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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
決戦
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馬車馬

 陵山太守の全梓良は狡猾な男だった。

 全梓良は堰氏の時代は陵山の県令であったが、堰氏に近い人物ではない。

 当時から全梓良は、中陵の田県長が堰氏に対する敵意を抱き、密かに人を集めていることを察していた。しかしそれを玄安に報せることなく泳がせていた。そして自身にとって最も有効な機を見て、田県長を袁氏に売った。その功績により陵山の太守となった全梓良は、しかし袁氏に心酔していたというわけでもない。全梓良は自身にとって有益な人物に擦り寄り保身や昇進を目論むだけであり、その人物に対する忠誠心などとは無縁の人物なのである。

 反袁氏軍が陵山を落とさんと兵を動かしたことを知ったときも、全梓良はすぐに降伏をしようと考えた。しかしちょうどその時、陵山には陵州牧の袁永毅(えんえいき)がいた。普段は玄安にいて陵山に来ることは滅多にないお飾りの州牧であるが、このときは運悪く陵山の屋敷にある財貨を回収し玄安に運ぶために訪れていたのである。

「賊軍ごとき、野戦にて一息に打ち砕いてしまえ」

 戦の経験などない袁永毅は、何の考えもなしにそう命じた。全梓良は言われるがままに漫然と兵を動かし、そして敗れた。全梓良の奮わぬ意気が兵まで伝わり、戦らしい戦にもならず伏兵が現れた途端に反転し城内へ逃げ帰ってしまった。

 全梓良の袁氏を見限ろうという意思はいよいよ固まった。しかし袁永毅の配下の兵が城内にいる状態ではその意を表した途端に混乱に陥り、下手をすれば反袁氏軍に下る前に首を取られてしまうかもしれない。可能な限り危険を冒したくない全梓良は一計を案じた。表面的には袁永毅の命に従いつつ、裏では匿名で内応の密書を反袁氏軍へ送ったのである。これは結果的に狡猾な策士である全梓良が策に溺れた瞬間であったと言える。

 全梓良の誤算は内応の文書を城外へ投げた全梓良の使いの者が陵山兵に見咎められたことである。通常であればその者は太守である全梓良の下へ連れて行かれ事無きを得ていたであろう。陵山のことは自分の意のままにできるという油断があった。しかしこの時に使いの者を捕らえたのは、袁永毅の配下の兵だった。そしてそのまま袁永毅の下へ連れて行かれてしまい、袁永毅は全梓良の裏切りを知ることになる。短慮な袁永毅は、そのまま全梓良を捕らえて殺してしまったのである。

 そして袁永毅は全梓良の内応を逆用する策を思い付き実行し、それが元で陵山の陥落を早めた。

 縁故以外に何の才も持たぬ袁永毅。

 策士とも言えぬこの男もまた、策に溺れ命を失ってしまったのである。


「袁氏の州牧を殺してしまったか」

 戦死者の中に袁永毅が含まれることを知った琉は、その意味をゆっくりと咀嚼していた。

 袁永毅は州牧でありながら玄安におり陵山には滅多にいないと思っていたため、ここで袁姓を持つ袁永毅を殺してしまうことは想定外であった。

 反袁氏の檄を飛ばした以上、袁氏とは戦わなければならない運命は定まっている。いまさら袁氏の子弟を殺したところで恐れることなどない。

 しかし琉にとってはそれだけのことではない。

――これで袁氏の恨みを買った。

 かつて、琉は敵対者からの恨みを無意識に恐れ、決起の決断を下せなかった。

 しかし玲寧のお陰でその恐怖を乗り越えることができた。恐怖を乗り越えたお陰で、今こうして民のための戦に力を尽くすことができている。

――ここで恐れて歩みを止めては、玲寧に刺されてしまうな。

 小さく苦笑する琉。

 琉の心中に恐怖の炎が揺らめくことはなかった。


 陵山にはいくらかの将士を残し、琉たちは一度黄央へ戻った。

 そこで待っていたのは、衛業であった。

「遠く共藍から殿下の戦勝の報せを待っておりましたが、ようやく私も戦場で殿下のお力になれます」

 黄央を拠点に定めたとき、琉は衛業を共藍から呼び寄せていたのである。

 これまで衛業には共藍から兵站の管理を任せていた。しかし黄央を拠点に定めた以上、共藍は兵站拠点としては遠すぎる。また、指揮する兵の規模も大きくなっており、琉の傍に信頼できる人物を一人でも多く置いておきたかった。

