衆南
衆南。
大陸南方地域において並び立つもののない大国であり、交易相手となる東の強国である弦や弧が対等と扱う数少ない存在でもある。
衆南、とは弦や弧で呼ばれる呼称であり、「人の多い南の国」という程度の意味である。
衆南の都に着いた琉は、その呼称が如何に相応しいものであるかを実感していた。
「これほどの人通りは見たことがない」
大通りはまさに人の大河とでも言うような状態であった。
「衆南はその版図の広さの割りに未開拓の密林が多く、人が住んでいる土地は多くありません。その分、このように都市部に人が集中するのだそうです」
博識な衛舜が解説をするが、その衛舜も実際にその目で見るのは初めてのことである。琉と同じくその人の多さに圧倒されていた。
特徴的なのは単に人が多いというだけではない。
「玄安であれば西方人を見ることはあるが、衆南人少ない。業湊は衆南人は多かったが、西方人を見ることは稀だった。しかしここにはそのどちらもいる」
衆南には、大陸の各地から伸びる交易路が集中している。現地民、弦や弧、大陸西方諸国。さらには弦ではまず見ることのない習俗の人も少なくない。おそらくは南海諸島の民であろうか。様々な土地の民が行き交っており、その多様さは他に類を見ない。
それは衆南の豊かさの証でもある。
しかし、その多様さは時として問題を引き起こすことを琉は知っていた。
共藍においてもその発展に伴い弦の各地から民が集まってきた。それは弦の各地の習慣が交じり合うことであり、それによって民同士の衝突が数多く発生していた。
同じ弦国内の地方が交じり合っただけで治安が不安定になったのである。それが国を跨いで大陸中の習俗が交じり合ったとき、どれほどの混乱になるだろうか。
事実、大通りを少し歩いただけで、あちらこちらで怒声が聞こえてきていた。
「簡単な日常会話程度ならばなんとかなりますが、口論に巻き込まれてはどうしようもありません」
志姫が不安を口にする。
方伯瑜が一行を離れてから通訳をしてくれている志姫。しかし衆南語は共藍で祢祢に教わっただけであり、これまでの道中の慣れである程度の会話はこなせるようになってきたが、まだまだぎこちない部分も多い。
「必要な物資を揃えたら早々に共藍へ向けて出発しよう」
元々急ぐ旅なのである。衆南自体に用はなく、ただの通過点に過ぎない。長居をする理由はなかった。
しかし、騒動というものは避けようと思って避けられるものではない。むしろ避けようとしている者の方にこそ寄ってくるとさえ言えるかもしれない。
『×××××!』
人混みの中から、突然琉の目の前に飛び出してきた痩身の男。
躓き、倒れそうになるその男を琉は咄嗟に支えていた。
「おっと、大丈夫か?」
『×××××××! ×××××!』
衆南語で早口に何かを言っている。しかし当然琉にその言葉は理解できない。
「おそらく、ですが、助けを求めているのかと思います」
あまりの早口に志姫も自信なさげに通訳する。確かに男の顔には、焦りと恐怖の色が浮かんでいた。
『××××××!』
人ごみの中から怒声と思われる声が発せられ、商人らしき衣装の大男が現れた。
『×××××××××××!』
痩身を男を追ってきたと思われるその大男は、乱暴に痩身の男の腕を引く。
そして痩身の男に向かって鞭を振り上げた。
「乱暴はやめろ!」
咄嗟に痩身の男を庇う琉。
振り下ろされる大男の鞭は、戒燕の手によって止められていた。
『×××××! ×××××××××! ×××××××××××××』
大男が怒りの表情で詰め寄るが、琉にも戒燕にもその言葉は理解できない。
「何故止めるんだ、というようなことを言っていますが、その後はわかりません」
怒りで早口になっている大男の言葉は、志姫にも全ては理解できていないようだ。
しかしいきなり乱暴を働くような男がまともなはずはない。琉はそう判断した。
「戒燕、少し大人しくさせてくれ」
琉の言葉に応じ、戒燕が大男から鞭を奪いその腕を捻り上げる。
大男と言っても戒燕には及ばない。
あっという間に大男は組み伏せられていた。
『落ち着いて。話を聞いてください』
『×××××××××××××! ××××××!』
志姫がゆっくり衆南語で大男に話しかけるが、大男は激昂し喚き散らすだけだった。
「これではとても聞き取れません」
志姫が振り返り困り顔を見せる。
その時、痩身の男が琉の手を振り解き逃げ出した。
「あっ、なぜ逃げる!」
琉の声にも反応せず、傍に立っていた子昂を突き飛ばして人混みの中へ紛れようとする。
それを止めたのは、見慣れた美貌の青年だった。
「子供を突き飛ばして逃げ出すなんて、美しくないな」
痩身の男の身体が宙を舞い、大地に叩きつけられる。
「清隆!」
白燗の街で琉の身代わりとして捕らえられ、紅麦の捕虜となっていたはずの清隆だった。
「お待たせして申し訳ありません殿下」
「何を言う。良くぞ無事でいてくれた。見捨てるような真似をして済まなかった」
「いえ、ご英断でございました。もし助けに来て私の決意を無駄にするようでしたら、私は再び流浪の盗賊となっていたでしょう」
見捨てずに助けに来ていたら清隆は琉の臣下でいることをやめていただろう、ということである。
志姫が見捨てて先へ行くことを進言してくれたことは正解だったのだ。
「しかし良く追いつくことが出来たな。道中問題なかったか」
「優秀な通訳がついてくれておりましたので」
そういって振り返った清隆の視線の先には、方伯瑜がいた。
