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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
長途
33/62

業湊

 玲寧は堰家に引き取られる前の父親のことはあまり覚えていなかった。

 十数年育ててくれた親であるが、愛情を受けた記憶はない。

 ずっと屋敷の奥に閉じ込められ、外へ出ることはほとんどなかった。

 それは玲寧を護らんとした父の愛情であったのだが、玲寧にはそうとは感じられなかった。

 堰家に引き取られると、新たな義父はそれまでの両親とは全く異なる愛情を示した。

 それまで余り触れることのなかった学問や礼儀作法を叩き込まれたのだ。

 時に厳しく叱責を受けることは少なくなかったが、上手くできると憚りなく褒めた。それが玲寧には堪らなく嬉しかった。

 玲寧が元の姓ではなく、義父の姓である”堰”を名乗るということに、二人の父に対する想いの差が現れていた。


 玲寧の二人の父に共通していたことは、玲寧を屋敷の外に出そうとしなかったことである。

 玲寧が玄安の外へ出たのは、義父が死にその仇である琉たち一行に付いていったときが初めてのことだった。

 そのために玲寧は屋敷の外のことは書物による知識しかない。

 当然、業湊へ来たのも初めてのことである。

 業湊は弦国の国境付近、謂わば辺境の街でありながら、弦国屈指の大都市である。

 南江が偽海へ注ぐ河口付近に位置する港湾都市であり、弧国南部、衆南、偽海南岸の小国群との交易で大いに賑わう交易都市である。

 弦国内の発展は、この業湊と帝都である玄安とを結ぶ街道に沿って栄えていったと言っても過言ではない。

 書物での知識としては知っていたが、実際にこの目で見るのとでは受ける印象は異なる。

「同じ大都市と言っても、玄安とは雰囲気が異なるわね」

 誰とも無く呟いた言葉を聞いたのは、隣を歩く志姫のみであった。

 もちろん聞こえるように言ったのではある。

 仇である琉の臣下とはいえ、同じ女性であり道中親切にしてくれている志姫に、玲寧は僅かながら心を開いていた。

「そうね。私も来るのは初めてだわ」

 玲寧と同じく玄安で生まれ育った志姫が玲寧の言葉に同意を示す。

 玄安も業湊と同じく交易都市としての顔を持つ。

 玄安は弧国北部、大陸西方諸国、偽海北岸の小国群などとの交易により発展した都市なのだ。

 しかしその喧騒の質は異なるものだった。

 玄安は交易都市であると同時に、弦という強国の帝都でもある。

 皇帝のお膝元の都市であり、賑わう中にも皇帝への敬意や畏怖の空気が常に漂っているように感じられた。

 しかし業湊は玄安から遠く離れているためかそのような気配は乏しく、商人の自由を求める空気がより色濃く感じられた。

「業湊の方が荒々しいというか、力強い印象を受けるわね」

「この街は良くも悪くも商人が全てを取り仕切る街ということよ」

 志姫の言葉に、玲寧は書物から得た知識を返す。

 ”商人が取り仕切る街”と言ったが、もちろんこの街にも朝廷に任命された太守がいる。

 しかし業湊太守は伝統的にその力を発揮することは少なく、全てを商人たちに任せていた。その放任の様子は時に”お飾り太守”と揶揄されるほどである。

 そのような状況を生前の堰相国は特に問題視しており、数多くの”改革”によってそれを規制しようとしてきた。

