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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
異国
37/62

嫌疑

 清隆が琉の身代わりに衛兵に連れて行かれた数日後。

 白燗の街を包囲していた紅麦軍は包囲を解き撤退した。

「白燗太守は弦の皇子を紅麦へ差し出すことで包囲を解かせたという噂です」

 その弦の皇子とは、琉の身代わりとなって連れて行かれた清隆で間違いない。

「清隆を助けに行かなければ」

 当然のようにそう主張する琉。

 紅麦の意図はともかく、包囲が解かれたということは清隆が弦の皇子であるということを信じて取引に応じたということである。

 もし正体が発覚し、弦の皇子ではないことが知れたとしたら清隆の命はない。

 しかし意外な人物がそれを止めた。

「殿下、いけません。先へ進みましょう」

「志姫?」

「彼が何のために殿下の代わりに名乗り出たかをお考えください。最後に何と言って出て行ったか、お忘れですか」

 清隆は「自分の為すべきことをせよ」と言った。

 琉の為すべきこと、それは一刻も早く共藍を目指すことである。

「自分が代わりになるから殿下は速やかに先へ、共藍を目指してください。彼はそう言っていたのではないのですか」

 ここで清隆を助けに行くということは、清隆の覚悟を無視することにも繋がる。

――清隆ならば、何を”美しい”とするだろうか。

 清隆は”美しさ”に殉じることのできる男である。

 それは清隆と初めて出会ったときから感じていたことだった。常に美しいものを求め、自身も美しくあろうと努めていた。

 それは外見だけに留まるものではない。むしろ内面的な美しさこそを重視していた。

 そしてそれは琉に対しても同様に求めていた。清隆が琉の臣下となったときに提示した条件でもある。

 衛舜も志姫に同意を示す。

「殿下、私も同意見です。相手は新興とはいえ一つの国家です。田舎の小県から逃げ出すのとはわけが違います」

 衛舜が言っているのは、小仰の街から脱出したときのことである。

 今度の相手はそれとは規模が違う。また、中から脱出するのと外から助け出すのとでも難易度は大きく違う。

 衛舜が止めるのも当然のことである。

「わかった。先へ進もう」

 清隆は自身が美しいと思える行動を取ったはずだ。

 それを無駄にすることはできない。

 清隆は美しさに殉じることのできる男ではあるが、無闇に命を捨てるような男でもない。

 簡単に殺されることはない。

 そう信じるしかなかった。


「お待ちください」

 先へ進むことを決断した琉だったが、今度は戒燕の声がそれを止めた。

「戒燕。お主は清隆を置いて先へ行くことは反対なのか」

「いえ、それについては賛成です。ですが、出発する前に一つはっきりさせなければならないことがあります」

 そして戒燕はゆっくり方伯瑜の方へ向き直った。

「白燗へ殿下の情報を売ったのはお前だな、方伯瑜」

 静かに発せられる戒燕の言葉は、有無を言わせぬ迫力を孕んでいた。

「突然何を仰いますか」

「殿下が弦国を出て南方にいるということを知る人物は限られている。この場にいる者以外では業湊にいる景文遼殿のみだ。しかしそんな遠くから密告することは叶わないし、益もない。そして殿下に直接の忠誠を誓った臣下たちが、殿下を売るはずがない。ならば、残るは方伯瑜、お前しかいない」

