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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
決戦
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社稷の刃

 琉が軍議の開かれる帷幕の中に入ったとき、既にほとんどの参列者が集まっていた。

 琉の席は煌崔の隣。今回の軍は長清公と共藍公との反袁氏軍であるため、首座には煌崔と琉の二人が並ぶことになる。

「すみません、兄上。少し遅れましたか」

「いや、構わない。早速始めよう」

 反袁氏軍への合流に遅れた煌崔は、琉の僅かな遅刻を責めることはなかった。

「まず、両軍の兵力を確認します」

 反袁氏軍の軍勢は、総勢約十一万。

 共藍軍が二万。銀洞などの賊軍が投降した兵が併せて二万。長清軍が二万。この他、檄文に応じて集まった諸侯貴族の軍が併せておよそ五万に及ぶ。

 対する袁氏軍は約十五万。

 鋳山国軍が五万。弦国袁氏の兵が二万。その他袁氏に組する諸侯貴族の軍が併せて五万。そして玄安の兵が三万。玄安兵三万の中には、あの黒竜軍も含まれる。

「黒竜軍を率いるのは、あの盤将軍です。おそらく先陣を切って出てくると思われます」

 その報告に、軍議に参加している諸将の顔が険しくなる。

「黒竜軍に盤将軍か。この弦国においてこれ以上の組み合わせはあるまい」

 盤呉丹は琉の父である平帝の時代から今日に至るまで”弦国最強”と呼ばれ続け、その武名は衰えることを知らない。その盤呉丹が精鋭中の精鋭である黒竜軍を率いるという事実だけで、彼我の士気に与える影響は計り知れない。

