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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
異国
38/62

影武者

 白燗のすぐ南の街、昌蝋。

 元は燭宜に属する田舎都市だったが、現在は紅麦によって支配され紅麦が白燗を望む前線基地になっている。

 その昌蝋の城内で、清隆は紅麦公と対面していた。

「戦時中のため、大したおもてなしもできず申し訳ありません」

 紅麦公は意欲的に領土拡張を図る侵略国家の主とは思えぬほど、温和な雰囲気を纏った男だった。

「いえ、むしろ捕虜の身にしては丁重な扱いと驚いております」

 紅麦の清隆に対する扱いは丁重であった。

 白燗を出たときは縄にかけられていたが、紅麦の陣中に入るとすぐにそれは解かれた。

 白燗から昌蝋への移動も貴人の乗るような広い馬車に乗せられていた。おそらく紅麦公が乗るために用意していたものだったのだろう。

 そして昌蝋に着いてからも、外出こそ認められぬ軟禁状態ではあったが室内にいる分においては不自由なく過ごすことができた。

「捕虜などとはとんでもないことです。我々は殿下を客人としてお迎えしているつもりでございます」

「客、ですか。自国を追われ、異国を放浪するだけのこの身に何を期待されているのでしょう」

 清隆は紅麦公の反応を窺うが、紅麦公は柔和な笑みを崩さない。

――貴族の類はどの国でも同じだな。

 清隆は弧、偽海北部諸国、弦と渡り歩き、多くの人を見ていた。中でも貴族同士のやり取りは腹の探り合いに終始し、なかなか本質の会話にまで至らない。

 その様子は清隆の目にとても醜悪に映るのだ。

 今、目の前にいる紅麦公も表情全体を見ると確かに笑顔に分類されるものではあるが、その眼は一切笑ってはいないことを清隆は見逃さなかった。

「客として遇するのであれば、何か要求があるのでしょう。腹の探り合いは好みません。早々に明らかにして頂きたい」

 紅麦が”弦の皇子”の身柄を受け入れたという意味は概ね想像が着く。

 弦の朝廷が追っている琉へ引き渡し、何らかの対価を得ること。

 もしくは琉と直接交渉し、何らかの取引を引き出すこと。

 そして前者であればわざわざこうして対面する必要はないた。おそらくは後者であろう。

「ははは、殿下は存外気が短い御人のようですな」

 紅麦公の眼光が僅かに和らぐ。

 清隆の直言に却って興味をそそられたようだ。

「それでは申し上げます。我々と取引を致しませんか。こちらの条件を受け入れて頂けると確かに誓約頂けるのならば、殿下が共藍へ帰還する支援はもちろん、帝位に昇るための後押しもさせて頂きましょう」

 さらりと流れ出たその言葉は、余りに予想外だった。

「帝位、ですか。失礼ながらこのような南方の新興国が、弦という強国の帝位をどうこうできるとは思えませんが。それは紅麦の背後にいる弧の力によって、ということでしょうか」

 腹の探り合いを嫌う清隆は、紅麦の後ろに弧がいると看破していることをも隠さなかった。

 今度は紅麦公が驚きの表情を見せる。

「どうしてそれを」

「貴方の背後の壁に飾られている弧刀です。それは弧皇が将軍位の証として下賜する宝刀でしょう」

 豪奢な装飾の施された弧刀。

 清隆はこの部屋に入ったときからそれが弧の皇室縁の品だと見抜いていた。

「なるほど、なかなか博識でおられる。そういえば殿下の差しておられた刀も弧刀でしたな」

 客として遇されていても、流石にその刀は取り上げられていた。

「臣下に弧出身の美貌の男がいるのですよ」

 自分で”美貌の男”と言ってしまえるところが清隆の強さとも言える。

「それが将軍刀であることは、弧の人間であれば誰でも解ることです」

 紅麦の背後に弧がいるとすれば、弦の帝位を左右する影響力を発揮し得る可能性は否定しきれない。

 しかし、それならば弧の狙いはなんだろうか。

「弧の狙いは、弦と衆南を紅麦によって分断することで弦の弱体化を図ろうということですか」

「弧の思惑は我々には関係ないことです。弧の将軍位を受けていても、我々は弧に属しているわけではありません」

 紅麦は弧の威光を利用しているに過ぎない、ということだ。

「我々の目的はあくまでも紅麦として独力で立ち、弧、弦、衆南などの強大国とも対等に渡り合うことです」

「それが条件ですか」

「流石に察しが良い。そうです。条件の一つ目は、弦が弧や衆南に対するのと同じように紅麦に対しても対等の国として扱うことです」

 南方諸国の属国は弦に対し主従の誓約を交わしている。

 実際の忠誠心はその誓約通りとは限らないことは、白燗太守が捕らえた”弦の皇子”を紅麦に引き渡したことからも窺えるが、それでも弦が主であり属国側が従の立場なのである。公式の場では弦が南面し属国側の君主を迎えることになる。

