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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
政変
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青織

 青織はただの盗賊集団ではない。

 銀洞のような已む無く掠奪活動を行っていた集団とは違い、明確な意志を持ち煌姓の弦朝廷を転覆させることを目的に立ち上がった、謂わば反乱軍である。

 青織を率いる将の名は、廖国忠(りょうこくちゅう)

 元々は黄央軍に所属する将軍であり、弦のために力を尽くしていた人物である。それが堰氏の改革による混乱で弦朝廷に対して疑念を抱き、替わって立った袁氏もまた悪政を続けたことで完全に弦朝廷を見限ったのである。

「堰無夷、袁永建。二代に渡って悪道を働く相国を置いた弦朝廷に、天下を治める資格は無い! 弦帝室の煌姓を名乗る共王も同罪である!」

 琉も袁氏に敵対する気持ちを秘めているが、廖国忠はその琉も憎悪の対象に含めていた。

 黄中軍にいたころから猛将として知られる廖国忠。その猛々しく揚がる気炎は天を衝くほどの勢いを持ち、その熱量は率いる将士にまで伝播していた。

 共藍軍と青幟との衝突は、予想外の激しさとなった。

 数の上では共藍軍が勝っている。しかしそれは道々併呑していった元賊軍の分であり士気も訓練度も十分ではない。

「このまま正面から当たるだけでは、戦闘は長引き双方に大きな被害が出ます」

 そう考えた衛舜は敵後方を襲撃し、混乱を生じさせる陽動策を献策した。

「戦場は左右を山に挟まれた地形のため、双方の軍は前方の敵のみに集中しております。後方に予期せぬ軍勢が現れれば、混乱を生じ戦局は一気に傾くでしょう」

 山中に難路なれども馬を通過させ敵後方まで迂回させる路があることは既に調べがついていた。難路である故に多くの兵を送り込むことはできないが、陽動だけであれば十分であろう。

 問題は誰にその陽動部隊を任せるか。

「徐将軍がよろしいかと」

 その名を挙げたのは琅琅だった。

 徐仲偉(じょちゅうい)は、琉が共藍へ移る以前から共藍軍に身を置いていた古参の将である。琉は徐仲偉に対し”並の将軍である”という以上の印象はなかった。事実、特別に武勇に優れるわけでもなく、智謀に秀でているわけでもない。

 しかし琅琅は徐仲偉の資質を武勇でも智謀でもない部分に見出していた。

「徐将軍を一言で表すならば”機を見るに敏”です」

 臨機応変と言い換えても良い。素早く状況を判断し、果断決行、迷うことがない。特に機動力のある騎兵を率いたとき、その特性は十二分に発揮される。そう琅琅は評価していたのである。

 琉はこの推薦を容れ、徐仲偉に別働隊の指揮を命じた。

 命を受けた徐仲偉は瞬く間に出立の準備を整えると、夜陰に紛れて本隊を抜け出し山中の行軍へ向かった。


 廖国忠は黄央軍に属していたころを思い出していた。

 当時から情に篤く民を想う人物として知られていた廖国忠は、堰氏の改革による混乱で困窮する民に心を痛めていた。それが終わったと思えばすぐに袁氏の専横による混乱が始まった。民を想う悲しみの心は、やがて怒りに支配されるようになり、その怒りの矛先は長きに渡り相国が悪政を行うことを認めた弦皇室へ向かうことになる。

 対峙する共藍軍を率いているのは、その弦皇室に属する共王・煌琉。もちろん、煌琉もその怒りの対象に含まれている。

――平民生まれの母を持つ共王は民からの人気は高いと言われているが、弦皇室の一員であることには変わりはない。

 戦況は激しいながらもどちらに傾くことなく膠着した状態となっている。

 しかし元々数の上では劣っていた青幟からしてみれば、上手く敵の攻勢を受け止めているという見方もできる。元々目的もなく活動していた賊軍を飲み込んで大きくなった共藍軍である。戦いが長引けば戦意は萎えていくだろう。

――共王を打ち倒せば、玄安の袁氏を除いて主要な皇族に力を持つ者はいなくなる。

 そうなれば、玄安の袁氏を倒した後がやりやすくなる。煌姓の幼帝を探し出して即位させ禅譲を迫るか、あるいは後継者の不在を理由にいきなり断絶させてしまってもいい。

――そこから新たな弦の歴史が始まるのだ。

 脳裏で皮算用を行う廖国忠。

 突如、その背後から大きな太鼓の音が鳴り響いた。

「背後から敵襲です!」

「なんだと?! どこの軍勢だ!」

「共藍軍です。その数は判然としませんが、おそらく五千は下らないと思われます」

 にわかには信じられない話だった。

 この数日対峙を続けていた共藍軍だが、その数は事前の斥候の報告と大差はなかったし、対峙中に減ったようにも見えない。五千もの兵が別働隊として抜け出せば、必ず気付くはずである。

 それに共藍を発した時点で公表された兵数と、銀洞や錫雀を飲み込んだ兵数を計算すると、今対峙している軍勢で概ね計算が合う。

――そもそもこの別働隊はどこから湧いて出たのだ。

 戦場の左右を挟む山地は数日程度で迂回できるような小さなものではない。山中に路はあるが五千もの兵が数日で通り抜けられるようなものでもない。

 そうなると、事前に別働隊を移動させていたというのか。

――いったい、いつからこの状況を想定していたというのか……。

 廖国忠が混乱に思考を奪われている間に、兵たちに恐慌が広がっていた。


 徐仲偉が率いた別働隊は二千に過ぎない。

 それを倍以上に錯覚させるため通常より多くの幟を揚げさせ、馬の尾に木の枝を括りつけそれを引かせることで多くの土煙を上げさせた。本隊の方でも別働隊が抜け出したことを悟られないような細工をしているはずである。

