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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
政変
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結婚

 志道はここ数日、ある悩みに頭の中を支配されていた。

 鋭い視線で共藍城内を行き来する男たちを吟味する。

 悩みの正体。それは娘を持つ父親ならば誰でも抱くものである。

――志姫の夫となるに相応しいのは誰か……。

 きっかけは主君である琉の一言だった。

「そろそろ志姫も結婚を考えなければなるまい」

 突然のことであった。

 考えてみれば志姫も結婚していてもおかしくはない年頃である。いや、それどころかむしろ一般的には遅い方といえる。

 これまで相手を見つけられないでいたのは、志道がそのような手配を苦手としていたことが大きな原因の一つだった。主君を取り巻く環境の変化に対応するために奮闘し、苦手なことを後回しにしてしまったのである。

 志姫自身も結婚に対する願望は薄いということもあった。琉の臣下の一人として働けることに喜びを覚えているのだろう。そこには仲良くしている孟祢祢が、女将軍として共藍軍の中核にいるということの影響も少なくない。

――お転婆が過ぎるところのある志姫も、結婚すれば少しは大人しくなるのではないか。

 そういう思いが、主君の一言でにわかに湧き起こってきていた。


 娘の結婚相手には最上の男を、とはどんな父親でも考えることである。

 共藍において最上の男といえば、まず共藍公・煌琉であろう。

――しかし、さすがに畏れ多い。

 亡くなった奥方の杜涼香に対する遠慮もある。

――郭将軍はどうだろうか。

 琉を除けば、共藍の男で最上と言えば郭戒燕であろう。

 しかし戒燕に対しては祢祢が強い想いを寄せていることは、共藍の人間であれば誰しもが知っていることである。祢祢と仲の良い志姫が戒燕との結婚を喜ぶとは思えない。

――では、孟将軍はどうか。

 祢祢の兄の琅琅。共藍軍屈指の猛将である琅琅は男としては申し分ない。

 しかし琅琅は桟河族の人間である。いずれ衆南から桟河の故地が返還された暁には、弦を離れて去っていく可能性もある。志姫はそれでも上手くやっていくだろうが、父親として唯一の娘が遠くへ行ってしまうのは寂しいものがある。

――乾殿はダメだ。殿下の臣下の中で、志姫の相手としては最も好ましくない。

 清隆は琉の臣下とはなっているが官職には就かず、身分としては琉の食客でしかない。それ以前は各地を放浪する盗賊であり、好色家としての武勇伝も多いと聞く。有能な人物であることは間違いないが、娘の夫となる人物としては眉をひそめざるを得ない。

――宋殿は若すぎるか。

 逃避行の道中に琉の臣下となった子昂は、志道の指示を受けて動くことが多い関係でその人となりには好印象を持っているが、冠礼を迎えたばかりであり志姫よりも年下になる。活発な志姫を抑えるには力不足であろう。

 衛舜は琉が共王となり衛舜が太守に相当する王国相となるなど、その将来性は戒燕にも匹敵する。しかし衛舜は既に地元の小貴族の娘を娶っていた。大切な一人娘は、できれば正室に入れたい。

――景県令がいいのではないか。

 志道の脳裏に閃いたのは、衛舜の義弟、衛業だった。

 衛業は若くして共藍の郡丞という地位に就き琉を支えてきた。かつては”優秀な義兄の付属品”と自らを卑下することもあった衛業であるが、今ではその若さに似つかわしくない程の熟達した政治手腕を発揮する能吏に成長していた。

 琉が不在であった数ヶ月間も共藍をただ護り維持するだけではなく、南江南岸の新たな邑の建設を滞りなく進めていたことなどを始め、実績も申し分ない。

 その功績などもあり、今では共藍の県令を任されている。

――今後、殿下が帝位に昇ることを考えれば、将来性に不安があろうはずもない。

 考えれば考えるほど、それは名案のような気がしてきた。


「志姫の結婚ですか。そうですね、そろそろ結婚させなければいけませんね」

 妻の小燕の反応は思いの外軽いものだった。

 娘の結婚は父親の意思のみで決定するのが一般的であるとはいえ、董家の女たちは自身の意思を強く主張する傾向にある。だからこそ志道も小燕に話を通しておこうと思ったのであるが、軽い返事をした後は特に意見を言うでもなく家事を継続させている。

