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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
政変
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角楽

 角楽は黄央郡に属する小県である。

 弦国の地理上の中心である黄央に近いが、主要な街道からは外れており、特別な名産品などもほとんどない。軍事的にも経済的にも特筆することのない目立たない都市である。

 しかし、それゆえに死んだと思われている長清公を隠しておくには好都合とも言える。仮に長清公がまだ生きていると考えたとしても、その幽閉地がまさか角楽だとは思わない。

「どこに向かっているのです。私が指定した賊とは逆方向ではありませんか」

 共藍軍が取った進路に、彭昭元が不審の声を上げた。標的となる賊軍は彭昭元が玄安の袁氏と連絡を取り合って逐一指示している。しかし共藍軍はそれとは逆方向に進んでいる。

「共藍からここまでの長途を転戦してきて将士は疲れ切っているので、共王は角楽で兵を休息させようというお考えです」

 知道がそれらしい理由を付けて誤魔化す。

 袁氏への明確な敵対行動となる角楽の攻撃。その瞬間まではできるだけ誤魔化しておきたい。

 彭昭元は不服な様子ではあったが、殊更に抵抗するようなことは言わなかった。


 知道は使者として休息の許可を求めに角楽へ入った。

 しかし角楽県長の孫思文(そんしぶん)は、この申し出に難色を示す。

「角楽は小さな都市であり、大軍を入れて休ませるには小さすぎます。それに平和な角楽を殺気立った兵で満たすわけにはいきません」

 この返答に、知道は不快の表情を隠さなかった。

「我々は各地を荒らす諸賊を討ち、弦国の平和を維持するために戦ってきたのです。それを”殺気立った兵”などと恐れを抱くとは、無礼でありましょう。そもそも我々は勅命を帯びて各地を転戦しているのです。謂わば皇帝陛下の名代として兵を動かしているのです。その陛下の兵を貶める発言は、不敬に当たるのではございませんか」

 弁舌が己の武器だと自負する知道にとって、表情の操作など容易なことである。この不快の色は敢えて相手に見せた表情であった。

 知道が帯びている任務は、休息の許可を求めることだけではないのだ。

 突然不快を表し詰る知道に孫県長はたじろぐ。

「し、しかし、そうは言ってもこちらにも都合というものがあるのです」

「勅命よりも優先される都合がどこにあるのでしょう。それとも角楽には別の勅命が下っているというのでございましょうか」

 人は図星を突かれると思わず反応を示してしまうものである。孫思文は上手く平静を保ちそれをほとんど面に出さずに抑えることができたが、しかし知道の観察眼はその上を行った。

――やはりこの地に長清公が幽閉されているのだな。

 角楽には長清公を幽閉するための密勅が下っているのだろう。

「どうしても受け入れられないというのであれば、それで構いません。勅を帯びる皇帝陛下の名代である共王へ、その通りに報告するだけです。城外にいる共藍兵五万がどのような動きを見せても、自業自得と心得て頂きましょう」

 明確な脅しである。要求を受け入れられないというのであれば、共藍兵の力に訴えて無理矢理開城させる、という宣言である。実際に共藍兵は道々併呑してきた賊を併せてもせいぜい四万程度の兵力しかないが、知道はさらりと兵数を水増しして脅しをかけた。

「ま、待て! おい、その者を帰すな」

 慌てた孫思文は左右の者に命じて知道の行く手を阻ませた。衛兵の槍が知道へ向けられる。

 しかし、その程度のもので知道の豪胆を揺るがすことは叶わず、その歩みは止まらない。

「共王の名代である私の行く手を阻むということは、共王に対する明確な敵対行為に当たるというご認識がおありか」

 向けられた槍に一切の恐怖を示さず兵を恫喝する知道。その狂気と迫力に、兵は思わず槍を引いてしまっていた。

「共王には孫県長の返答は明朝まで待つようにお伝え致しましょう」

 知道は振り返りそれだけ言い残すと、そのまま城外へ出て行った。


「やはり長清公はこの角楽の城内に幽閉されているでしょう」

 復命した知道の報告に、琉は半ば安堵した。

 それは兄が生きていたということもあるが、角楽を落とした後を考えてのことの方が大きい。最も恐れていたことは、角楽に煌崔がいない、または既に死んでいた場合である。明確に袁氏に敵対するような行動をとったにも関わらず、強力な求心力を発揮する大義名分を得られなければ、今後の戦いは厳しいものになるだろう。

「孫県長には明朝まで待つと言いましたが、あの男が共藍軍を中に入れることはないでしょう。すぐに攻撃の準備をなさいませ」

「よくやってくれた、知道。戒燕、衛舜。角楽を落として兄上をお救いするぞ」

 すぐに軍議が召集された。

 が、その場に呼ばれていない男が騒々しく駆け込んできた。

「共王! 角楽を攻めるとはどういうことですか!」

 彭昭元である。

「共藍軍に下った勅命は”諸賊を討つこと”。角楽城内には賊はおりませんぞ!」

「そうだ。共藍軍は勅命に従う謂わば皇帝の軍勢だ。その共藍軍が角楽に休息を求めたが、角楽県長の孫思文は不敬にも拒否し、さらには将士を貶すような言葉まで吐いたというのだ。皇帝陛下の威光を守るためにも捨て置くことはできぬ」

