正体
思考の底に沈んでいた琉を呼び戻したのは、方伯瑜の声だった。
「昼間の少年が気になりますか」
「ええ、私は弦の外へ出るのが初めてなので、南方諸国がこのような状態になっているとは思ってもいませんでした」
「無理もありません。少し前でしたら、弦が多少混乱したとしても大した影響はなかったと思います。この辺りで野心を燃やすような勢力はありませんでしたから」
「そういえば、この国を攻めているのはどの勢力なのですか」
衆南、あるいはその属国とは考え難い。
衆南からすれば、いざこざを起こして多少影響範囲を広げたところで旨みは少なく、それどころか対弦交易の利益まで失いかねない。
「紅麦、という新興国です」
聞きなれない名だった。
「元々はもっと東の方、偽海の南岸地域で興った国ということですが、何故かこの辺りまで流れてきたという話です」
「ふむ。なぜ燭宜を狙うのでしょうか」
「目的はおそらく、弦と衆南の交易路を遮り利益を独占することでしょう。そして最終的には大国の仲間を目指している、と言われています」
現在、所謂”大国””強国”などと呼ばれている国は、いずれも交易によって利益を上げ、強い国力を手に入れたものばかりである。
紅麦もその仲間入りを目指しているということだ。
「そんな夢物語のようなこと」
「真実かどうかはわかりません。あくまでも巷で噂されている推測に過ぎません」
そのようなことは弦も衆南も認めないだろう。下手をすれば、業湊経由で衆南の品を得ている弧すら敵に回すことになりかねない。
――紅麦の本当の目的はなんだろうか。あるいはその夢物語のようなことを実現させる何かがあるのだろうか。
「推測と言えば、私も一つ推測していることがあり、その確認をしたいのですが……」
突然、方伯瑜が話題を転換した。
「なんでしょうか」
軽く聞き返す琉に投げかけられたのは、驚くべき問いだった。
「貴方たちは、商人ではありませんね」
核心を突く方伯瑜の言葉。
「ははは、突然何を」
動揺を気取られないように、敢えて軽い笑い声を上げ衛舜が割って入る。
「ああ、貴方たちが商人でなくとも構わないのです。ただの確認に過ぎません」
「何故、私が商人ではないと思われるのですか」
衛舜の当然の疑問に方伯瑜は大きく頷く。
「昼間の少年の一件です。商人であれば、あそこで見逃すことはありません。商人は見返りのないことで金銭を手放すことはないのです」
そこまで言って、方伯瑜は慌てたように付け加える。
「商人が全て吝嗇というわけではありません。”見返り”が金銭的な利益とは限りませんから」
人脈、信頼、情報、功名。
何を見返りとするか、どの程度で手放す金額と吊り合うかは、考え方様々だ。それによって吝嗇な商人もいれば、そうではない商人もいるということである。
「全ての商人がどこまで意識しているかという話は別として、商人であれば意識せずとも損得に敏感になるということです」
「しかし、あの少年が助かる、ということが見返りという考え方もあるのではないでしょうか」
琉の反論に、方伯瑜は軽い笑い声を上げた。
「あの程度の金額では、彼らが助かったとは言えないでしょう。せいぜい数日食べられるという程度のもので、その後はまた同じように飢えるだけです」
本当にあのような子供を助けたいと考えるならば、魚ではなく釣り竿を与えなければならない、と方伯瑜は言う。むしろ今回魚を得てしまったことで、今後も同じように得られると学習してしまい、魚の釣り方を学習しなくなってしまったかもしれない。
「商人であれば、あのような子供を見ることは珍しくありません。露天商から商品を盗んでいく子供も多いです。そしてその時に何も咎めず見逃してやる商人がいたとしたら、他の商人が黙っていません。今度は自分のところがやられるかもしれませんからね」
方伯瑜の言葉に、琉は何一つ反論出来なかった。
「それからもう一つ」
方伯瑜は言葉を続ける。
「柳殿が見逃すと言ったとき、主人であるはずの景殿に咎めるような気配がありませんでした。むしろ諦めや納得の雰囲気を漂わせておりました。それは部下に対する空気ではなく、主に対するもののように感じられました」
恐るべき商人の勘というべきか。
方伯喩の顔には、確信の色が浮かんでいる。
「それを確認してどうしようと言うのですか」
そう問う衛舜の顔には警戒の色が浮かんでいる。
もはや商人の一行ではないということは隠せない、と半ば観念しつつ真の正体をどう誤魔化すかを考えているようだ。
「別にどうもしません。先ほども申し上げたように、ただの確認に過ぎません」
「ならば、我々の正体が何であろうと構わないではありませんか」
「そうは参りません」
方伯瑜の目に真剣な光が差す。
「商人の世界は金と信用によって成り立っております。私はこの一行を衆南を経由して共藍へお連れすることを請け負い、その代価は既に頂いております。しかし信用においては十分なものがあるとは言えません」
方伯瑜に対して完全な信用を置いていない琉たちであるが、方伯瑜から見ても琉たちを信用する材料はない。
「どうしても正体を明かせないのであれば仕方ありません。頂いた代価分、最低限の仕事は致します。しかしそれ以上はありません」
真っ直ぐ、琉の目を見つめる方伯瑜。
既にこの一行の主が柳玄威と名乗る男であることを確信しているようだ。
――金と信用、か。周殿も同じことを言ってた。
琉は弦国内の旅で琉たちを助けた商人、周永全のことを思い出していた。
「わかった」
「玄威!」
「いや、衛舜。もはや演技はいらぬ。方殿を信用しよう」
止めようとする衛舜を制す琉。
「我々の正体を詮索しないで黙って案内をしてもらうのであれば、それなりの代価を支払うのが筋であろう。しかし私は正体を偽り、言わば方殿を騙そうとしたとも取れる。にも関わらず、方殿の顔には非難の色は見えない。私は信に足る人物だと思う」
理屈の上では方伯瑜を完全に信用する材料は乏しいかもしれない。
それでも琉は方伯瑜を信じることに決めた。
琉の臣下には戒燕や衛舜など、それぞれの分野に特に秀でた傑物が揃っている。しかし琉は自身が武においても知においても、自身が平凡の域を出ていないことを自覚している。
そんな平凡な自分が臣下たちの上に立つには、ただ担がれているだけではいけないと思っていた。
――信じるべき相手とそうでない相手を見極める。それが自分の役目だ。
琉はそう密かに決意していた。
方伯瑜に真っ直ぐ向き直り、改めて本当の名を口にする。
「私の名は煌琉。弦の皇族であり、共藍の主だ」
どこまで予想できていたのだろうか。
その言葉を聞いた方伯瑜の顔に驚きの色は見えない。
「左様でございましたか。数々の無礼な物言い、申し訳ございません」
ゆっくりを平伏し、謝罪を口にする方伯瑜。
「こちらこそ、正体を偽っていて済まなかった。どうか皆が揃って再び共藍の地を踏めるよう力を貸して欲しい」
「確かに承りました」
改めて方伯瑜は旅の仲間となった。




