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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
決戦
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雀関

 雀関は玄安を守る戦略上の最重要拠点の一つであるが、民の間では別の呼称も一般に広まっている。

 ”登竜門”である。

 玄安への留学のため多くの学生が南方からこの門を通過し北へ向かっていく。その先にある玄安で学問を修め、各地の有力者と誼を結び、高位の官職を得る。それを鯉が滝を登り竜になる様に重ねて、そう呼ばれているのである。

 かつて、琉はこの門を北から南へ抜けて共藍へ向かった。その時の琉は、登竜門を逆行し共藍という辺境に追いやられることに対する失意に支配されていた。

 そして今、門扉を閉ざした雀関が琉の行く手を阻んでいる。

 しかし、その心中に失意の念はない。

――この門を通り、竜になるのだ。

 この雀関を突破し、玄安にいる偽帝と袁氏を打ち砕き、竜の如き飛翔を果たす。

 その決意に満ちていた。


 雀関を守る将は高成建(こうせいけん)という猛将である。

 元は北方の辺境に僅かな領地を与えられた諸侯の末端の家柄であったが、諸侯とは名ばかりの貧乏貴族であった。高成建はそんな家を再興しようと、玄安に上り武官として幾多の戦場に立ち功績を挙げた。

――ここで反袁氏軍を討ち果たせば、より名を上げられる。我が家はかつてない栄華を誇ることができる。

 それが高成建の目的であり、願いであり、生きる希望であった。

 そのために必要なものがあった。

「援軍はまだ来ないのか」

 左右の者に苛立ちと共に問うが、答えは聞かずともわかっている。

 現在、雀関には数千程度の兵しかいない。建国以来戦乱に晒されたことのない雀関は、平時においては夜間に開閉するに必要なだけの人員しかいない。反袁氏軍が立ったことで急遽門は閉ざされ兵が配置されたが、その数はまだ十分とは言えない。

「相手は十万にも届こうかという規模になっている。これだけの兵で持ちこたえられるわけがない」

 幾度となく増援を求める使者を玄安に送ってはいたが、一向に増援が現れる気配はない。

「袁相国は何を考えておられるのか」

「おそらく陛下が鋳山から呼び寄せられた、袁永泉将軍の働きかけと思われます」

 そう話すのは、玄安から復命した使者である。

 袁永建が雀関の防衛に兵を動かしたのは、袁永泉が玄安に到着するよりも前のことである。袁永建は反袁氏軍が雀関攻略に動き出してから援軍を送るので十分と考え、事前に大軍を配することはなかった。それは反袁氏軍が雀関の攻略に動かず、東の偽海沿岸部や雀関よりも更に西の山地を迂回するなどの方法に出たときに、柔軟に兵を運用させるためであった。

 しかし実際に反袁氏軍が雀関の攻略に動き出したとき、兵の指揮権は袁永泉に移されてしまっていた。袁永泉は、袁永建の戦略的判断が失策であったように見せるため、意図的に援軍の派遣を遅らせているのである。

 援軍が現れない以上、高成建は苦境に立ち続けることになる。如何に堅牢な雀関とはいえ、十倍にも迫ろうという戦力の差を前に、いつまでも持ちこたえられるものではない。

――おのれ、袁永泉め……!

 高成建の内心に怒りの感情が湧き上がる。

 しかし高成建には、撤退を選択することはできなかった。

――寡兵であろうとも奮戦を続け雀関の陥落を遅らせることができれば、我が武名を高騰させることができるかもしれない。

 名を上げて自家を興隆させる。その一点にのみ、高成建の視線は向けられていた。


 反袁氏軍は、策を弄することなく正面から猛攻を仕掛けた。

 天下に名立たる雀関を策によらず正面から破砕する。それによる士気の高揚を企図していたためである。

 雀関は高成建の奮戦によって数日持ち堪えたものの、そこまでが限界であった。もう持ち堪えられないと見た高成建は、それでも配下の兵を巧みに撤退させて被害を最小限に抑えて玄安へ引き上げていった。外から攻めていた反袁氏軍にして見れば、頑強な抵抗を見せていた雀関守備兵が関門を開いてみると煙のように消えてしまったかのように感じられたほどである。

「守将の高成建は名将だな」

「まさしく。あのような将が玄安にいるということは、脅威と考えなければなりません」

 そう琉に語る衛舜であったが、この勝利で最も注目していたのは守備兵が(すくな)いことであった。それは即ち、戦略的な作戦の失敗を意味する。

 守将の高成建が如何に名将であっても、これほどの寡兵での勝利は困難を極める。仮に勝利を得たとしても、それによって得られる勝利は戦術的勝利、すなわち局地戦での勝利でしかない。戦術的な勝利で戦略的な勝敗を左右することは難しい。

