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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
共藍
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二人の商人

 共藍は弦国南西の端にある辺境である。

 共藍とは郡の名であり、同時にその中心都市である県の名でもあった。

 通常、県が複数集まり郡となり、複数の郡で州を構成する。しかし共藍の場合は共藍県一つで共藍郡を構成しており、共藍郡が属する共州(こうしゅう)には他に郡はない。これは共藍が余りに辺境であり、周辺に郡や県を構成するほどの都市がないためである。

 琉たちはその共藍の入り口に当たる共関(こうかん)に着いた。

「志道!」

 琉が関門の前で待つ小柄な男に声をかけた。

 琉の到着を伝えるために先に走っていた董志道である。琉の初陣の際に琉が屯長に抜擢し、局地戦の勝利に大いに貢献した人物である。

 志道はあの戦勝後、琉に対して臣下の礼を取り忠誠を誓っていた。戒燕に次いで二人目の臣である。

 この共藍行きにも、妻子を伴い随行していた。

 その志道の隣に長身の男が待機していた。

「遠路遥々ようこそお出でくださいました、太守」

 琉が馬車から降りると、男が近づき恭しく拱手する。。

「お初にお目にかかります。黄文嘉(こうぶんか)でございます。郡丞として太守の補佐をさせて頂きます」

 郡丞は太守の補佐を務める官職である。黄郡丞は前任の太守の時から郡丞として共藍を治めていた。この地が初めての琉にとっては、彼に頼らねばならないことも多いだろう。

「ここまで出迎えに来てもらえるとは有り難い」

「共関の修繕の要請がありまして、その視察も兼ねております。せっかくですので、見て行かれますか」

 そう言って黄郡丞は関所内を案内した。

――なかなか仕事熱心で真面目な人物らしいな。

 施設の損傷は軽微なものであった。

 琉はこの程度の損傷でも修繕を行うのか、と感心した。

 初陣で戦功を挙げるために用兵についてはある程度学んでいたが、施設の運営などについては未だ関わったことはない。

――学ばねばならぬことも多いな。

 早く玄安に戻りたい、という琉の気持ちに変わりはなかったが、せっかくこのような辺境へ来たのだ。吸収できるものは吸収しておくつもりだった。


「もう見えてきますよ」

 黄郡丞の言葉通り、坂を上り切ると遠くに大河が見えてきた。

――川幅が狭いと聞いていたが、あくまでも北河(ほくが)に比べて、というわけか。

 弦には大河が二つ、その身を横たえている。

 北の北河と、南の南江。

 共に西部の山地を水源とし、東の偽海(ぎかい)と呼ばれる巨大な湖に注いでいる。文明の黎明期にはこの二つの大河に寄り添って発展してきたらしい。

 玄安は北河の南岸にあるため、琉もその流れは見慣れていた。しかし、南江の雄大さは北河とはまた違った迫力が感じられる。

 南江は北河に比べ川幅こそ狭いが、その流れの激しさは穏やかな北河とは比べ物にならないという。

 その南江の北岸に共藍の街はあった。

「意外と活気があるな」

 街に入った琉はわずかながら驚いた。辺境というからもっと閑静な街を想像していたのだ。

「共藍は良質な鉄を産出することで知られておりますので、それを買い付けに来た商人たちでございます」

 言われて見ると、確かに商人の数が多いように思われた。

――商人の街なのか

 弦国各地を巡る商人が多ければ、辺境とはいえ意外と情報は集まりやすいかもしれない。

 街の活気に接し、琉の心境もやや明るさを取り戻しかけていた。


 県城に入り一息吐くと、黄郡丞が一人の男を連れてきた。

 新太守である琉へ一言挨拶をしたいという。

「お初にお目にかかります、殿下。私はこの共藍の商人どもを纏める商会の長をしております、李玉堂(りぎょくどう)でございます」

 李氏は中肉中背で、中庸を絵に書いたような外見の人物だった。

「ほう、商人か。これから世話になることも多いだろう。そのときはよろしく頼む」

「ご贔屓頂ければ幸いにございます。さしあたっては、ご挨拶の品を献上差し上げたいと思いまして」

 そう言って従者に持ってこさせたのは、多量の金銭であった。

「なんだこれは」

「ご挨拶の気持ち、でございます」

「商人が見返りなく金を出すわけがないだろう。要求はなんだ」

 李氏の表情に一瞬驚きの色が浮かぶ。琉の言葉はこの金銭が賄賂であるということを理解し、受け入れたとも取れるものだった。

 しかしその顔はすぐにまた愛想笑いに染まる。

「大したことではございません。”これまで通り”をお許し頂きたいのです」

 これまでやってきた活動を変えず、前太守の時と同じようにしたい。それが李氏の要求だった。

 言葉通り大した要求ではない。琉も殊更に民の生活に干渉する気もなかった。

 琉の今一番の関心事は、いかに早く玄安へ戻れるか、ということだ。

「安心せよ。民の生活を邪魔立てするようなことはしない」

「おお、それはありがとうございます。これで安心して商いができるというものです」

「だが、この金は受け取れん。そのまま持って帰ってくれ」

 李氏の顔から愛想笑いが消えた。

「殊更に何かを変えるつもりは今のところはない。しかし余りに不条理なものなど、必要に迫られれば変えざるを得ないものもあるだろう。”変えない”と約束することはできない、ということだ」

