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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
政変
53/62

潜入

 作戦の決行は暁闇(ぎょうあん)の頃である。

 夜が明ける直前の仄明るくなりかけたその瞬間。夜襲の警戒心の強い未明でもなく、兵が完全に覚醒する朝でもない。その時間帯が奇襲には最も適しているとも言われる。明るくなり始めた時間、ということで同士討ちを避けることができるという意味もある。

 しかしそれは敵襲を開始する時間であり、仕込みの時間は闇の中で行う必要があった。志道の夜目は異能と言える水準のものであるが、元猟師の子昂や女性の部屋への”夜襲”経験の多い清隆も、闇夜に不自由することはない。

 密かに地下を抜け枯れ井戸から城内潜入した志道らは、少ない兵を更に二つに分けた。

 一隊はそのまま志道が率い、城門へ向かう。子昂や伯舟もこちらの部隊に含まれる。もう一隊は陸子安が率い、城下の街中へ散った。各所に火を放ち、火災による混乱を起こす作戦である。

 唯一、清隆だけはどちらの隊にも加わらなかった。

「私は張仲平(ちょうちゅうへい)を探します」

 清隆はそう言って早々に姿を消した。

 張仲平は角楽の守将の一人で、城内最強と目される武人である。その武勇は角楽が属する黄州の中でも最強とも言われる。そのような武人が角楽のような田舎の小県にいるという事実も、この都市に煌崔がいるという証左とも言える。この張仲平に対抗できるのは、潜入隊の中では清隆をおいて他にはいないだろう。

 しかし清隆は「弦国最強の郭戒燕と同程度でなければ物の数ではない」と平然としていた。

 まるで散歩へ出るかのような気軽さで一人で隊から離れて行った。


 志道は夜陰に紛れ、時を待っていた。

 空を見上げると、東の方から仄かに白み始めている。

――間もなくだな……。

 開戦の狼煙は別隊を率いる陸子安が上げる。

 志道らの狙う南門の近くから、徐々に東門の方へ連鎖的に火の手が上がっていくはずだ。消火のために守備兵が動いたときを狙い、南門を奇襲する作戦である。

 ふと、志道は自分の身体を緊張が支配していることに気が付いた。

 理由は分かっている。

 潜入それ自体は得意とするところではあるが、今回の任務は拠点の制圧と城門の開放。つまり戦闘である。

 志道は自身の武が並の域を出ないことを自覚している。どれだけ修練を積もうとも、矮小な体躯のために実力の限界はすぐに訪れた。だからこそ他の技術を磨いたのだ。

 潜入や工作だけの任務であれば、並の域を超える敵に遭遇した際はすぐに逃げることもできた。生きて帰ることも任務に含まれるからだ。しかし今回はそうはいかない。張仲平以外に手に負えない武人がいるかはわからない。不安な気持ちは時が経つ毎に増していく。

――早く戻って来い……!

 突如として心中に湧き出たその言葉は、いったい誰に向けられたものか。

 その相手が決して快い感情だけではない娘婿であることは明らかである。癪に障るところもあるが、味方であれば頼れる存在であることは間違いない。

 私情で波立つ心中を治めるため静かに深呼吸をする志道に、子昂が声をかける。

「火の手が上がりました」

 北東方向へ視線を向けると、小規模ながら確かに火災が起こっている。城壁を見上げると守備兵が慌しく駆け出すのだ見えた。消火活動へ参加するのだろう。もう少し待てばこの付近は手薄になるはずだ。

 次々に火の手が上がっていく。

――有能な男だ。

 さすがは長清公煌崔の一番の腹心である陸子安。作戦に手抜かりはないようだ。

 志道たちも動き出す時が近付いている。城壁の上にいた守備兵はだいぶ減ったが、城門の開閉を行う詰め所の付近にはまだ守備兵の姿が見える。あの守備兵だけは実力で排除しなければならない。

 志道が合図を送ると、子昂は弓に矢を番えた。

 子昂の矢が城壁の上にいた守備兵を射抜く。

 それが志道隊の行動開始の合図となった。


 詰め所の制圧までは計画通りに進んだ。

 それは伯舟が死を恐れず奮戦したことが大きい。

 しかし、重要なのは開門し切るまでにこれを維持することである。火災の鎮火に向かっていた守備兵も、城門の異変に気付き始めている。

 子昂が城外へ向かって鏑矢を放った。城外の兵に支援を求める合図である。

 火災、城門の制圧、城外からの攻撃。

 ここまでは順調すぎるほどに全て作戦通りである。しかしやはりいつまでも全てが上手く行くというわけにはいかない。

 志道の目の前に、見上げるほどの巨躯を誇る武人が現れた。

「我が名は張仲平! この俺がいる限り、この角楽で好き勝手は許さんぞ!」

 それは清隆が探しているはずの城内最強の武人であった。

――あの男はどこで遊んでいるのだ……!