「しかし……」

「それとも、勅使殿には角楽を攻められては困ることがおありなのか」

 その言葉に、彭昭元の顔は焦りの色で染まる。

――やはりか……。

「そ、そもそもこの弦の国土は全て皇帝陛下の所有物です。その一部である角楽を攻めるなど……」

「その皇帝陛下の所有物である角楽を個人の欲望のために占有しようとする孫思文を除くのです」

 歯切れの悪くなった彭昭元の言葉を知道の弁が遮った。

 答えに窮した彭昭元はついに伝家の宝刀を抜く。

「私は勅命を携えた勅使ですぞ! この共藍軍の標的を指名する権利もこの勅命には含まれているのです! 私の命に従っていれば良いのです!」

 顔を赤くして勅命の威を借りようとする彭昭元だが、そんなものに怯む知道ではない。

「その勅命に従うため、諸賊を討つために休息が必要なのです。そもそも貴方は勅使と言えどもその身分は大夫に過ぎないではありませんか。この共藍軍を率いるのは共王であり、その上位に存在するのは皇帝陛下の他にはありません。どうして貴方の命に従わなければならないのです」

 角楽城内ではことさらに共王の名代であることを強調していた知道であるが、彭昭元が皇帝の威を借りることは許さなかった。

「この件は皇帝陛下へご報告させていただきますぞ」

 彭昭元は才によって勅使となったわけではなく、金で不当に高い地位を求めて任命された男である。その程度の男では弁で知道に敵うはずもない。最後の脅しを言い残すと踵を返して退出していった。

「志道、彭昭元を監視せよ。彭昭元の下から使者が出たら捕らえて外へ出すな」

 彭昭元は共藍軍の陣中にいる。封殺するのは造作もないことである。しかしそれも長く続けば不審に思われるであろう。

「早々に角楽を落とさねばならない」

 彭昭元から玄安へは定期的に報告の使者が走っていた。それを封殺してしまえば、怪しんだ袁氏が遠からず動き出すに違いない。

「正面から力押しでも押し切れるでしょうが、その間に袁氏の援軍が現れたら危険な状況になるでしょう」

 衛舜はそう前置きしつつ、視線を陸子安の方へ移す。

「陸殿はどうやってこの角楽から逃れ出てきたのでしょう」

 陸子安は煌崔の第一の腹心である。その警戒が薄いとは思えない。内情を知る陸子安は角楽を早期に攻略する鍵になると衛舜は見ているのだ。

 そしてその読みは的を射ていた。

「城内の井戸から逃れました。幽閉された部屋を脱出し、もう使われていないと思われる枯れ井戸に身を隠したところ、その底に横穴がありました。それが城外にまで繋がっていたのです。しかし、それほど多くの兵が通れるような広い空間ではありません。軍勢を送り込むというのは現実的ではないでしょう」

 陸子安の話によると、それは人工的に作られた通路ではなく、自然の洞窟であるらしい。

 送り込めるとしてもせいぜい数十人程度が限界だという。

「数十人もいれば、城門を開くだけならばなんとかなります。俺に行かせてください」

 進み出たのは伯舟だった。

 元銀洞の頭領であったこの男は、琉の臣下となって以降その恩に報いる機会をずっと探していた。

 確かに城門の開門作業は数人の人員がいれば可能だろう。しかし城門を開閉する詰め所は攻城戦の最重要地点である。たった数十人で制圧することは難しいのではないか。

 とても許可できる作戦ではない。

「ダメだ。危険すぎる」

 しかし、進み出たのは伯舟だけではなかった。

 無言で前に出た志道。戒燕の次に付き合いの長い古参の臣下の意図を、琉はすぐに察した。諜報や工作活動を得手とする志道は、その力を存分に振るう機会に内心闘志を燃やしていたのである。

 さらに琉の臣下で最年少の子昂も同調した。

 琉の心情としては臣下を危地に向かわせることは本意ではない。しかし臣下の意志を尊重したいという想いもある。

「わかった。お主らに任せよう。兵の中から選りすぐりの精鋭を選んでくれ」

 悩んだ末に出した答えは、臣下を信頼することだった。

「清隆、お主も共に行ってくれるか」

 常に傍らに控え琉の護衛役に徹していた清隆に振り返り、危地へ赴くことを頼んだ。清隆も臣下である以上、命じれば済むことであるが、それができないのが琉なのである。

「それはもちろん構いませんが、殿下の護衛はよろしいのですか」

「敵地に数十人で潜入する者たちに比べれば、ここは比較にならぬほど安全だ」

 本当ならば戒燕や琅琅も向かわせたいところだが、身体の大きな二人は目立つため潜入活動には向かない。また、外から兵を率いて攻めることで潜入隊の援護をする必要もある。

 すぐに潜入隊が組織された。

 隊長の志道を筆頭に、精兵数十人。

 その他、清隆、伯舟、子昂と、道案内に陸子安も加わった。

「お主らを決死隊とは呼ばぬ。死ぬな。必ず生きて帰ってきて欲しい」

 それが戦場において甘い考えであることは、琉も自覚していた。

 しかし言わずにはいられなかった。

 潜入隊は夜のうちに移動を開始した。


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