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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
異国
36/62

包囲

 弦勢力圏における最西端の属国である燭宜。

 その中でさらに最西端に位置する街である白燗(びゃくらん)は、すなわち弦勢力圏の最西端であることを意味する。

「次の街からは完全に弦の勢力の外になります。まだ日は高いですが、次の街まで距離もありますし、しっかり準備をして先へ進むため、今日はこの街に宿を求めましょう」

 方伯瑜の提案に琉も了承する。

 心情としては少しでも旅程を進め一刻も早く共藍へ帰り着きたいところだが、無理をして危険に晒されれば元も子もない。

 時間がかかっても確実に共藍へ帰り着くために、衆南経由の迂回路を選択したのだ。


 翌朝。

 琉はまだ薄暗い時間に目を覚ました。

 まだ外は薄暗いがうっすらと汗ばむ暑さに、異国へ来たということを実感する。

 外へ目を向けると、通りを慌しく行き交う人々の姿が目に入った。この街は早起きの人が多いのか、と暢気に考えていた琉だったが、すぐにそれが平時の状況ではないことを察した。通りを行き交う人の多くは、その顔に恐怖の色を湛えていたからだ。

「殿下!」

 子昂が慌しく駆け込んできた。

「子昂。余り大声で殿下と呼ぶな。私は一介の商人の使用人に過ぎないのだぞ。それで、何があったのだ」

「す、すみません。その……、街が包囲されています!」

 琉はすぐに身支度を整え、子昂と共に城壁へ向かう。城壁の上には既に衛舜、志道、衛舜、方伯瑜らがいた。

 志道が指し示す先に琉が見たのは、街を包囲する軍勢の姿。

 麦の意匠があしらわれた紅の旗を掲げるその軍勢は、紛れもなく紅麦の軍である。

「そのうちこの街は攻められると思っておりましたが、ここまで早く現れるとは思っておりませんでしたな」

 方伯瑜が感心した風情で呟く。

 その顔に慌てている色は見えない。

「近頃、紅麦はここからすぐ南の街である昌蝋(しょうろう)を落としたということです。おそらくその勢いのままに北上して来たのでしょう」

 紅麦の目的は交易路を抑えること。弦の勢力の端であるこの白燗を取れば、その目的の一端が叶う。

「これでは出発は叶いませんな」

「このままこの街にいたら危険なのではないか」

「問題ないでしょう。紅麦は攻め取った街は無闇に荒らしたりせず、しっかり治めるということです。我々はただの商人の一行で、この街では珍しいものではありません。今のうちに食糧などを多めに買い込んでおきましょう」

 そう言って城壁を降りかけた方伯瑜を戒燕が止める。

「待て。方殿は紅麦軍が近くまで迫っていたことを知っていたのか」

 戒燕の顔には不信の色が浮かんでいる。

 琉たちは南方諸国の情勢に明るくない。それを補うために雇った方伯瑜の言うことに従うよりないが、その結果こうして紅麦軍の包囲に遭ってしまったことに、戒燕は不信感を抱いるのだ。

「いえいえ、紅麦軍が昌蝋を落としたということもこの街に入るまで知りませんでした。ましてやそのままこの白燗にまで迫っていたことまでは知りようがありません」

 方伯喩は戒燕の圧力に些かの動揺も見せず、表情も変えずに平然と答える。

 そしてそのまま城壁を降りて街の中へ消えてしまった。


 琉たちはこの地では一介の旅商人に過ぎない。

 慌てたところでどうすることも出来ない以上、包囲が解かれたときに速やかに次の街へ出発する準備を進めておくのが冷静な対処である。

 そういう意味で、方伯瑜は有能だった。

 宣言した通りの食糧を揃えただけでなく、市場の商人たちの話聞き情報を集めて戻ってきたのだ。

「紅麦軍は包囲するばかりで積極的に攻めてくる様子はありません。兵糧攻めの意図なのでしょうが、白燗には食糧の蓄えが多く、地下水も豊富なため水を断たれる心配もありません」

「となると、長期戦になりそうですね」

「はい、おそらくはそれが紅麦の狙いだと思われます」

 包囲の期間が長引けば、困るのは白燗の方である。

 商人の往来で成り立っている都市である白燗は、包囲が長引きそれが途絶えれば死活問題にも成り得る。また、琉たちが身動きが取れなくて困っているように、街に閉じ込められた商人たちにも不満が蓄積されている。

