将器
前線を見つめる煌丞は、不機嫌を絵に書いたような顔をしていた。
その視線の先には盤将軍の旗。戦場の最前線で騎兵隊を率い、敵兵と交戦中だ。
弦国随一の武人である。戦闘で敵に後れを取ることはないだろう。
問題なのはその位置だった。
――どこまで追いかけるつもりだ、あの単細胞は。
盤将軍と対峙した敵の騎兵隊の将・孟統は、姜涼族でも一二を争うと名高い猛将だ。
盤将軍の武名は弦国外にまで轟いており、彼が戦場に立っているだけで彼我の兵士たちの士気に影響を及ぼすほどである。その盤将軍に対峙するならば、姜涼軍もそれなりの武人を出す必要があり、その役に耐えうるのは侑軒か孟統のどちらかしかありえない。
しかしその孟統の隊と盤将軍の隊とが戦闘を開始すると、いとも簡単に押し込まれ後退を始めたのだ。
明らかに偽敗であり盤将軍を戦場から遠ざけるための計略である、と煌丞は看破していた。
しかし、そのことに盤将軍は気付かない。目の前の敵に夢中になるあまり、戦場全体を見ることを忘れてしまうのだ。
――所詮個人の武勇を誇るだけの武人で、将たる器ではない。
盤将軍を将として使っているのは、兵の士気を高揚させるために他ならない。
敵の策に嵌った盤将軍の騎兵隊は最早期待はできない。
残る騎兵は千。敵軍も同じくらいの数の騎兵を残しているだろう。歩兵の数では圧倒しているとはいえ、騎兵同士の衝突で敗れることがあると、戦況がひっくり返る恐れもある。
――余人に任せてはおけぬ。
煌丞は生来好戦的な性格だった。
それは自身が戦場において最も秀でた能力を有するという自信によるものであり、それを証明し誇示したいという欲求によるものでもある。
事実、個の武勇においては盤将軍に引けを取らず、兵を率いてはこれまで百戦して負け知らずである。
「俺が出る。騎兵を前に出せ」
短く指示を出すと、前線に向かって馬を進めた。
前線を見つめる姜王は、上機嫌を絵に書いたような顔をしていた。
その視線の先には、臣下の孟統と敵将である盤将軍の旗。
――指図通りあの厄介な武人を遠ざけてくれてたな。
孟統は武勇に優れるが、将として兵を率いるには思慮が浅く頼りないところがある。しかし指示を出せば着実に実行する有能さも持ち合わせていた。
――その点、我が子の侑軒は策を弄しすぎるところがある。
山中の別動隊の動向が気がかりであるが、さすがに初陣の若い皇子に戦場で後れを取ることはないだろう。
仮に敗れるにせよ、時間稼ぎくらいはできるはずだ。そうなれば、敵の別動隊に後背を突かれる前に本隊の決着をつけてしまえる。
――そろそろ敵の大将が動き出す頃かな
姜王は得物の戦斧を担ぎなおした。
敵の大将煌丞は太子ながら武勇に優れると聞くが、どれほどの腕前であろうか。
「儂も出るぞ。残りの騎兵を前に出すのだ」
側近に指示を出し、姜王は馬を進めようとした。
そのときだった。
背後から太鼓の音と共に喊声が上がり、弦兵が姿を現した。
「馬鹿な! もう弦の別動隊が到着したと言うのか!」
侑軒はどうしたというのだ。まさか出くわさなかったとでも言うのか。
しかし今はなぜ弦兵が背後に現れたかではなく、どうこの苦境を収めるかを考えねばならない。
百戦錬磨の姜王はすぐに思考を切り替え、矢継ぎ早に指示をだした。
琉は感嘆を超えて感動すらし始めていた。
背後を取れば敵兵は総崩れになる。と、そう思っていた。
そのために昼夜兼行で山中を進んだ。幸い満月に近づいてきたことで、月明かりを頼りに進むことができたのだ。
そして本隊同士の決着前に間に合うことができた。
そのことに安堵するばかりで、その後のことは楽観視していた。逃げ惑う敵兵を追いかけるだけだと。
しかし姜涼兵は総崩れとは程遠い整然とした動きで後退し、見事に陣形を立て直していた。
その動きは、まるで一つの生き物のようだった。
将たる器は、負けた時にこそわかる。
そういう意味では、山中で打ち負かした侑軒とその父である姜王とは、将器に天地ほどの差があると言わざるを得ない。
――果たして自分はどうか。
姜王は盤将軍をおびき出すために離れた位置にいた孟統を見捨てて撤退していた。
仮に救援に向かい合流できたとしても、中央に煌丞率いる本隊、左右に盤将軍と琉が率いる部隊の三方から攻め立てられていただろう。
そうなると最早総崩れとなることは避けられない。
――自分が姜王の立場になったとき、味方の将士を見捨てるという決断ができるだろうか。もしそれが戒燕だったとしたら
琉は自問を繰り返してみたが、ついにその答えは得られなかった。
姜涼軍は去った。
侑軒は琉率いる別動隊に敗れ捕縛され、孟統は盤将軍に討たれ戦死した。
姜王の指揮する本隊は大きな被害なく陣を立て直せたものの、この二将を失ってなお戦闘を継続するのは愚行でしかない。
姜王は引き際を知っていた。
とはいえ、兵の損耗は多くはない。姜王の再起はそう遠くないと思われた。
そこで弦は捕らえた侑軒の解放と引き換えに、姜涼族に弦への不可侵を提案した。
煌丞の心情的には「蛮族など殺してしまえ」と言いたいところであったが、姜涼兵の大半を無傷で北へ逃がしてしまったため、下手に殺して弔い合戦と度々攻められても面倒である。その度に出兵していては弦も疲弊していきかねない。
なにより不可侵を約束させれば、この戦勝に箔が付く。
この取引は姜王にとってもありがたい話だった。
北方の平原は現在は姜涼族が支配しているが、その座を狙う者は多い。
弦に敗れたことで姜王の威信も揺らいでいるだろう。姜涼族内、あるいは他の一族に北の平原の支配権を奪われないよう、姜王は身内であり有力な将である侑軒をなんとしても取り戻したかった。
各々の思惑の結果、穏便に取引は進められ不可侵の条約が成立した。
弦の帝都・玄安に凱旋する遠征軍を迎えたのは、多くの民の歓声だった。
その歓声の多くは、初陣を勝利で飾った若い皇子に向けられている。
琉はこの戦が初陣でありながら、別動隊を指揮し勝敗を決する働きをし、敵将を捕らえ不可侵条約を引き出すという大功を挙げたのである。
若い皇子の活躍に明るい弦の未来を想像し、民たちは大いに湧いた。
琉が馬上から見た民たちの顔は皆、満面喜色で溢れていた。
民にとって琉に後ろ盾となる勢力がなく、力のない皇子であることなど関係のないことだった。
誰しもが新たな英雄を一目見ようと、人ごみをかき分けて前に出ようとしていた。
「ようやく前進しましたな」
馬を並べる戒燕も嬉しそうに声をかけてくる。
この勝利は帝位という目標に向けて前進する第一歩なのだ。
民の歓声はいつまでも止むことはなかった。
――この声が私を帝位に押し上げてくれる。
初めて向けられる感情に、琉が舞い上がってしまうのも無理からぬことであった。
ひとまず第一章はこれで〆です。
次話から第二章です。
引き続きよろしくお願いします。