 そもそも”これまで通り”が、具体的にどのようなことを指すのかも明らかにしていないではないか。ここでこの金を受け取ってしまえば、後で具体的な要求を出されたときに拒絶しにくくなる。

 その言葉に黄郡丞が慌てた様子で割って入る。

「太守! この街で商人らと対立すると何かとやっかいです。ここは黙ってお納めするのが賢明かと思われますが」

「別に対立しようというわけではない。具体的な内容もなく約束はできないというだけのことだ。もっと具体的な要求があるのならば、陳情を挙げれば可能な限り聞いてやろう。その際も金銭など不要だ」

 金銭は受け取らない、ということは、特別扱いはしない、という宣言である。

 その言葉を聞いた李氏は、従者に金銭を下げさせ、型通りの挨拶の後に退出した。

 弦において賄賂を禁ずる法はあるが、それが形骸化されていることは琉も知っている。役人が賄賂を取り私腹を肥やしているのは、多くの地域で当たり前に行われていることなのだ。

 しかし琉はこれまで、金銭という力でもって不条理を押し通す貴族たちに苦汁を味わわされてきたのだ。

――水清ければ魚棲まず、というが、私は清水に移る月を大事にしたい。

 それが母の遺言である「立派な皇帝」への道につながるような気がしていた。


 翌日、別の人物が琉への下へ挨拶に訪れた。

「お会いになられない方がよろしいかと存じますが」

 黄郡丞の話では、近頃共藍に出入りするようになった流れ者の商人で、当然ながら前日訪れた李氏がまとめる商会にも属さないらしい。

 素性の知れない人物のため近づかない方がいい、と黄郡丞は言う。しかし琉にとっては昨日の李氏も元々は素性の知らぬ人間である。会わない理由はない。

「構わん通してくれ」

 現れたのは痩身の男だった。

 商人のご多分に漏れず、その顔には作り笑いが張り付いていた。

――不思議な雰囲気の男だな

 他人の顔色から感情を読むことを得意とする琉だが、その男の細い目からは感情が読みにくかった。

「初めまして、お目に書かれて光栄にございます、殿下」

 男は周永全(しゅうえいぜん)と名乗った。

「お主も賄賂を持ってきたのか」

 前日の李氏の印象が残っている琉は、いきなりそう切り出した。

「とんでもございません。本日は買い付けに参ったのではなく、御用聞きのために参りました」

「御用聞き、ほう」

 賄賂という代価を払って要求という商品を引き出しに来たのではないという。

「殿下はこの共藍にお付きになったばかりとお伺いいたしまして、何か不足の物もございましょうと思い、参上した次第でございます。ご注文があれば大抵の物はご用意させて頂きます。もちろん、品物に応じた代価は頂きますが」

 代金を請求する。その当然の内容をわざわざ明言した。

 賄賂、という単語を発した琉に対する牽制だろうか。

――これは対等の取引である、ということだな。

 一方的に金銭を差し出しすり寄ろうとする輩よりは、ずっと信頼できる。

「ははは、代価は当然お支払する。不足の物、か、そうだな……」

 自分に不足の物は何か、と思考を巡らす琉。

 しばしの沈黙の後、その脳裏にあるものが浮かんだ。

「人が欲しい」

「人、でございますか……。あいにく人身売買はしておりませんので……」

「そうではない。私の臣下となる人物を推挙して欲しいのだ。商人ならば顔は広かろう」

 琉に足りないもの。それは信の置ける臣下だ。

 有能な忠臣は既にいる。戒燕は武勇無双の猛将であり、志道も異能ともいえる諜報・斥候能力を持つ稀有な人材だ。

 しかしそれだけでは足りなかった。

 琉が相手にしようとしているのは、弦の次期皇帝である太子・煌丞とその周囲を取り巻く玄安の貴族たちなのだ。

 有能な臣下は、どれだけいても足りない。

 そして琉が臣下を欲するのは数以上の理由があった。

「智謀に富んだ者がいれば言うことはない」

 二人の忠臣は戦場においては能力を発揮するが、帷幕の内側で謀略を巡らすことに向く類の人間ではない。謀略に長ける臣下がいれば、煌丞に玄安を追い出される前に何か手を打てたかもしれない。

 策士はどうしても必要だと思っていた。

「そうそう有能な人材がいるとは思っていない。駄目で元々と試みに訊ねているだけだ」

 正直なところ、言ってはみたものの琉はほとんど期待はしていなかった。

 有能な人物であれば、とうに官職に就き煌丞派なり丞相派なりに取り込まれているだろう。

「一人、心当たりがございます」

 周氏の口から発せられたのは、琉の予想とは裏腹な返答だった。


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