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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
共藍
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旅立ち

 秋が間もなく終わりを告げようとしている。

 琉を乗せた馬車は刈り入れを済ませた田の間を南へ向かって走っていた。

 裸となった田が寒々しい風景を描いている。

――まるで私の心の風景のようだ。

 後ろに目をやると慣れ親しんだ玄安が遠ざかっていくのが見えた。

 次にあの都へ戻って来られるのはいつになるだろうか。

 琉は遠くなる玄安と共に自分の目標が遠ざかっていくような気がしていた。


 煌丞はいつにも増して不機嫌そうに宮殿を歩いていた。

 姜涼族との戦に勝利し、玄安へ凱旋して数日後のことである。

――忌々しい小僧め。

 不機嫌の原因は異母弟の琉だった。

 あの戦勝以来、琉の人気は平民や下級貴族たちを中心に高騰していた。民たちは平民出身の母を持つ皇子ということに親しみを覚え、その母を幼少期に亡くしていることに同情しているのだろう。

 加えてあの美貌である。人気が出ないはずがなかった。

 煌丞が腹立たしく思っているのは、その人気のきっかけを自分が与えたようなものだったからだ。琉に別動隊の指揮を命じたのは総大将である煌丞なのだ。

――本陣の奥に控えさせ、動かさなければよかったのだ。

 琉を別動隊として切り離すことを最初に献策してきたのは田参軍だった。今後は地方の小役人として無聊を託つことになるだろう。

 煌丞が自身の執務室である将軍府に入ると側近が来客を告げた。

「杜丞相が来ているだと?」

 部屋に入ると、痩身の老人が立ち上がり拱手した。

「ご機嫌麗しく存じます、殿下」

「わざわざ出向いてくるとは何の用だ、丞相」

 身を投げ出すように椅子に腰かけ、横柄な態度で脚を組む煌丞。

 丞相は皇帝を補佐し(まつりごと)を総覧する重職で、官吏の最高位に位置する三公の首座に当たる。

 その丞相が煌丞に対して恭しい態度を取り、煌丞もそれが当たり前だというような態度なのは、煌丞が次期皇帝である太子であるからに他ならない。

「先の戦勝を言祝ぎに参りました」

「不要だ。帰れ」

 もとより勝って当然の戦である、と思っていた煌丞にとって、目障りな異母弟が持ち上げられるきっかけになった戦のことなど祝う対象ではなかった。

「まったく、殿下は気が短くていらっしゃる」

「俺は今機嫌が悪い。他に要件がないならさっさと帰らぬか」

「その殿下のご気分を害されている御方の対処について、献策差し上げようと参ったのでございます」

「ほう」

 煌丞の眉間の皺がわずかに解れた。そして組んでた脚を解き、丞相に正対する。

「申してみよ」

 聞く気になった煌丞に対し、丞相は一つ咳払いをして話し始めた。

「陛下は三宮殿下に対し、先の戦勝に対する褒賞を下賜されようとしておいでです」

 当然のことである。あれだけの戦功を挙げて褒賞を与えないわけにはいかない。

「そしてその褒賞とは太守の位です」

 太守とは郡を統括する官位である。郡は地域の中核都市である県を複数まとめて管轄する単位だ。

 太守になれば、その地域において直接的な権力を持つことになる。今まで何の力も持たなかった琉にとっては翼を得るに等しい。

 とはいえ、煌丞にとっては忌々しいながらもこれも予想通りのことである。

 冠礼を迎えた皇子は初陣で戦場を経験し、その功により県令や太守となって政を学ぶ。それが父である皇帝の方針であり、煌丞もそれに従い地位を高めていったのだ。

「そんなことはわかっている」

「はい。これは陛下の御意思であり、こればかりは丞相である私はおろか、太子である殿下をもってしても動かすことのできない決定事項でございます」

 丞相の言葉に煌丞は不快げに息を吐く。