「共藍から輸送してきた食糧も十分にあります。いつでも玄安への進攻を開始できます」

 興奮気味の衛業。

 思えば南方逃避行の際も今回の長清公救出の際も、衛業には留守を任せてばかりであった。琉の傍で働けることに喜びを感じているのだろう。

「頼りにしているぞ、衛業」

 威勢のいい返事と共に、喜色に溢れた衛業の頭が縦に大きく振られた。


 玄安にいる煌登の頭を悩ませる種は、大きく二つあった。

 一つは自身の帝位を偽りのものとし、この座から引き摺り下ろそうとする二人の異母兄の存在。

 もう一つは、伯父である袁永建の存在だった。

 弦国における至上の存在は言うまでもなく皇帝である。煌登はその皇帝を名乗っているいるため、その位を超える者は弦国内存在しない。反袁氏の旗を掲げる二人の兄は煌登の帝位を認めず偽帝としているが、彼らは未だ雀関の外にいる。少なくとも玄安においては煌登こそが皇帝であり誰からも敬意を向けられる存在のはずなのである。

 その原則を無視する唯一の存在が袁永建であった。

 袁永建の煌登に対する態度は、明らかに「皇帝と臣下」ではなく「伯父と甥」であった。袁永建は人臣の最高位である三公の一つ相国の位にいるが、それも所詮は弦皇帝の臣としての最高位であり、皇帝を凌ぐ地位ではありえない。形式的には袁永建も煌登の臣なのである。しかし、それでも煌登を帝位に押し上げたのは袁永建の力であることは誰もが知っていることであり、実際の力を持つのも袁永建だった。

 それは煌登自身も理解はしている。だからこそ袁永建の態度を問題にすることもなく、伯父の思うがままにさせているのだ。

 しかし内心の感情はそう単純ではない。

 煌登の思い描く理想の”皇帝”像は、先帝である荒帝・煌丞であった。

 自信に溢れ、不快なものを排除し、何にも縛られず、何にも捉われず、思うがままに振舞う。諡号の荒、はその傍若無人な振る舞いを非難するために袁永建が選んだ悪諡であるが、煌登にとっては煌丞の姿が理想なのである。

 今の煌登の状況は、その理想の通りとはとても言えない。その理想の実現のための最も大きな障害となっているものは、雀関の外にいる二人の兄たちではなく今目の前にいる強大な伯父だった。

――兄たちがこの玄安に至る前に何とかしなければ。このままでは兄たちを伯父が打倒し、その権勢・声望をより揺るがないものにしてしまうだろう。そうなれば、いよいよこの目障りな伯父を除くことはできなくなってしまう。

 煌登の心中には焦りがあった。そこである策を実行することにした。鋳山の袁永泉(えいせん)を玄安に呼んだのである。

 袁永泉は鋳山国の中でも高位の将軍である。袁姓を持ってはいるものの本家からは遠い家系に生まれた袁永泉は、それゆえに家柄のみを誇ることなく、幼い頃から良く用兵を学んでいた。また、袁氏本家の人間に従順な姿勢を見せることで気に入られることに成功し、その位をどんどんと高めていった。

 この袁永泉に兄たちを撃破させることで、玄安における袁氏の勢力を二分し、相対的に袁永建の力を削ぐという策である。

「お久しぶりでございます」

 玄安に呼び寄せた袁永泉が煌登と面会したとき、その傍らには母である袁玉永(ぎょくえい)もいた。表面上は煌登に対する挨拶を述べている袁永泉だが、その意識が袁玉永に向けられていることを煌登は気付いていた。

――この歪んだ情念は相変わらずか。

 表面的には袁氏本家に従順な袁永泉であるが、煌登はその本性を知っていた。

 袁玉永が鋳山で幼少期を送っていた頃、その遊び相手となっていたのが袁永泉であった。その縁があり、煌登も何度か袁永泉と対面していた。その袁永泉が母を見る眼に只ならぬ情念が秘められていることに気付いたのは、子供故の鋭い感性のためであろうか。

 袁永泉は袁玉永に対し、親戚に対するもの以上の情を抱いていたのである。

 そしてこの情念は、袁玉永が袁永建の権勢欲を満たすために玄安へ送られ平帝の寵愛を受けることとなったことを切っ掛けに、袁永建への憎しみへと転化した。袁永泉はその憎しみを袁永建を引き摺り下ろし自分がその位を奪い取ることで晴らそうとしているのである。

――おぞましい……。

 自らの母に対する強すぎる情念に接して、煌登がおぞましさを感じてしまうことは仕方のないことだろう。しかしそのおぞましい情念の力は、袁永建の力を抑える存在としてはこの上なく好都合であった。

 袁永泉の力の源は、権勢欲による野心ではない。それは即ち、袁永建に勝利した後に必要以上に権威を振るわないということでもある。

――利用でるきものは全て利用する。この弦国内のものは全て皇帝である私のものなのだ。

 煌登にとっては、弦国袁氏の当主など馬車馬にも等しい。

 これまで煌登の乗った馬車は、袁永建という強大な馬に引かれていた。成長し力が強くなりすぎたその馬を切り離し、新たな駿馬である袁永泉に馬車を引かせる。

 ただそれだけのことであった。


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