 場合によっては彼らの暴動も期待できるかもしれない。

 ここで琉たちの行動の方針としては三通り考えられる。

 一つ目は、このまま大人しく包囲が解かれるのを待ち続けること。

 二つ目は、紅麦軍へ働きかけを行い、撤退させること。

 三つ目は、白燗へ働きかけを行い、降服させること。

「三つ目は、弦の勢力を割譲するようなものなので、選択することは出来ないでしょう。二つ目が出来れば理想ですが、実現は困難です。そもそも街の外にいる紅麦へ働きかける手段がありません」

 そうなると一つ目の”待ち続ける”しかない。

 衛舜の分析に琉は肩を落とす。

「仕方ないか。しかし、遠回りをするのは慣れているが、ただ座して待つことには慣れないな」

 琉は心中に湧きかける焦りの感情を軽く笑い飛ばした。


 街が包囲されてから数日が経った。

 この非常時に、方伯瑜は良く動いた。

 旅の準備は万端であり、包囲が解かれればいつでも出発できるようになっている。

 それでも方伯瑜は毎日宿を出て情報収集を続けた。

 そのお陰で、琉たちは宿から動かずに城外の状況を知ることが出来ている。

「静かだな」

 商人の出入りがなくなり市場活動が半ば以上停止しているから、と言うこともあるが、軍勢に包囲されているとは思えないほど街の人々は落ち着いていた。

「弦と衆南は長きに渡って友好関係を続けておりますが、この辺りは両者のどちらにも属さぬ蛮族も少なくないということです。戦には慣れているのでしょう」

 博識な衛舜が答える。

 この南方諸国を主戦場とする商人である方伯瑜には及ばないものの、書物による知識は誰よりも持っている。

「包囲はまだ続くのだろうか」

「間もなく方殿が戻ってくる頃でしょう。事態が進展していれば良いのですが」

 ちょうどその時、宿の入り口の方から物音が聞こえた。

「方殿……、ではないな」

 一瞬、方伯瑜が帰ってきたのかとも思ったが、明らかに一人の気配ではなかった。

 戒燕、清隆らも警戒の色を見せている。

「失礼する」

 現れたのは白燗の衛兵だった。

「何用でしょうか」

 衛舜が商人一行の主人として対応する。

 その衛舜に対し、衛兵が放ったのは驚くべき言葉だった。

「ここに弦の皇子がいるという情報が入った。皇子を出してもらおうか」

 琉は内心の驚きを表情に出さぬようにするだけで精一杯だった。

「ははは、どこからそんな情報が。我々は確かに弦から来た一行ですが、皇子ではなくただの商人でございますよ」

 冷静に対応する衛舜だが、衛兵はその言葉を無視し室内にいる一人ひとりの顔を観察している。

 この中に皇子がいる、と確信を持っているようである。

――このような場所へまで手配書が回っていたのか?

 衛兵は一人ひとりじっくり観察しながら、視線を移していく。

 戒燕。玲寧。志姫。志道。

 衛兵の視線が琉の方へ向けられそうになったその時、部屋の反対側から声がかけられた。

「皇子は私だ。私が煌琉だ」

 その声の主の方へ衛兵の視線が移る。

――清隆?! 何を?

 影武者になるつもりだろう。確かに清隆は背格好も似ており、美貌で有名な琉の代わりとなれるのは清隆をおいて他にはいない。

 事前の打ち合わせなどもちろんしていない。清隆の機転によるものである。

「貴方が煌琉か。なるほど、類稀な美貌という話は偽りではないようだな」

「それで、私に何の用かな」

「話は白燗太守からする。まずは大人しくついて来てもらおう」

「お待ちなさい」

 有無を言わさず連れて行こうとする衛兵を衛舜が止める。

「この燭宜は弦から爵位を受けてその傘下に入る諸侯国のはず。その主君である弦皇室に属する殿下に対して、その態度はどういうおつもりか。まずはこの場で用件を明らかにし、殿下に対して協力を仰ぐのが筋でございましょう」

「その煌琉殿下は弦国内でもお尋ね者なのだろう。我々は弦に忠誠を誓うのであって、その皇子個人に対して忠誠を誓うものではない」

 不遜な衛兵の態度。

 さらに衛兵は続ける。

「もっとも忠誠を要求する前に、主君を名乗るのであればこの窮状をなんとかしてもらいたいものだがな」

 吐き捨てるように言い放つ。

 紅麦に包囲されているこの状況は、弦が国内を安定させその威光を翳らせることがなければ起こりえなかったのかもしれないのだ。

「貴様……!」

「良い。付いて行こう」

 あまりに無礼な物言いに戒燕が怒声を発しかけたのを清隆が止めた。

 衛兵を促し外へ向かう。

 そして入り口付近で立ち止まり、振り向いて声をかけた

「お前たちは自分の為すべきことをせよ。速やかにな」

 そしていつもの華やかに笑みを見せ、出て行ってしまった。


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