「ならば先陣はこの俺にお任せください!」

 名乗り出たのは、琅琅である。

「元々弦国の民ではない俺や桟河の戦士たちに、その武名の影響はありません。」

 確かに琅琅の顔に恐れの色はない。

 しかし名乗り出たのは琅琅だけではなかった。

「私が、盤将軍を破ってみせます」

 戒燕の口から発せられたのは、静かな、しかし確かな闘志を秘めた言葉だった。

「弦国に生まれた武人として、盤将軍は幼少のころからの目標であり憧れでした。その盤将軍と戦場で対峙できるということは、これ以上の誉れはありません」

 戒燕が口にした”憧れ”。

 その感情は時に上昇の風を掴む翼となることもあれば、逆にそれを阻む鎖ともなり得る。

「勝てるのか」

 戒燕の心中にあるのは、翼か鎖か。それを見極めるため琉の問い。

「必ず勝って、弦国最強の名を手に入れて参ります」

 戒燕の顔には、決意と覚悟の色が濃く浮かんでいた。そして、僅かな恐れの色も。

 しばしその顔を見つめていた琉は、決断を下す。

「わかった。先陣は戒燕に任せよう。琅琅、今回は譲ってくれるか」

 琅琅も戒燕の並々ならぬ決意を察し、先陣を譲った。

 他の諸将からも異論は出なかった。


 数に勝る袁氏軍は、鶴翼の陣を展開し反袁氏軍を迎え撃った。

 対する反袁氏軍は魚鱗の陣で正面突破を狙う。

 魚の鱗の先頭には戒燕が率いる騎馬部隊。反袁氏軍の中核を成す共藍軍の中から精鋭を選りすぐった部隊である。

 その攻撃を受け止めるのは、袁氏軍の鶴の首に当たる部分。黒い鎧で揃えられたその部隊は、弦国の守護神に準えて黒竜軍と呼ばれている。

 両者の突撃が開戦の合図となった。

――戒燕ならば、必ず勝ってくれる。

 琉の幼少期から近くにいてくれた頼れる存在である。その戒燕を信じずして、いったい何を信じられようか。

 両軍が衝突し、戦場の中心で激戦が繰り広げられる。それに呼応し、袁氏軍の鶴の翼が前進を開始する。徐々に包囲網を構築していくつもりであろう。

 翼に対応するのは、長清軍や諸侯の軍。彼らが持ちこたえてくれている間に、共藍軍が鶴の首を取らなければならない。

 祈るような想いで戦場を見つめる琉。

 その視線の先で、最も信を置く戒燕が戦っている。


 戒燕が激戦の中でその姿を見つけたとき、周囲全ての音が消失したように感じた。

 豊かな髭を蓄えた偉丈夫。

 弦国の全ての武人から尊崇の念を集める最強の武人、盤呉丹その人である。

「我こそは郭戒燕! 盤呉丹! 尋常に勝負せよ!」

 大音声で呼ばわる戒燕。

 戒燕の姿を認めた盤呉丹は、戦場とは思えぬほどゆったりした動作で向き直った。

「おお、郭戒燕。久しぶりだな」

 両者の対面が持つ意味を察した周囲の兵たちは、一時戦闘を中断し、二人を取り囲む。あっという間に、人の壁によって即席の舞台が構築された。

「盤将軍ほどの人物が、私をご存知だとは光栄の極み」

「姜涼との戦のとき、あの侑軒を生け捕りにした勇者を忘れるものか」

 それは琉と戒燕の初陣のことである。姜涼族屈指の武人と名を知られていた侑軒と対峙した戒燕は、見事に勝利し生け捕りにした。盤呉丹はそのことを覚えていたのである。

「あのときはこうして敵同士で対峙することになるとは思わなかったがのう」

「それはこちらの台詞。貴方は弦国最高の武人であるにも関わらず、なぜ袁氏の如き無道を働く輩に与するのか」

 その問いに盤呉丹はすぐには答えず、ゆったりと自身の豊かな髭を撫でる。

「郭将軍よ、私の持つこの大刀がこれまで幾人の敵を屠り、その血を吸ってきたかわかるか」

 盤呉丹の発した言葉は、戒燕の問いに対する答えではなかった。

「その数はもはや私自身にすらわからぬ。その数は私の武功そのものであり、その武功によって私は”弦国最強”と称されているのだ」

 誇らしげに大刀を掲げる盤呉丹。

「過去の武功を誇るのが、戦場における貴方の流儀か」

「そうではない。その武功が何によって立てられたか、という話だ」

 そう言いながら、盤呉丹は配下の兵を一人、近くに呼び寄せた。

 そして無造作にその大刀を兵に向かって放る。なんとか大刀を受け止めた兵であるが、その重みを支えきることができず、尻餅を突いて倒れてしまった。

「見よ。この大刀は並大抵の男では持つことも叶わぬ」

 すぐに他の兵が駆け寄り大刀を持ち上げ盤呉丹に返す。その重さは兵が二人がかりでようやく持ち上げられるほどであった。

「郭将軍のその鉄槍も同じようなものだそうだな。この大刀もその鉄槍も、それだけでは武功を立てることはできぬのだ」

 兵から受け取った大刀を演武のように振り回す。その様はまるで大刀が喜んでいるようにも見えた。

「武器はそれを扱える者が持って初めて功を立てることができる。私もそれと同じなのだ」

 武器は武人が扱って初めて用を成す。

 では武人を扱うのは誰か。

「私もこの大刀と同じく、誰にでも扱えるものではない。扱って良いものでもない。だから私は、私という刃を扱う主を弦の社稷と定めたのだ」

 社稷とは祭祀を行う祭壇のことであり、転じて国家そのものを指す語でもある。盤呉丹が大刀を振るうのは、袁氏のためではなく、弦という国家の刃となるためであるということである。

「その社稷を牛耳っているのが正統な主ではなく、血塗られた手でその座を簒奪した偽帝だとしてもしてもか」

「正統か正統でないかは、ただの刃である私にはわからぬ。そんなものは後世の人間が決めることだ。そして多くの場合、勝者が正統と見なされる」

 大刀を構え直す盤呉丹。

「少々饒舌になりすぎたな。久しぶりの猛者を目の前にして高揚しているようだ。我らは武に生きる者。これ以上舌を動かしても詮は無い。武人は武人らしく、武によって語るのみ」

