安堵
「お世話になりました」
琉は見送りの馬那王子を振り返り、最後の挨拶を交わす。
「馬那王子が共藍へお越しの際には盛大に歓待させていただきます」
「いや、私は共藍で貴方の歓待を受けることはないだろうな」
琉の好意を突き放すような馬那王子の言葉は、もちろん悪感情によるものではない。
「私は王位継承の問題が片付くまではしばらく衆南を離れることはできない。そして問題が片付く頃には、貴方は共藍にはいない。皇帝として玄安にいるはずだからな」
そういって大笑する馬那王子に、琉も笑ってしまった。
「瑠奴よ! お前がご案内するのは未来の弦帝だ。しっかりお守りするのだぞ!」
その声に最敬礼で応えた瑠奴は、琉たちと同じく旅装に身を包んでいる。
琉たちが乗る馬車の他に、数乗の馬車が出発を待っていた。馬那王子が護衛兼道案内として兵を動かしてくれたのだ。その兵を指揮するのが馬那王子の腹心である瑠奴であるところに、馬那王子が琉に対して抱く親愛の度合いが窺える。
もはや商人と身分を偽る必要はない。
共藍までは安全な旅となるだろう。
かつて衆南の都から共藍までの路は難路と言われていたが、それももう過去のことである。
それは琉が推し進めた治水の効果で南江の渡河の安全性が確保されたことだけではない。
安全に渡河できるようになったことを知った商人がこの路を利用するようになったことで、徐々に街道が整備されていったのだ。
人の往来が増えれば商売の機会が増える。商売の機会があれば商人は自然と集まり、活気が生まれ、利便性はさらに上がりまた人の往来が増える。
良い循環が生まれていた。
「これほどの活気となっていたとは……」
「実際にこの宿場町を作ったのは商人たちですが、そのきっかけを作ったのは殿下です」
道中の宿場町の活気に驚く琉に、衛舜が声をかける。
琉は「自分が行ったことは些細なこと」と思っていた。しかしこの良い循環が起こるにはきっかけが必要であり、それを作ったのが琉であることは間違いないのである。馬那王子もそれを評価し、琉を厚遇したのだ。
「為政者はきっかけを作るだけでよいのです」
それが衛舜の考えだった。
交易路の活性化と共藍の発展のきっかけは南江の治水である。治水は確かに大規模な事業であったが、その後の人口増加や産業の活性化は民の活動に任せていただけだ。無理に命じて民を移動させたり、活動を強いたわけではない。
しかし琉にはこの交易路沿いの発展が自分の功績と考えることはできなかった。
「この発展はこの地で活動する商人の功績によるものだ」
琉の言葉に、衛舜はそれ以上は何も言わず穏やかに微笑んでいた。
一団は大きな山脈を越え、山の北側へ出た。
弦国勢力圏の西端と南端は概ねこの山脈が境界となっている。弦の神話では神が天下を創造する素となった神獣の尾からこの山脈が生まれたとされている。
この山脈を越えることは、弦の勢力圏へ戻ってきたことを意味していた。麓には見慣れた大河が横たわっているはずだ。
「戻ってきたな」
しみじみと呟く琉。
共藍を出たときはこれほどの長旅になるとは思っていなかった。
道中は様々な危機があったが、臣下を始めとする支援者に支えられてここまで無事に辿り着くことができた。
「私は恵まれているな……」
自分の口からこぼれ出たその言葉に、思わず吹き出してしまった。
玄安では不遇の皇子と嗤われ見向きもされなかった自分が”恵まれている”と感じていることが滑稽に思えたのだ。
しかしそう捉えた臣下は誰もいなかった。
「殿下のこれまでの苦労が実を結んだのです」
戒燕が静かに語り始める。
「玄安にいた頃は、殿下の背後に誰もいないことをただ嗤うばかりで、殿下ご自身を見ているものは誰もいませんでした」
戒燕は敢えて言葉を選ばなかった。
ともすれば無礼とも受け取れるその言葉は、玄安にいた頃から琉と苦楽を共にしてきた戒燕だからこそ言えるものでもある。
「しかし共藍へ移り殿下ご自身の輝きが人目に触れるようになったことで、もはや誰も殿下を”不遇の皇子”と嗤うことはできなくなりました」
喜びと誇らしさに溢れる戒燕の言葉に、他の臣下も皆微笑み頷いていた。
山を下り南江に近付くにつれて、その沿岸に見慣れない邑があるのが見えてきた。
邑の周囲を巡るまだ建設中の城壁に人影が見える。
「あれは……」
傍らの志道を振り返ると、その人影が琉の思っている人物であると首肯する。その顔には安堵と喜びの色が浮かんでいる。
その人影も邑に近付きつつある一団を認め、壁から降りてきた。
「琅琅!」
「殿下! 本当に殿下ですか! よくぞご無事にお戻りになられました」
辺り一帯に響く琅琅の大声に、周囲の民や兵も琉に気付いた。
「共藍公だ!」
「皇子が帰ってきた!」
「殿下はご無事だったぞ!」
あっという間に民が群がり、歓喜の声が上がる。
「おい、お前ら! 殿下は長旅でお疲れなんだ。さっさと作業に戻れ」
叱責の言を発する琅琅だが、その語気に責める色はほとんど含まれていない。民が琉の帰りをどれだけ待っていたか、それは琅琅も良く理解していた。
「この邑はいったいどうしたのだ」
「殿下が玄安へ出発される前に、流民により増える人口に対応するため建設をお命じになられた邑です」
琉はもちろんそれを覚えている。しかし自分とそれを主導していた衛舜が長期で不在となっていたことから、その進捗は停滞しているであろうと思っていたのだ。
「殿下のご不在の間は、景郡丞が工事を停滞させてはならないと取り仕切り、ここまで建設を進めていました。城壁はまだ完成には至りませんが、既にご覧の通り多くの民が中で生活をしております」
「衛業が……、そうか」
共藍は衛業が守ってくれると信じ、時間のかかる衆南経由の迂回路を選択した琉。衛業はその期待を上回るほどの働きをしてくれていたのだ。
「琅琅も良くやってくれた。お主たちには感謝しなければならない」
「勿体なきお言葉。すぐに渡河の船を用意させます。殿下の帰りを対岸に報せていますので、景郡丞がお迎えに上がるでしょう」
見上げると一筋の狼煙が上げられていた。
琉を乗せた船が対岸に着くと、琅琅の言葉通り衛業が出迎えた。
「良くぞ……、良くぞ、ご無事で……」
「衛業、心配を掛けた。対岸の邑を見たぞ。民のため、良く工事を止めず進めてくれていた」
跪く衛業を助け起こし、褒詞を与える。
安堵と喜びで衛業の目に光るものが浮かんでいる。
「父上!」
琉の娘、鈴が駆け寄り、琉に飛び付いた。
「長く留守にしていて済まなかったな。良い子にしていたか」
「鈴はいつだって良い子よ」
得意げに胸を張る娘の頭を撫でてやる。
周囲を見渡すと皆が再会を喜び合っていた。
衛舜と衛業。志道と小燕。戒燕は祢祢に泣きつかれて困っている。その様子を見て志姫と清隆が笑顔を咲かせている。
――皆見無事に戻ってこれて、本当によかった。
喜びと安堵の色で場が染まっていた。
琉もその感情に身を委ね、鈴の小さな身体を抱き締めた。
本話で5章は完結です。