 戒燕の言葉を表情一つ動かさずに黙って聞き続ける方伯瑜。

「包囲されてからお前は単独の行動が多かった。街中を巡り情報を収集していたと言っていたが、実際には白燗太守に会い情報を売っていたのではないか」

 確かに単独行動をしていた方伯瑜が、実際にどこへ行っていたかは琉たちには知る術はなかった。白燗太守に会う時間は十分にあったはずである。

 戒燕はゆっくり剣を抜き、その切っ先を方伯瑜へ向けた。

「心して答えよ。殿下を売ったのはお前だな」

 戒燕の追及に対し、方伯瑜は平然としている。

 その顔に動揺の色は少ない。

――図星だからだろうか。感情を面に表さない商人の性質なのだろうか。

「止めよ戒燕。剣を納めよ」

「しかし、殿下」

「落ち着け戒燕。まだ方殿が我らを売ったとは限らないのだ」

 確かに戒燕の言っていることに大きな矛盾はない。

 しかしまだ推測の域を出ない。

「剣を突きつけられたままでは落ち着いて話も出来ないだろう。剣を納めよ」

 戒燕はしぶしぶといった風情で剣を納めた。

「衛舜はどう思う」

「郭殿の意見を積極的に肯定する材料はありませんが、積極的に否定する材料もありません。確かに方殿が殿下を売ったと考えるのが自然ではあります」

 確証はどこにもない。

 しかし、もし方伯瑜が本当に琉を売ったのだとしたら。

――同じようなことがあれば、今度は助からないだろう。しかし……。

 疑わしきを遠ざければ、当面は安全に旅を続けられるだろう。しかし本当にそれでいいのだろうか。

 それが清隆の言う”美しい”選択なのだろうか。

 母の遺言の”立派な皇帝”に続く道となるのだろうか。

 清隆を置いていく、という決断をした直後である。精神的に消耗している琉は、すぐに決断を下せなかった。

「信を頂けないのであれば仕方ありません」

 重い沈黙を破ったのは、当の方伯瑜だった。

「私への疑念を取り払う材料は、私にもございません。ならば信を頂く他ありませんが、それも不足しておいでのようです。ならば一時、私は一行から離れましょう」

「方殿……」

「ご心配なく、頂いた金額分の仕事は致します」

 そう言いながら、方伯瑜は何やら取り出した。

「これは私が商人を始めてより書き記し続けた手記です。解り難い衆南語についての備忘録なども含まれます。基本的な衆南語を解する者であれば、理解できるでしょう」

 方伯瑜が離れる、ということは、衆南語の通訳者が別に必要になるということである。

「基本的な衆南語を解する者、か。仕方ない、衛舜」

 衛舜は衆南語を解さない。それでも、書物の知識で簡単な挨拶程度の語彙はあるはずだ。

 しかし方伯瑜はゆっくり首を振った。

「いえ、もっと適任者がおりましょう」

 そう言って手記を差し出したのは、志姫だった。

「貴方はある程度の衆南語は理解できていますね」

「そうなのか、志姫」

 驚きの表情を見せる志姫だが、戸惑いながらも頷いた。

「共藍で孟小姐に少し教わっておりましたので……。しかし、実際の会話となると満足に通訳はできません」

 孟小姐、とは共藍で琉たちの留守を預かる桟河の戦士である孟祢祢のことである。

 祢祢と志姫は日頃から仲が良く、志姫は祢祢の得意武器である戦輪の扱い方なども教わっていたが、衆南語も教わっていたらしい。

「貴女は私が衆南語で会話していた際も、部分的に内容を理解できていたような反応をしておりました」

 燭宜の主な言語は弦弧で使われている円語であるが、衆南語の話者も少なくない。そのような相手とのやり取りには方伯瑜が通訳をしてくれていたが、そのときの各人を反応を良く見ていたらしい。

「確かに、私の衆南語の知識は書物に寄るもののみですから、桟河族から直接習っていたのであれば私より適任でしょう」

 衛舜の後押しもあり、不安げに戸惑っていた志姫は、おずおずと方伯瑜の手記を受け取った。

「文字は読めますかな」

「ええ、円語ならば。衆南語はあまり」

 好奇心旺盛な志姫は読み書きも不自由しない。方伯瑜の手記は主に円語で記されているため、大きな問題はないだろう。

 祢祢が文字の読み書きができないため衆南語の読み書きは十分とは言えないが、発声を伴わない範囲ならば衛舜の書物の知識が活きてくる。

「衛舜と志姫とで何とかするしかない。頼んだぞ」

 衛舜と志姫は顔をゆっくり見合わせ頷いた。

「それでは、私はこれで失礼します」

 話がまとまったのを確認すると、方伯瑜はすぐに姿を消した。


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