 しかしこれが弧や衆南の場合は異なる。

 対等の客として東西に向かい合い、対等な立場として言葉を交わす。

 紅麦もこれと同等の扱いをするよう求めているのだ。

「もちろんこれは現状の殿下のお立場ではどうすることもできないことです。これを実現するには、殿下が帝位に就いて頂く必要があります。その後押しをさせて頂く、ということとご理解ください」

 それは琉にとって悪くない取引のように思えたが、影武者に過ぎない清隆が安易に答えるわけにはいかない。

「条件の一つ目、と仰いましたが、他に条件がおありですか」

「はい。この条件を確かに受け入れた、という証としてご息女を我が室に入れて頂きたい」

 政略結婚として、琉の娘である煌鈴を求めたのである。

 後になって反故にされないよう、政略結婚によって証を立てることは珍しいことではない。

――しかし殿下は決して認めないだろうな。

 琉が政略結婚を嫌悪していることは、清隆も知っている。

 政略結婚によって琉の下へ来た杜涼香は、清隆が琉の臣下となったときには既に故人となっていた。

 しかし涼香が政略結婚にしか価値を置かなかった父によって苦しめられていたことは、鈴の世話役になっていた志姫から聞いていた。

 同じ思いを娘の鈴にはさせない。

 琉にはその強い決意は清隆も察していた。

「わかりました。先の条件についてはこの場で諾否の回答はできませんので、一旦持ち帰らせて頂きましょう。しかし、後の条件は受け入れることはできません」

「それは、南方の新興国などに娘はやれない、ということですか。それならば、先の条件も受け入れられないと言っているようなものではありませんか」

「違います。相手が誰であれ、政略のために皇女殿下は使わない、ということです」

 琉ならば必ずそう答える。

 その確信があった。


 清隆の返答に、紅麦公の顔から笑顔の仮面は消えていた。

 しばしの沈黙の後、紅麦公が口を開く。

「お前は弦の皇子ではないな」

「おや、気付かれましたか」

「先ほど言っていた”弧出身の美貌の臣下”が、お前自身なのだろう」

 紅麦公が清隆の正体を見破った根拠は三つ。

 弧刀を差していたこと。

 壁に飾られた宝刀が将軍刀であることを一目で見抜いたこと。

 そして決定的なのは、煌鈴を”皇女殿下”と呼んだこと。

 正体を見破られた清隆は、醜く取り繕うことはなかった。

「その通りです。私の本当の名前は乾清隆です。主君を助けるため、正体を偽っておりました」

 清隆は自身の役目を、紅麦軍が白燗の包囲を解き琉が先へ進むまで紅麦公を欺くこと、と考えていた。

 その目的は清隆が昌蝋に着いた時点で達成されており、もはや正体が見抜かれても問題はない。

「見上げた度胸だ。正体を偽って捕虜となってあれだけ堂々としていられるとは。いや、正体を見破られた後でさえ、狼狽える様子もないとは」

 清隆にこの先待っている運命が死であろうことは、誰であろうと簡単に予想が着く。

 通常の神経をした人間ならば、恐怖に震え命乞いをしていただろう。

――そんな醜い真似などできるか。

 主君のため、身代わりとなって死ぬ。

 それは清隆が考える最も美しい死に方の一つであった。

 言うなれば、本望、である。

「大した男だ。気に入った。が、お前を生きて帰しては紅麦の名折れだ。せめて見事な処刑台を用意してやろう」

 紅麦公の前を退出させられた清隆は、元の部屋ではなく地下の牢に入れられた。


 清隆が牢に入れられて数日が経った。

 弦の皇子ではなくその臣下に過ぎない清隆は、紅麦にとってなんら利用価値のない存在である。

 遠からず処刑が行われるだろう。

――よほど見事な死に場所を用意してくれているのだろう。

 恐怖はない。

 しかし琉が帝位に昇る様を見られないのは僅かに口惜しい気持ちもあった。

 牢の壁もいい加減見飽きたころ、清隆は牢から出された。

 しかし清隆が通されたのは、処刑台ではなく数日前に紅麦公と対面した部屋だった。

「長いこと待たせて済まなかったな」

「まったくです。あと数日待たされるようなら、自力で牢を出て共藍へ帰ってしまうところでした」

 死の予感を前にして、清隆の泰然とした雰囲気に変わりはない。

「相変わらず見事な男だ。どうだろう、私に仕える気はないか」

「戯言を弄されますな。命惜しさに主君を変えるような醜い行いをするように見えましょうか」

 紅麦公はどこか満足気に頷いた。

 清隆の返答は予想通りだったのだろう。

「無用な戯れはこれくらいにして、処刑台へ向かいましょう」

「そう焦るな。今もう一人の客を呼びに行かせているところだ」

 紅麦公がそう言ったところで、清隆の背後で扉が開く音がした。

 ”もう一人の客”とやらが現れたのであろう。

 ゆっくり振り向く清隆。

 その目に映ったのは、清隆も知る人物だった。

「なぜ……、貴方がここに」

 それは方伯瑜であった。


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