 心中で悪態を一つ吐くと、すぐに目の前の敵に集中する。伯舟に合図を送り二人で対応する。清隆が張仲平を逃した場合を想定し、予め打ち合わせておいたのである。

「二対一か! 構わんぞ!」

 張仲平は怯むことはなかった。左右の手にそれぞれ斧を握り、志道と伯舟に向ける。戦斧というにはやや小振りなその斧だが、片手で扱う手斧というには明らかに大きい。しかしそれを握る太い腕を見れば、十分に扱いきることはできるだろう。

――二対一でも分が悪いか……。

 志道は自身の扱う武は並であるが、対峙する相手の力量を測る技術は並ではない。一目で目の前の張仲平の実力を測り、それが自身と伯舟の二人でも手に余る存在であると判断した。

 普段の諜報や工作だけの任務であれば、早々に離脱を考えるほどの実力の隔たり。しかし、今回は逃げるわけにはいかない。

――城門が開き切るまでは、時間を稼がねば。

 決意を込めて剣を握り直す志道。

 しかし、その実現が困難であることは張仲平の斧の一撃を受け止めた瞬間に悟った。

 勢いを殺すために自ら後ろに飛びつつ受けた志道だが、張仲平の一撃はその上を行っていた。

 吹き飛ばされた勢いのまま、志道の身体は城壁に叩きつけられる。一瞬、息が詰まり硬直する。

 痛む身体に鞭打って身を起こすと、伯舟も同様に弾き飛ばされているのが目に映った。

 その一撃で伯舟は気を失ったのか、ぐったりとして動かない。その伯舟に止めを刺すため、張仲平が再び斧を振り上げる。

――助けなければ……!

 その想いとは裏腹に、志道はまだ身体を動かすことが出来ない。

 無慈悲に振り下ろされる斧。

 そのとき、一陣の風が吹いた。

 張仲平の斧は伯舟の身体から逸れ、大地に深々と突き刺さる。

 それを弾いたのは、鞘に納まったままの弧刀。

「遅い!」

 風と共に現れた美貌の剣士は、志道の短い叱責の声にいつものように華やかな笑みを返す。

「それらしい男がどこにも見当たらなかったもので」

 大袈裟に肩をすくめる清隆に、志道は黙って張仲平を指し示す。

「あ、この男でしたか」

「何をごちゃごちゃと……!」

 戦場とは思えぬ軽い会話に、張仲平は怒声と共に斧を振り上げる。

 そのまま振り下ろされる斧を、しかし清隆は見もせずにかわした。

 そしてその斧とすれ違うように、刀を抜かぬままの鞘の一撃を張仲平の喉元に叩きつけた。

 どんな屈強な大男であろうとも、喉元を頑強に鍛え上げることはできない。一瞬息が詰まり、身体が硬直する。

 清隆は舞うような華麗な動作で張仲平を飛び越えつつ、張仲平の首に刀の下げ緒を巻き付ける。

 そのまま巨体を背負うように下げ緒を締め上げると、張仲平は意識を手放した。

――なんという、男だ……。

 目の前で起こったことに、志道の心中に戦慄の嵐が吹き荒れていた。

 志道と伯舟の二人でも敵わなかった張仲平を、刀も抜かず瞬く間に昏倒させてしまった。

 同じ主君を仰ぐ仲間として、そして今では舅と娘婿という身内として、長らく清隆を見てきた。それでもなお、相手の実力を量ることに長けた志道であっても、未だに清隆の底は見えない。

――つくづくこの男が味方で、身内で良かった。

 それが志道の心からの想いであった。


 張仲平がいともあっさり敗れたことで、角楽城守備兵の士気は著しく低下した。

 子昂の合図で城外からの攻撃も開始されている。

 孟兄妹の隊は、雲梯により城壁を乗り越えにかかる。雲梯とは台車に折り畳み式の梯子を搭載した攻城兵器である。潜入隊によって混乱した守備兵は、孟兄妹の隊の攻撃を押し留めることはできなかった。孟兄妹が志道らと合流したことで、城門の制圧は完全なものとなった。

「このまま東門の制圧へ向かえ! 何人たりとも城外へ逃すな!」

 南門を潜った琉は、すぐに徐仲偉に命令を下す。

 残る懸念は、孫思文が幽閉している煌崔を連れて城外へ逃れることだった。角楽の城門は南門と東門の二つ。共藍軍は南門を突破してきたため、残る東門を抑えれば容易に脱出はできなくなる。

 命令を下した後、琉自身は角楽城内へ向かった。城門が破られ戦意喪失した角楽守備兵は、もはや大した抵抗を見せなかった。

 陸子安の案内で煌崔が幽閉されているという地下へ向かう。

 何よりもまず、煌崔の安否を確認しなければならない。

「殿下! ご無事ですか!」

 陸子安が駆け込んだ部屋にいたのは、痩せてはいたが間違いなく煌崔だった。


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