「貴方が袁氏に与する理由に同調はできぬが、武によって語るという点について異論はない」

 戒燕もそれに応じ、鉄槍を構える。

 弦国最強の名と、弦国の未来を賭けて武を競う。武人としてこれほど高揚する瞬間があろうか。

 歓喜に震える身体を叱咤するように、腹から気合いの咆哮を吐き出す。

 同時に両者が駆け出した。

 馬がすれ違う。

 激しく重い金属音が空気を震わした。

「さすがだな、郭将軍。あの侑軒を生け捕りにしただけのことはある」

「貴方も。長年に渡り”最強”の名を(ほしいまま)にしてきただけのことはある」

 ただ一度の打ち合いで、両者は互いの実力がただの噂だけではないことを察する。

 そしてニヤリと笑みを交わした両者は、再び馬を駆け、武器を振るい、打ち合った。

 双方の馬がすれ違う度に火花が散る。

 両者の実力は伯仲していた。傍目には何度打ち合っても決着が付かないように思われたが、しかし対峙する両者は徐々に形勢が傾きつつあることを確かに認識していた。

「盤将軍、これ以上はもはや無意味であることは、貴方ほどの武人であれば十分に理解できているはず」

 勝利宣言に近い戒燕の言葉。

 実力伯仲の両者であったが、勝敗を分ける決定的な差があった。

 十数合打ち合った両者であるが、戒燕は額に汗を浮かべてはいるものの息を乱すことはなく威風堂々とした雰囲気に揺らぎはない。しかし盤呉丹は肩で息をしており、限界が近付いていることは誰の目にも明らかであった。

 二人の差。それは年齢だった。

 戒燕は若く、気力体力共に最も充実している年齢であるのに対し、盤呉丹は既に不惑と呼ばれる年齢を越え体力の衰えは隠しようもない。幾度かの交差の中で、盤呉丹の豊かな髭に白いものが混じっていることを戒燕も気付いていた。

 むしろこの年齢にして若い戒燕とこれまで互角に打ち合えていたことこそが、盤呉丹の”最強”の名が飾りではなかったことの証明と言える。

 しかしそれでも現実の勝敗を覆すことは叶わない。

「もはや勝敗は明らか。貴方をこの鉄槍で貫くのは忍びない。どうか投降して頂けぬか」

「小僧! この俺を愚弄するか!」

 投降を促す戒燕に、盤呉丹は赫怒した。

「俺は冠を被るより前に兜を被り、筆を持つことを知る前に槍を握り、以降現在に至るまで戦場に立ち続けてきたのだ。ただの雑兵に過ぎなかったこの俺が、この身一つで立てた武功のみで、今や馬上において弦国最精鋭である黒竜軍を率いるまでになった。昨日今日槍を握るようになったお前のような小僧とは、潜り抜けてきた修羅場の数が違うのだ!」

 まさに怒髪衝天という言葉をそのまま具現化したような形相であった。

「投降する気などは微塵もない。殺せるものなら殺してみろ!」

 怒気と共にそう吐き捨てると、再び大刀を構える。

 武に生きる戒燕には、怒り狂う盤呉丹の気持ちは良くわかる。しかしそれでも投降を促すことを止められなかったのは、生ける伝説と言うべきこの偉人を殺すことが惜しいと思うからだった。

「仕方ありません。貴方はやはり生粋の武人だった」

 武人には武人に相応しい最期がある。それをこれから戒燕が与えなければならない。

 鉄槍を構え直す。

 再び両者の馬が駆け出し、すれ違う。

 今度の交差において、今までのような重く激しい金属音はなかった。

 盤呉丹の大刀の一閃を、戒燕は潜るようにかわす。

 そしてすれ違い様にその手に握った鉄槍で、永らく弦国最強と謳われた偉大な武人の胸を貫いた。


 盤将軍が討たれた。

 その事実に、両軍の将士に大きな衝撃が走る。

「盤将軍の遺体を収容せよ。丁重に扱うのだ。大刀も忘れるな」

 左右の者にそう指示した戒燕は、将を失った黒竜軍に向かって高らかに宣言した。

「我が名は郭戒燕! 盤呉丹を討った弦国最強の武人だ! かつての最強を貫いたこの鉄槍で同じように貫かれたい者は、我が前に出てくるが良い!」

 戒燕が黒竜軍に向かって駆け出す。

 その前立ちはだかる者は、誰一人としていなかった。


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