――これだからこの男は好かん。

 どうにもできないことであっても、事実を口に出して確認するのは丞相の癖だった。

 それが煌丞にはこの上なく不快であった。

「しかし、どこの郡を任せるかということについては未定。丞相である私に一任されております」

「ほう」

 丞相が続けた言葉は、煌丞の不快さをわずかながら解消させた。

 弦国は広い。玄安から離れた郡の太守にすれば、目障りな異母弟を煌丞の視界の外に押しやることができる。

「候補はいくつが挙がってございますが、共藍(こうらん)ならば現太守が中央に帰りたがっており、すぐに席を空けることができます」

 共藍は弦の南西の辺境である。弦の南部を走る大河・南江(なんこう)の上流に位置し、玄安から最も遠い地域の一つである。その現太守は丞相派の人間だった。

「悪くないな」

「そこで殿下に一つご相談がございます」

 最初は献策と言っていたが、一方的なものではなくやはり交換条件があるようだ。

「なんだ」

「現共藍太守を中央に召還した際には、光禄勲府の大夫にして取り立てて頂きたいのです」

 光禄勲は宮殿の警護を司る官職で、三公に次ぐ九卿と呼ばれる地位である。その光禄勲の配下に所属させて欲しいということだ。現在の光禄勲は煌丞派の人間である。

――これが丞相のやり方だったな。

 丞相は当然ながら宮廷内に自身の派閥を持っている。しかし、現在は煌丞と外戚である堰氏の派閥に押されている印象は否めない。それでも丞相という最高位を維持していられる秘密はここにあった。

 煌丞派など他派閥の影響力の強い各府に自身の息のかかった人間を巧みに配置し、薄いながらも広い影響力を保つのである。

「いいだろう」

 わずかな間を挟み、煌丞は丞相の申し出を容れた。

――大夫の一人くらい受け入れたところで大したことではない。

 丞相は気に食わないが、利用できるときは利用してやるつもりだった。


 琉を乗せた馬車が雀関(じゃくかん)を抜けた。

 雀関は玄安から南に向かう際に必ず通る必要のある関所である。有事の際には帝都を守る戦略上の重要拠点でもあるが、”玄安へ上る”という一種の象徴的な場所であり、登竜門とも呼ばれる。

 琉と変わらぬ年頃の青年が立ち止まり、その巨大な関門を見上げている。朱に染められた門扉は現在は開放されており、その向こうに広い世界が広がっていた。

 やがて決意に満ちた眼差しを北へ続く道に向け、力強い足取りで歩き出す。

 その顔には決意と希望の色が溢れていた。

――玄安へ留学する学生だろうか。

 この門を抜け北へ行くということは、この国の中心へ向かうということだ。

 玄安で学問を修めれば官職に就きやすくなる。

 また、学問だけでなく各地の有力者と誼を結ぶ好機でもあり、そうなるとあっという間に高位に昇るのも夢ではない。

 玄安への留学というのは、地方の民にとって希望に溢れるものなのである。

――その玄安から離れる私の未来は拓かれているのだろうか。

 琉の心は頭上に広がる晩秋の空のようにどんよりと曇り、寒い冬へと向かっていくようだった。

「遠いな」

 太守の地位は大いに喜ぶべきことである。

 しかしやはり共藍は遠かった。

 玄安から共藍までは馬車で一か月近くかかる。早馬を飛ばしても二週間では届かないだろう。

 そうなると玄安、即ち朝廷内の動向への反応がどうしても遅れてしまう。

 帝位争奪戦からの事実上の脱落、とさえ琉には思えてきた。

 琉は弱気になっている自分に気が付くと、慌てたように(かぶり)を振った。

 まだ負けたわけではないのだ。

――早々に玄安へ戻る術を考えなければ……

 琉は遠ざかる雀関から視線を外し、前方の道を照らす太陽を見上げた。

 馬車は南を目指して進んでいく。


第二章開幕です。

琉は新天地・共藍へ。

登場人物も徐々に増えてきます。

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