――玄安で何かがあったのか。あるいは袁永建は戦下手なのか。

 政争における非凡な才能を見せる策士が、戦場においては凡庸な将にも劣るということは珍しいことではない。平帝の時代に丞相として泰平の世を支えていた杜伸季はその典型であった。杜伸季の非凡なところは、その自身の弱点をよく理解し、戦場においては煌丞などの優秀な将に全てを任せていたことであったのだが。

――果たして袁永建はどうか。

 とはいえ、過去に戦場に立った記録のない袁永建の将器を測る術はない。袁永建が凡庸であるか、有能でありながらその才が発揮できないかは判断できない。

 そこまで思考を巡らせた衛舜は、あることに気付き小さく苦笑した。

――私も人のことは言えないな。

 衛舜はこれまで共藍の統治においては琉の右腕となり大いに援けてきたという自信と自負があった。しかし戦場に立った経験は僅かであり、数万の大軍を率いるのもこの戦が初めてのことである。

 自分はあくまでも総大将である琉の補佐という立場でしかないが、主君から自身に向けられているであろう信頼を考えると、その役目が軽いとは思われない。

 衛舜は自身の心身をかつて感じたことのない緊張が支配していることに気が付いた。


 雀関を抜けた反袁氏軍はそのまま玄安へ向かって進路を取った。

 しかしその速度は牛歩にも劣るほどの遅々としたものであった。

 その理由はいくつかある。

 一つは兵士の休息のため。陵山から雀関を連戦を続けてきた兵を休め、玄安での決戦に備えて英気を養わなければならない。

 もう一つは玄安の状況を調べるため。それにより、雀関の寡兵の理由が袁永建と袁永泉の対立によるということも分かった。

 そして何より大きな意味は、新たな戦力を待つためである。

 琉が待っているのは未だに旗幟を明確にしない諸侯貴族。そして長清へ向かった煌崔である。長清へ向かった煌崔が袁氏の長清公を排除し民と将士を取り戻したという情報は、既に琉の元に届いている。

 しかしその後の長清軍の動きが見えてこない。

 そのうち、長清公は現れないのではないか、というそんな噂が軍中に湧き始めた。

 反袁氏軍を単独で袁氏軍と戦わせその後に疲弊した袁氏を叩くことで、袁氏を打ち倒した名声を独り占めするつもりではないか。それが噂の内容である。その噂は反袁氏軍のみならず、反袁氏軍と行動を共にする諸侯の将士にまで広がっていった。

「このままでは長清へ向かいたいと言い出す者が現れるかも知れません」

 戒燕が懸念を口にする。反袁氏軍を犠牲に長清軍が美味しいところを攫うつもりならば、長清軍と行動を共にしたいと考えるのは当然のことである。

 しかし、琉は慌てた様子もなく堂々としていた。

「噂は所詮噂だ。気に留めることはない。兄上はそのうち追いついてくる」

 その想いとは裏腹に、長清軍が動き出したという情報は届かない。

 このままでは長清軍が追いつく前に玄安に到着してしまう。やがて琉たちはその牛歩の如き歩みまで止めてしまった。

「殿下、このままでは全軍の士気に関わります。袁氏に決戦を挑む決断しなくてはなりません」

 衛舜もこれ以上待つことは難しいと進言してきた。長清軍が来ないとすれば、このまま滞陣を続けても士気を下げるだけである。ならば見切りをつけて決戦を挑む他はない。

 しかし琉は一考の余地もなく即断した。

「兄上を待つ」

 琉の心中には、煌崔が来ないかもしれないという疑いは一切なかった。それは幼い頃に接していた煌崔の性格などを考えてのことであるがそれだけではない。共藍から角楽までの行軍中に接した陸子安の人柄が、煌崔の誠実な為人が些かの変容もないことを物語っていた。

――陸殿の主君がそのような不誠実な策を弄することはない。

 人を見抜く目によって有能な臣下たちの主君たりえていると自任する琉は、その判断に誤りはないと信じていた。

 そして、ついにその目が正しいことを証明する早馬が、琉の陣に駆け込んできた。

「長清軍は間もなく到着されます!」

 その言葉通り、ついに長清軍が反袁氏軍に合流を果たした。

「遅くなって済まない。なかなか志程と連絡をつけることができなくてな」

 始王の祭器と共に隠遁していた呂志程は、煌崔が戻ったと聞いても軽々に姿を現すことはなかった。慎重な呂志程は、それが自身を誘い出す袁氏の策であるという疑いが完全に晴れるまで隠れ続けていたのである。

「私も志程の慎重さを買ってはいるのだが、お陰で苦労した」

「その慎重さのお陰で祭器を隠し続けることができ、兄上も無事でいられたのです」

 苦笑する煌崔と琉のやり取りに、呂志程は静かに頭を下げた。


 ようやく反袁氏軍の戦力は揃った。

 間もなく弦国の未来を左右する決戦が始まる。


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