頭を下げる鋳山公。

 しかしその態度が、琉の怒りを頂点にまで押し上げた。

「お主も袁永建を利用するだけして、無用となれば切り捨てるのか!」

 琉の中の鬼が、再び目を覚ました。堰無夷を殺したあの鬼である。

 鬼が琉の身体を支配し、腰の剣に手をかけた。

 そのとき、琉の脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。

――玲寧……。

 このまま心中の鬼に身を任せ、刃を振るったらどうなるか。玲寧のように悲しみ、恨みを抱く者が現れるのではないか。無論、恨まれる覚悟はできている。しかし無闇に悲しむ者を生む必要もない。

 琉は心中の鬼が小さくなっていくのを感じた。

「この二人を捕らえよ。裁きは玄安において行う」

 琉は抜きかけた剣と共に、怒りを収めることができた。


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