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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
異国
39/62

密林

 琉たち一行はいよいよ衆南の勢力圏に入った。

 この辺りでは円語と衆南語とを共に使いこなす者も多いが、主に使われるのは衆南語になってきている

 しかしそれ以上に大きな変化が見られるのは、街と街とを繋ぐ道である。弦国内は平野が多く街道は森を避けるように進んでいるが、南江以南は森林の面積が多くなっていた。特に衆南の勢力圏に入ってからはその傾向は顕著になっている。

 鬱蒼とした密林の中を縫うように街道が続いていく。

「密林には危険な獣や毒虫も少なくありません。道を外れることのないようにしてください」

 衛舜が注意を促す。実際にこれまで聞いたことのないような猛獣の声を聞き、見たこともないような毒虫の数々を見てきた。

 しかしこの森に限っては、それ以上に恐ろしい存在が棲んでいた。

 山賊である。

 志道が何者かの接近に気が付いたときには、既に四方を囲まれていた。

「荷と女を置いていけば、男共の命は助けてやろう」

 山賊の一人が大音声で呼ばわる。

 初めは衆南語で呼びかけられたが反応の鈍さに弦人と判断したのか、すぐに円語で改めて呼び掛けてきた。この辺りを通る旅人は円語の話者も多いのだろう。

「どこかで聞いたことのあるような台詞だな」

 弦国内を放浪していたときにも山賊に襲われ、同じ要求をされたことを思い出していた。無法者が要求するものは、どこの国でも同じなのだろう。

 琉たちを取り囲む山賊たちの数は二十人程度であろうか。

「戒燕、どうだ」

「いつかの賊とは違って、こいつらは素人ではなさそうですね。時間がかかりそうです」

 弦国内で琉たちを襲ったのは農民崩れの素人集団だった。しかし今対峙しているのは山賊を生業とする玄人であるようだ。

「荷ならばくれてやるが、後者の要求は応じられない」

「ならば、ここで死ぬがいい」

「仕方ないか」

 予想通りの答えにため息を吐く琉。

「戒燕、賊の数を減らしてくれ。子昂は援護を。志道と私は馬車を護る」

 指示を出しつつ、琉も剣を抜く。ずっと琉の護衛をしていた清隆が一行を離れた今、琉も自身を護るため剣を振るわねばならない。

 戦闘が始まった。

 鬼神の如き強さを見せる戒燕だったが、密林での戦闘に慣れている山賊たちもすぐに対応してきた。

 戒燕の得物は長柄の鉄槍であるため、樹木生い茂る密林ではその力は制限されてしまう。山賊たちは樹木の間を移動しながら戒燕を取り囲む。

 それでも戒燕の強さを完全に抑え付けることは叶わなかった。

 徐々に狭い空間での戦い方に慣れてくると、山賊たちを圧倒し始めた。

――思ったより苦戦していたようだが、問題はなさそうだな。

 琉も馬車に近付こうとする賊を切り払いながら、頼もしい臣下の働きに満足気に頷く。

 そのとき、琉は頭上に不吉な音を聞いた。

 頭上の音の正体を確かめるべく見上げる。

 眼前に迫る黒い影。

「殿下!」

 志道の短く鋭い声。

 琉の身体は志道に突き飛ばされ大地に投げ出された。

 黒い影が直前まで琉が立っていた場所を通過した。

 その正体は巨大な石。

 木の枝に吊り下げられた石が、振り子の要領で襲い掛かってきたのだ。

 樹上から続け様に石が投擲される。

 そのうちの一つが馬車に命中し、その車輪を砕いた。

 衝撃で中に乗っていた衛舜たちが投げ出される。

「子昂!」

 琉の声に応じ、子昂の矢が放たれ樹上の賊を射落とした。

「大丈夫か!」

 琉は咄嗟に近くに倒れた志姫を助け起こしつつ視線を転じた琉の目に映ったのは、賊に抱え上げられる玲寧の姿だった。

 馬車から投げ出された衝撃で気を失っているのか、玲寧はぐったりとして動かない。

「お前ら! 退散するぞ!」

「待て! その娘を放せ!」

 退却を指示する頭目。

 強すぎる戒燕と清隆に、荷を諦めたのか。あるいは目的の一つであった女を得たからだろうか。

 賊たちはあっという間に森の中へ消えてしまった。


 玲寧が意識を取り戻したのは、薄暗い洞窟の中だった。

 じめじめとした雰囲気と黴のような臭いに、思わず顔をしかめる。

「よお、目を覚ましたか」

 目の前にいたのは山賊の頭目。

 咄嗟に自身の身に起こった最悪の事態を想像し青ざめる。

 しかし身体を確認しても、乱暴を働かれた形跡はない。

 衣服に乱れもないし、縛られてすらいない。

 懐の短剣もそのままだった。

