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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
決戦
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挽回

「申し訳ございません!」

 平伏する伯舟。

「全て私の責任です! 董徐両将軍の制止を聞かずに飛び出し、陵山軍を取り逃してしまいました」

 その隣には僅かに怒りの色を滲ませる志道と徐仲偉。

 しかし琉に怒りの感情はなかった。

「伯舟、そう畏まるな。勝敗は兵家の常、と言うではないか。戦功は次の機会に立てればよい」

「恐れながら申し上げます」

 温情をかけようとする琉に、諫止の声を上げたのは徐仲偉だった。

「信賞必罰は軍の規律を保つ上で最も重要なことでございます。今この陳伯舟に温情をかけるのは、それに背くことになります」

「必罰か。しかし伯舟に何の罪がある。私はお主らを送り出すとき、好機と見ればそれを逃すな、と命じている。伯舟はそれに従ったに過ぎない」

 命令違反は処罰しなければならないが、判断を誤ったことを処罰することはできない。それが琉の考えである。

「しかし……」

「我々はまだ負けたわけではない。微かに見えていた勝機が隠れたに過ぎない。その逃した勝利はまだあの陵山城内に残っている。さあ、これから城攻めだ。大いに戦功を立ててくれ」

 琉にそう宥められると、徐仲偉もそれ以上は何も言わなかった。


 翌日から城攻めが開始された。

 しかし、陵山は多少の攻撃ですぐに陥落するような脆弱な城ではない。

「時間をかければいずれは落ちるでしょう。しかしその時間が問題です」

 衛舜の警告する。通常、城攻めに時間がかかることで懸念するべきことは、他の城からの援軍である。もちろん、今回の場合も援軍が動き出す可能性はあるが、敵の援軍がこちらの援軍も動かせば良い。そのために黄央に反袁氏軍の大半を残してきたのである。始めから大軍を率いて来なかったのも、援軍を誘う意味もあった。

 しかし援軍以上問題なのは、士気への影響である。陵山の攻略に手間取ることで「やはり玄安の袁氏には敵わないのではないか」という声が出てくると、士気は著しく落ち込んでしまう可能性がある。特に反袁氏軍に与するか袁氏に擦り寄るかを決めかねている諸侯貴族たちが離れていってしまえば、今後の戦いは絶望的になってしまうだろう。

 とはいえ、角楽を落としたときのような抜け道が都合よくあるわけもない。

「いずれ好機が見えるかもしれぬ。とにかく苛烈に攻め立てよ」

 琉の命に従い苛烈に攻め立てる反袁氏軍。陵山兵との一進一退の攻防が繰り広げられる。

 その膠着の中、”好機”はすぐに訪れた。いや、正確には好機であるかは断定できぬものだったが、しかし膠着が解かれる機にはなるだろう、というものである。

「城内から内応の密書が投じられました」

 それは夜のうちに城壁の上から密かに投げられたものだった。

「明後日の夜明けと共に城門を開く、というものでした」

 それが真実ならば、この攻城戦はすぐに決着する。

「罠ではなかろうか」

「断定はできませんが、その可能性は高いと思われます。しかし、罠ではない可能性も捨てきれません。野戦での被害が思いの外少なかったため、城内の糧食が乏しくなっている可能性もあります。このままでは飢えてしまう、と一部の将士が内応を画策しても不思議ではありません」

 さすがの衛舜であっても、この内応の真偽を判断するには情報が足りない。

 悩む琉に、新参の臣下が進み出た。

「私に突入をお命じください」

 伯舟である。

「野戦において失態を演じた私に、どうか挽回の機会をお与えください」

「しかし、これが罠であった場合、お主は助からぬぞ」

「構いません。殿下に敗れて捕われた際、この命は既に亡くしたも同じ。今更死など恐れましょうか」

 伯舟の顔には決意と覚悟の色があった。

 しばしの沈黙の後、琉は臣下を信じる決断を下した。

「わかった。伯舟に先陣を任せる。徐仲偉の部隊もそのすぐ後ろに詰めて、異変があれば伯舟隊を救援せよ」

 その後、日中はそれまでと変わらずに苛烈に城攻めを行った。

 それは敵将に不自然に思われないためであったが、日中の攻撃で城が落ちれば罠かもしれない内応に危険を冒して突っ込む必要はなくなる、という想いもあった。しかしその日も城を落とすことは叶わなかった。