「良いのか」

「結婚ですか。もちろんです。娘の結婚を歓迎しない母親はいませんよ」

 志道は僅かな違和感を覚えつつも、小燕から”歓迎”の意思を確認できた以上は何も言わなかった。


 翌日、志道は琉を訪ねた。

 志姫も、その相手にと考えている衛業も、共に琉の臣下である。話を通しておかないわけにはいかない。できれば景家との仲介をお願いしたい、という思いもある。

「先日のお話ですが」

 そう切り出した志道は、傍らの清隆にちらりと目を向ける。琉の護衛役である清隆がそこにいること自体は何の不自然もないが、話の内容を考えると席を外してもらいたい気持ちもある。特別隠し立てることもないが、必要以上に広まるのも困る。

 しかし琉はそれを気にかける様子は無い。

 ”先日の話”について記憶を探り、ややあってそれに思い至ったようだ。

「おお、志姫の結婚を決断したか」

 頷く志道に、喜色を見せる琉。

「その相手ですが……」

「皆まで言わずとも良い。承知している」

 琉の言葉に志道は驚きを隠せなかった。

 志道が衛業の名を挙げる前に、相手がわかっていたのか。

――元々相手の気持ちを察することに長けた主君ではあるが、これほどとは……。まるで妖術ではないか。

 しかしさすがの琉も妖術を操るわけではない。

 琉と志道、互いに誤解があったということは、直後に琉を訪ねてきた人物によってすぐに判明することになる。

「失礼します。董志姫でございます」

「おお、ちょうど良いところに来た。入ってくれ」

 志姫は室内に父がいたことに驚きを示すことなく、始めから知っていたかのようだった。

「今お主のことを話していたのだ」

「はい。そうだと思いましたので、私も参りました。父上には私の口から申し上げなければいけないことですから」

「む、では、あのことはまだ父には言っていなかったのか」

 琉は自身に誤解があったことを気付いたようだが、依然として話の見えない志道は、主君と娘の顔を交互に見るしかない。

――嫌な予感がする。

 諜報を得手とし危地に入ることもある志道は、危険に対する嗅覚は鋭い。それが命に関わるものでないとしても、である。

「父上、お願い申し上げたいことがございます」

 志道の方へ向き直り、父を真っ直ぐ見つめる志姫。

「私たちの結婚をお許しください」

 志姫の結婚。その許しを求めてこの場にやってきた志道である。否やがあるはずもない。

 しかし一点気にかかるのは、志姫が”私たち”と言ったことだった。

 その言葉の意味を志姫はすぐに補足する。

「相手はそこにいる乾清隆様です」

 それは志道が”志姫の相手として最も好ましくない”と考えていた男だった。


 志姫が清隆に抱いた第一印象は決して良いものではなかった。

「これまでに出会った女性の中で、貴女は最もお美しい」

 軽薄な言葉を吐きながら近付きいきなり手を握ってきたその男に、良い印象を抱く方が難しい。

 確かに類い稀な美貌の持ち主ではあったが、その稀な類いである琉に仕える志姫にとっては見慣れたものであった。それだけでは心を許す理由にはならない。

 次に対面したのは、夜の共藍城内。部外者である清隆がいるはずの無い場所だった。軽薄な男という印象の清隆は、盗賊であった。

 しかしただの軽薄な賊に見えた清隆は、その内面に確かな信念を持っていた。その信念に基づき琉に臣従した清隆を、志姫は密かに意識することになる。

 そして同じ主君を仰ぐ臣下として、あるいは主君の危機に従い共に旅を続ける仲間として、共に過ごすうちにその意識は明確な好意へと変わっていったのである。


 清隆は自身が類稀な美貌を持つことを自覚していた。

 しかし同時に美貌だけの男ではない、という自負もあった。

 それゆえに数多の女を抱いてきた清隆は、彼女たちが清隆の美貌だけに惹かれて心を許したことに、毎回落胆に近い感情を抱いていた。

 逃避行の道中、業湊において玲寧に語った「私のような美貌を持つ者は人の目を集めることができるが、それも尊敬の眼差しではない」という言葉は、清隆自身の嘆きの声でもあった。

 しかし志姫は違った。

 煌琉という美貌の主君に仕える志姫は、清隆の美貌だけを見て心を許すことはなかった。

 それゆえに清隆も志姫を強く意識するようになっていた。


 清隆と志姫の婚儀は恙無く執り行われた。

 志姫は父が清隆に対して好もしくない感情を抱いていることを見抜いていた。

 そのため、本丸である父を攻める前にその外堀を埋めるように琉や小燕を味方に付けていたのである。

 主君や妻、何より志姫本人がそれを望んでいる以上、志道一人の感情だけでそれを許さないというわけにもいかなかった。

「これからもよろしくお願いします、舅殿」

 いつにも増して華やかな笑みを浮かべ挨拶する清隆に、志道の渋面は崩れることはなかった。


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