「眠ったままの女を犯してもつまらんからな。せいぜい抵抗して楽しませてくれよ」

 嗜虐趣味、暴れて抵抗する女を力で屈服させることに至上の喜びを感じる種類の男であるらしい。

――そんな男に好き勝手されてたまるものか。

 玲寧は懐の短剣を抜き身構えた。

 しかし、頭目に怯む様子はない。

「そんな小さな剣でどうするんだ」

 頭目を刺そうと突き出した玲寧の手は簡単に捻り上げられ、短剣を奪われてしまった。

「放しなさい! 短剣を返しなさい!」

 頭目は暴れる玲寧を突き飛ばし、奪った短剣をまじまじと観察する。

「へえ、かなり凝った装飾の短剣だな。飾り物かと思ったが、刃もしっかりついている。大した代物だ」

 それは元々は琉の持ち物だったものだ。

 柄には弦国の紋章が刻まれ、鞘には弦の守護神である黒竜の装飾が施されている。

「この紋章は見覚えがあるな。確か弦国のものだったか。お前、弦の要人なのか」

「違うわ。それは貰い物よ。すぐにその短剣をくれたあの男が来るわ。そうなったら貴方たちはおしまいよ」

 玲寧の言葉に、頭目が大きな笑い声を響かせる。

「大した信頼だな。お前はあいつらの誰かの女ってことか。そいつの前でお前を犯すのも楽しそうだな」

 頭目が下卑た笑みを浮かべる。

「ち、違うわよ! 誰があの男の女ですって!」

「何だ違うのか。じゃあお前はその男のなんなんだ」

「私は復讐者よ。あの男の命をその短剣で奪うために生きているの」

「なんだあ? 話がわかんねえな。お前が殺そうとしている男がお前を助けに来るって言うのか?」

 頭目の言葉に、玲寧もようやく気がついた。

――なんで私はあの男が助けに来ると思っていたの?

 自分は復讐者である。

 義父の命を奪った煌琉への仇討ちのために、その一行についてきていた。

 しかし琉たちには玲寧を連れて行く理由はない。玲寧を見捨てれば、琉たちは滞りなく旅を進めることが出来るのだ。

 それに琉は急ぐ理由もある。早く共藍へ戻らなければ、帰る場所がなくなってしまう可能性もあるのだ。自分の命を狙う者をわざわざ危険を冒して助ける人間がいるだろうか。

「なんだ? 諦めたのか?」

 黙って俯く玲寧に頭目が近付いてくる。

――誰が諦めるものか!

 目を上げ、頭目を睨みつける。

「お、良い顔だねえ。嬉しいねえ。楽しませてくれよ」

 へらへらと笑う頭目。

 抵抗しても頭目を喜ばせるだけ。

 そうだと解っていても、玲寧は諦めなかった。

――煌琉はどんな状況でも諦めなかった。煌琉に仇討ちするのならば、私も諦めては駄目だ。

 玄安から逃げ出て以降、琉には様々な困難が襲い掛かった。しかし琉は決して諦めて自棄になることはなく、臣下を信じ全てを乗り越えてきた。

 その琉を仇として討つのであれば、玲寧も諦めることはできない。

 頭目の腕に飛び付き、噛み付く。

 それには流石の頭目も怯み、短剣を手放した。

 すぐに拾い上げ、構える玲寧。

「この小娘が! 調子に乗るなよ!」

 怒気を発する頭目。

 その背後に一人の影が現れた。

「玲寧!」

 見慣れたその姿。

 憎き仇であるはずの煌琉が現れたとき、玲寧の心中に湧いた感情は安堵だった。

――まさか本当に助けに来るなんて。

 突然現れた琉に、頭目も驚きにより反応が遅れ一太刀で地に倒れ伏した。

「遅くなって済まない。怪我はないか」

 何で助けに来たのか、と問い詰めようか。

 遅い! と悪態を吐いてやろうか。

 それとも素直に礼を言うか。

 様々な感情と思考が頭の中をぐるぐると巡り、ついに玲寧は何も言葉を発することが出来なかった。


 玲寧が連れ去られた後、すぐに志道を走らせ山賊の隠れ家を見つけ出した。

 隠れ家の正面から乗り込む戒燕。

 戒燕の強さを森の中で目の当たりにした賊たちはそちらに集中した。

 その隙に琉は志道と共に潜入した。

 頭目は”お楽しみ”のために部下たちを遠ざけていたのだろう。

 潜入してからは特に障害もなく玲寧を見つけ、救い出すことができた。

 これほど素早く行動した琉に迷いはなかった。

 琉が玲寧を助けに行くという決断を下すのに時間はいらなかった。

 白燗の街で清隆を見捨てたばかりである。もうこれ以上旅の仲間を見捨てることはできなかったのだ。

「見捨てれば良かったのに、馬鹿じゃないの。私はこれからも貴方の命を狙うわよ」

 後になって玲寧にそう言われたとき、琉はその言葉に何も答えることはなく穏やかに笑うだけであった。


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