 夜の闇の中、突入の準備を進める伯舟に琉は声をかける。

「伯舟、決して無理はするなよ。異変を感じたらすぐに引き返すのだ」

 一度城門をくぐってしまえば、それが罠であれば引き返すことなど叶わないだろう。そうと分かっていながらも、琉は言わずにはいられなかった。

 伯舟は力強く頷いた。


 薄暗闇の中、伯舟は閉じられた城門を見つめていた。

――あの城門の先で掴めるのは、戦勝の栄光か、死か。

 言葉では死を恐れぬ、とは言ったものの、本能的な恐怖を完全に抑え付けることなどできない。微かに震える身体をなんとか押さえつける。

 夜明けの時が訪れた。

 果たして、夜明けと共に城門が開かれる。

 すぐさま伯舟が部隊を率いて雪崩れ込んだ。

 伯舟の部隊が全て城内へ入ったとき、背後に城門を操作する音が聞こえた。

「城門が閉じられています!」

 兵の報告に伯舟が振り返ると、確かに城門が徐々に閉じられていくのが見えた。

 そして左右の建物の陰から伏兵が立ち上がり、弓を構える。

――やはり罠か。

 その事実を悟ったとき、伯舟の心中に湧いた感情は安堵であった。

――自分が先陣を申し出て良かった。死ぬのが自分で良かった。

 もし先陣を切って突入したのが、戒燕のような琉の腹心中の腹心であったとしたら。孟兄妹のような共藍軍の柱石だとしたら。志道や徐仲偉のような有能な将だとしたら。あるいは、琉自身であったとしたら。

 先ほど振り返ったとき、徐仲偉の部隊はまだ門の外に見えた。罠の中に入り込んだのは伯舟の部隊だけで済んだであろう。

――彼らの身代わりに自分が死ぬのであれば、この死にも意味はある。

 諦めと共に死を受け入れようとする伯舟に叱咤の声が投げかけられた。

「何をしている! 刀を取れ! 戦うのだ!」

 徐仲偉だった。

「何故貴方がここにいる! 貴方の部隊が突入する前に門は閉まり始めていたはず。罠だとわかったはず」

「私に下された命は、異変の際に陳部隊を救援することだ。罠とわかったところで引き返すわけにはいかん」

 徐仲偉はそんな問答の時間も惜しいとすぐに駆け出した。

「これは好機だ! 我々が城内で奮戦し混乱を引き起こせば、城外からの攻撃により陥落させられる」

 駆けながら叫ぶ徐仲偉。

 確かに城内に入ったのが伯舟の部隊だけであれば、あっという間に殲滅させられてしまっていたかもしれないが、徐仲偉の部隊もいれば殲滅するには多少の時間がかかるだろう。

――まだこの命を捨てるには早い。

 刀を握りなおした伯舟は、周囲を取り囲む敵兵へ突っ込んだ。


 琅琅と祢祢が雲梯車によって城壁を乗り越え、戒燕が衝車と呼ばれる破城槌によって城門を破壊し、それぞれが城内に突入したとき、伯舟と徐仲偉はまだ生きていた。

 戒燕隊に続いて突入した志道隊が伯舟を発見したとき、伯舟は矢に射られた愛馬の傍らに死体かと見紛うような満身創痍の状態で倒れていた。

 徐仲偉は敵兵に取り囲まれまさに討たれんとしたところを琅琅隊に救われた。

「二人ともよく生きていてくれた」

 城内を陥落・制圧させた琉は、真っ先に二人が運ばれ手当てを受ける部屋に駆け込んだ。

「お主たちのお陰で陵山を陥落させることができた」

 伯舟が先陣を申し出なければ、琉は内応の罠を警戒したまま外部からの城攻めにこだわったかもしれない。徐仲偉が罠と知りながら城内に突入しなければ、伯舟とその部隊は瞬く間に殲滅され城内の混乱を引き起こすことはできなかっただろう。

 配下の者に褒詞を惜しまないのが、琉の最大の美徳である。

 伯舟は感涙に咽び、満足に受け答えをすることができなかった。


 琉は陵山攻略における論功行賞において、伯舟を戦功第一とした。

 伯舟は自身を救った徐仲偉こそが相応しいと辞退しようとしたが、琉はそれを許さなかった。

 その裏に戦略的な思惑が隠されていることは否定できない。

”共藍公は賊将であった陳伯舟をも公正に評価する”

 その風評を得るために、衛舜が戦功第一に伯舟を強く推していたのである。

 しかし琉は衛舜の推薦がなかったとしても、伯舟を戦功第一としていただろう。疲労困憊ながら大きな負傷もなく今後の戦に影響のない徐仲偉と違い、伯舟は重傷を負い今後の戦には参加できなくなった。

 琉はそうまでして戦ってくれた伯舟に、少しでも報いたかったのである。


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