 それらが功を奏したためであろうか。

 青幟の隊列に混乱が表れている。

「北西へ逃げろ! 北西には共藍兵はいない! 北西へ逃げれば助かるぞ!」

 徐仲偉は配下の兵にそう叫ばせた。

 事実、徐仲偉の別働隊は北東方向から攻撃を仕掛けており、北西方向に兵を配していない。

 南は共藍軍の本隊が、東西は山が、それぞれ戦場を囲んでおり、徐仲偉が北を全て抑えれば完全な包囲網が完成する。しかし徐仲偉はあえてそうしなかった。逃げ道を残しておくことで、敵が窮鼠となり死に物狂いで噛み付いてくることを避けるためだ。これは兵法の基本でもある。兵数を誤魔化すための土煙で視界が悪いため、敵兵に”北西方向が開いている”ということを伝えるために兵たちに叫ばせたのだ。

――しかし、全ての敵を逃がすわけにはいかない。

 徐仲偉の目は、北西方向へ逃げていく敵兵の流れを鋭い視線で観察していた。

 その視線が敵大将・廖国忠の幟を捉えた。

「廖国忠が逃げるぞ! 敵将を逃がすな! 突撃せよ!」

 機を見るに敏な徐仲偉が、敵将を捕らえる好機を逃すはずがなかった。


 琉の前に引き出された廖国忠は、その眼光に宿る敵意を隠そうともしなかった。

「この国に混乱をもたらし、民を苦しめた煌氏め」

 吐き捨てるように言い放った言葉。

「堰氏も袁氏も私が任命したわけではないのだがな」

「同じことよ。お前は兄と弟が悪政を働くのをただ傍観し、共藍という辺境の田舎で中央の混乱から目を背け、私腹を肥やしていただけではないか」

 その言葉は琉の想像だにしないことだった。

――そのように捉える者もいるのか……。

 堰氏、袁氏の混乱の中、共藍だけはその影響を最小限に抑えていることができた。それは琉と共藍の民だけが安寧を享受するためだけではなく、他の地域から逃げてきた流民を受け入れるためでもある。つまりは全て民を思ってのことだった。

 しかし事実として共藍は富み、その地を治める琉はその富を享受することができる立場である。皇族全てを憎む廖国忠のような人物には”私腹を肥やしている”と見えてしまっても仕方がない部分もある。

「私は民のために共藍の安定を保つために力を尽くしていたのだ。それに、兄弟が悪政を行うのをただ座して見ていたわけでもない。今の朝廷をそのままにしておくつもりもない。多くは言えぬが、いずれ袁氏には権力の座から退いてもらうつもりだ」

「そしてその後、お前が帝位に就いて新たな悪政の相国を据えるのか。そこにいる景氏がそうか」

 琉がどんな弁解の言葉を並べても、廖国忠は悪意の曲解で返してくる。

「殿下、この男にはどんな説得をしようとも無駄です」

 ついに知道が琉を制止する。

「妄想に取り付かれた人間は、どんな理を並べても捻じ曲げて受け取ってしまいます。正義に酔っている人間は利によって靡くこともありません」

 自身の武器が弁舌だと言う知道ですら、この男を説くことはできないと断言した。知道は「弁舌において重要なことは相手を見ることである」と言った。それは、相手の弱点を突けばどんな相手でも説き伏せることができる、という意味ではなく、説いても無駄な相手を見極めるということである。

「これ以上は時間の無駄です。野に放っても同じことを繰り返すだけでしょう」

 知道は暗に処断を勧めている。

 琉はそれに反論する材料を持たなかった。

「仕方あるまい」

「お待ちください、殿下」

 制止の声を上げたのは、衛舜だった。

「この男を殺してはいけません」

「衛舜、お主ならば、この男を説き伏せることができると言うのか」

「いえ、この男の心が変わることはないでしょう。野に放っても同じ事を繰り返すという点も同意見です」

「では処断する以外にあるまい」

「”殿下が”この男を殺すことはありません」

 琉は共藍を出て以降、多くの賊軍を対峙し、その将を全て降伏させてきた。

 つまり、琉はこれまで賊将を殺したことはないのである。

「それをここで途切れさせてはいけません。”共王は捕らえた賊将を殺さない”という風評を維持するのです。この男は殺さずに、玄安へ送りましょう」

 廖国忠を生きたまま玄安に送ったところで、袁氏によって即座に処刑されるであろうことは容易に想像できる。しかしそれは琉が手を下したわけではない。形式的にであろうとも”共王は賊将を殺さない”を維持することができるのである。

 袁氏としても”反乱軍の将”が送られてくることは歓迎であるはずだ。

 共藍軍の目的は角楽に捕われた長清公を救い出すことであり、それは袁氏に対する敵対行動となる。しかし現時点では、公には玄安からの勅命に従っての行動ということになっている。袁氏に従っているという体を保っていた方が角楽の警戒は薄いだろう。袁氏の機嫌を取っておくことは損にはならない。

 琉は衛舜の策を容れ、廖国忠は生きたまま玄安に送られた。


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