 その度に商人たちは法の抜け道を探り、時には賄賂でもって”お飾り太守”を懐柔し、自分たちの自由な活動を維持してきたのだ。

 そのような街であるため、行き交う人の噂話も奔放なものが多く聞こえてきた。

 その中でもやはりというべきか、堰相国に関するものが特に多かった。

「堰相国が死んだらしいぞ」

「共藍公に殺されたらしいな」

「いつか誰かがやると思っていたが」

「堰無夷が死んで、もう無意味な”改革”とやらが出てこなくなるといいんだが」

「共藍の方向には足を向けて寝られないな」

 玲寧も始めのうちはそれらの言葉が聞こえてくるたびに怒りの感情が湧いてきていた。

 しかしそれはやがて悲しみの感情へと変化していった。

――誰も義父上の死を悲しまない。それどころか、喜んですらいる。

 ついに玲寧は悲しみに押しつぶされて、動けなくなってしまった。

「大丈夫?」

 突然座り込んでしまった玲寧に、志姫が駆け寄る。

「人が一人死んだのよ。どうして誰も悲しまないの。どうして皆喜んでいるのよ」

 嗚咽と共に感情を吐き出す玲寧。

「そんなに義父上は嫌われていたというの。義父上は相国だったのよ。相国は皇帝に次ぐこの国の中枢なのに……。どうして皆敬意を払わないの」

 玲寧の問いに志姫はどう答えていいかわからなかった。

 その問いに答えたのは別の声だった。

「人は地位によって人に敬意を抱くわけじゃない」

 玲寧が顔を上げると、いつの間にか清隆が傍らに立っていた。

「地位や金を持つものの所へ人は集まるというのは、事実ではある。でもそれは敬意によるものではない。私のような美貌を持つ者は人の目を集めることができるが、それも尊敬の眼差しではない」

 地位や金に集まる者は利を求めているに過ぎず、美貌に向けられる視線は好奇のものでしかない。

「人が人に敬意を持つのは行動によってのみ。美しい行いをした者を人は尊敬するのさ」

 清隆の言葉を聞いているうちに、玲寧の心中に再び怒りが湧きあがってきた。

「義父上の行いが正しくなかったというの」

「何が正しいか、正しくないかはわからない。そんなものは時代や受け取るものの立場によって異なるからね。でも彼の行いが多くの人を苦しめたことは事実だ」

 清隆は淡々と言葉を紡いでいく。

 その言葉には堰相国に対する嘲笑や罵倒の念は感じられなかった。

「その行いによって誰かが傷ついたり、苦しめられたりということは、人の上に立つ以上避けられないことだ。でもその数が多すぎることは、それがどんな大義を持っていたとしても美しい行いとは言えない」

 玲寧は清隆の言葉を聞きながら懐の短剣を握り締めていた。

「殿下と堰無夷との違いは、自身が傷付けてしまった者に対する慈しみだろう。堰無夷は民や使用人を”所有物”と断じて、自身に背く者を許さなかった。でも殿下は自身に復讐の刃を向けた者にすら、慈悲を与えている」

 それは玲寧のことであった。

 玲寧の懐の短剣は、琉に渡された物である。これで復讐の機会を狙うがいい、と。

――あの時、もし義父上が煌琉の立場だったならば、どうしていただろうか。

 考えるまでもない。

 間違いなく、その場で相手の首を刎ねていた。

 琉はそれをしなかったどころか、その相手に復讐のための短剣を与えた。

「私は貴女の復讐心を否定しない。その実現を許すことはできないけど、殿下もその復讐心の正当性を認めてその短剣を与えたのだろうからね。でも多くの弦国民が堰無夷のことをどう思っていたかは知っていた方がいい。そしてそれを受け止める必要がある」