その姿を認めた戒燕の表情が険しいものになる。
「何故お前がここにいる」
「ああ、郭殿いけません。その方をお放しください」
睨みつける戒燕の方へ、小走りに駆け寄る方伯瑜。
「なんだと?!」
方伯瑜に対して最も疑念を抱いていたのは戒燕だった。その指示に従うことには抵抗があるのだろう。
「戒燕、放してやれ」
しかし琉の指示には従わざるを得ない。しぶしぶといった様子で大男を解放する。
すぐに怒声を上げ戒燕に詰め寄る大男を方伯瑜が懸命に宥める。
怒りのまま早口にまくし立てる大男の言葉も方伯瑜は丁寧に受け答えし、次第に大男の態度も軟化してきた。
『××××××××、×××××××××××××××』
『××××、×××××××××××××××××××××××××××××』
『××××××××××××××』
何度かのやり取りの後、方伯瑜が深々と頭を下げると大男は痩身の男を連れて人混みの中へ消えていった。
「あの大きな方は奴隷商人で、逃げていた痩身の男はその商品だったのですよ」
「奴隷、だと?」
人を人と扱わず、物として扱う奴隷制度。かつては弦においても戦で捕虜とした蛮族に対して同様の扱いをしていたが、現在では野蛮な行為であるとされている。
しかし世界的に見れば、それは少数派であった。特にこの衆南においては、奴隷の存在は経済を支える重要な要素となっている。
「あの奴隷商人から見れば、貴方たちは商品を奪おうとしている不届き者でしかなかったのですよ」
琉の心情としては、奴隷の存在は受け入れ難いことである。
しかしここは衆南であり、その存在が当たり前の土地である。
「そうか。方殿がいてくれて助かった。礼を言う」
郷に入りては郷に従わざるを得ない。
「どういうことか説明をしてもらおうか」
戒燕が鋭い視線を向ける先は、琉の身代わりに紅麦に捕まっていたはず清隆。
「なぜ乾殿は無事にここにいる。白燗での騒動はいったいなんだったのだ。なぜその男と一緒にいるのだ」
矢継ぎ早に疑問を投げつける。
ここにいるはずのない男が現れた。それも琉を陥れようとした疑いで一行を離れた方伯瑜と共にである。
先ほどは方伯瑜に助けられたのであるが、白燗での疑念が晴れなければ信用することは出来ない。
「私が無事にここにいることができるのは、方殿のお力添えによるものです。方殿が紅麦公と取引を交わし、私を解放するよう説いてくれたのです」
清隆のその言葉に、戒燕は激しく反応した。
「紅麦公と取引だと?! やはりお前たちは紅麦の回し者か!」
戒燕の右手が、腰の剣にかけられる。
一瞬で周囲の空気が張り詰めた。
戒燕と清隆が刃を合わせることになれば、実力で止められるものなどいない。
「落ち着け、戒燕」
琉が制止の声をかけるが、戒燕は臨戦態勢を解かない。
――この男が敵であるならば、一瞬の油断も許されない。
これまで戒燕は清隆と刃を合わせたことはない。
清隆は訓練においても「本気でなければ我々がやる意味は無いし、本気になれば両者無事では済まない」と言って戒燕との手合わせを避けてきた。
しかしこれまで清隆が戦う様を見てきた戒燕は、清隆が口だけの男ではないことを良く理解している。
戒燕が知る限り清隆が最も本気に近い戦いを演じたのは、共藍城に忍び込んだ清隆と琅琅が刃を合わせたときだ。そのときも両者は本気ではなかったが、それでも清隆の方が余裕を残していたと戒燕は見ていた。
戒燕の鋭い視線を浴びながら、清隆の左手がゆっくりと腰の刀にかけられた。
鞘に収まったまま、刀が帯から抜かれる。
そして琉の足元へ刀が放られた。
「私は敵ではない。方殿もだ。私に争う意思は無い。しかしこれ以上疑うというのならば、その刀を殿下にお返しし姿を消すしかない」
形式上、清隆の持つ刀は清隆の盗賊の罪を贖うために琉が没収し、臣下となった清隆に貸与しているものである。これを琉に返すということは、臣下の誓約を無かったことにするということになる。
足元に転がった刀を拾い上げる琉。
そして、真っ直ぐ清隆を見つめる。
しばしの沈黙の後、琉は戒燕の方へ振り向いた。
「力を抜け、戒燕。清隆は敵ではない」
「しかし殿下」
「大丈夫だ。私が信じられないか」
穏やかに微笑む琉。
主君にそう言われては、戒燕にこれ以上抵抗する術はなかった。
琉の言葉に戒燕の緊張が解かれたのを確認すると、琉は再び清隆の方へ向き直った。
そして軽やかな足取りで清隆に近付き、刀を差し出す。
「まだこれは返してもらうわけにはいかない。まだ私の下にいてくれ」
清隆はいつもの華やかな笑みを見せ一礼し、その刀を受け取った。
――相変わらず美しい男だ。
琉の素直な感情であった。
それは外見の美醜のことだけではない。
清隆の顔には、一切の邪な感情の色は見えないのだ。
余計なものが混じらない感情の色は、この上なく美しく見えた。
清隆は琉の臣下となる条件として”美しい行い”を琉に対して求めていた。先ほど「刀を返す」と言ったのも、ただの脅しではない。本心からの言葉だったのだろう。
――私が道を間違えれば、清隆はすぐに去っていくだろう。
しかし逆に言えば琉が”美しい行い”をする限り、清隆は琉から離れることは無い。
清隆が紅麦から解放された経緯はまだわからない。
方伯瑜が敵か味方かについても、確信をもって断じることは出来ない。
しかし清隆の行いが”美しさ”から外れているわけが無い、ということだけは信じることが出来た。