 玄安の屋敷の中にいた頃は、義父である堰相国の評判など考えたこともなかった。

 琉が発した怒りも最初は皇子でありながら辺境の太守に甘んじている自身との差を妬んでのことだろうとも思っていた。

 しかしその琉に付いて屋敷を出て玄安を離れこの業湊まで来たここまでの道中で、多くの人を見てきた。

 堰相国を悪く言う者や堰相国を討った琉に感謝の意を表す者は多かったが、その逆は皆無だった。

 山麓の村で琉たちを襲った村人も、堰相国への仇討ちのためではなく、これまで植え付けられていた恐怖に突き動かされてのことだった。

 これまで敢えて考えないようにしてきたが、玲寧も義父がどう思われていたかは理解していた。

「義父上がどう思われていたかなんて関係ないわ」

 玲寧は涙を拭って立ち上がった。

「誰にどう思われていたとしても、煌琉が義父上を殺したことに違いはない。私は私の復讐心に従ってこの刃を振るう以外に選択肢はない」

 玲寧が清隆を睨みつけて発したその言葉は、半ば以上が自身への鼓舞のためであったことに、玲寧は気付いていなかった。

 いや、気付かない振りをしていた。

 玲寧の心の内に、葛藤が生まれ始めていた。

「そんなことより、煌琉に追いつかないとはぐれてしまうわ」

 この人混みではぐれてしまうと大変だ。

 視線を巡らすと遠くに長身の戒燕の頭が見えた。

「いつまでも休んでないで早く行くわよ」

 戒燕を目印に歩き始めた玲寧。

 その背後で清隆と志姫が苦笑する気配を感じたが、玲寧はそれも気付かない振りをして、どんどんと歩を進めていった。


 琉たちは衛舜の案内の元、一軒の商家を訪ねていた。

「おお、衛舜! 無事だったか」

「ご無沙汰しております、叔父上」

 出迎えた壮年の男性の名は景文遼といった。

 景文遼は衛舜の実父・衛成や衛業の実父・衛秀の従弟に当たり、特に衛秀とは生前この業湊で共に商いを行っていた仲でもあった。

「まあ、中へ入れ。お付きの人も、さあ!」

 景文遼は愉快そうに笑いながら、衛舜の肩を抱き奥へ連れて行く。

 その圧力に衛舜も押され気味である。常に冷静な衛舜とは異なり、なかなかの熱量を持った人物であるらしい。

 琉が一言も発する間もなく、部屋の奥へ通された。

 門前での豪快な様子から一転、屋内へ入ると景文遼はすぐに平伏した。

「ご無礼をお許しください、殿下」

 衛舜にのみ挨拶し、琉を付き人として扱ったことに対する謝罪であった。

 琉たちは商人一行に扮しており、衛舜が商人の主人でその他の琉たちは使用人などとしていたのだ。

 事前にそれと伝えていたわけではなかったが、景文遼は一行の衣装を見て瞬時をそれを把握し、演技していたのだった。

 第一印象では衛舜の対極にいるような人物に思えたが、頭の切れは衛舜に近しいものがあるらしい。

「いや、構わない。顔を上げて欲しい。それよりも、こちらの事情を察してくれて助かった」

「相手の望むものを瞬時に察するのも、商人の重要な技術でございますから」

 琉の言葉に景文遼も顔を上げ笑顔を見せた。

 衛舜から詳細の説明を聞いた景文遼は、業湊において最大限の協力を約束してくれた。


 琉たち一行は南江を渡る船に乗り込んでいた。

 南岸に着けばそこはもう弦国の外である。

「世話になった」

 琉が振り替えり、周りに聞かれぬ程度の小さな声で景文遼に謝意を伝える。

「衛舜の主君ならば、私の主君も同然です。どうかご無事にお戻りください」

 そして景文遼は衛舜へ視線を転じる。

「しっかり殿下をお助けするのだぞ」

「わかっております。叔父上も共藍での”商談”の件、よろしくお願いします」

 ”商談”とは、衛業への伝言のことである。

 朝廷が警戒しているのは琉たち一行のみであり、景文遼のような商人ならば共藍へ入ることは、荷を改められる程度でそう難しいことはないだろう。

 衛舜は景文遼に衛業への伝言を託したのだ。

 琉たちが時間がかかっても必ず帰るとわかっていれば、衛業は必ず留守を保って待っていてくれることだろう。

 船が岸を離れる。

――必ず戻ってくるぞ。

 徐々に遠ざかっていく弦の大地を眺めながら、琉は改めて決意を固めていた。


第四章はここまでとなります。

次話以降はついに弦を離れて異国を旅することになります。

まだまだ先は長いですが、よろしくお願いします。

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