因縁
黄央から南へ伸びる街道。
少し進むと分かれ道があり、南へ直進すると啓夏、南東方向の道は業湊へ続いている。
いずれも弦国屈指の主要都市であり、商人の往来は活発である。
木を隠すには森の中。
商人が多く通る街道ならば、商人に扮した琉たちが注目されることもない。
平穏な旅路。
しかしそれは長くは続かなかった。
「検問だと?」
単騎で先駆けしていた志道の報告によると、簡易な検問であり荷の中身までを改めている様子はないという。
「大丈夫だろうか」
「検問の簡易さから考えて、おそらく殿下を探すためのものではないかと思われます。周殿の御用商人の手形もあるので、問題はないかと」
衛舜の見解に琉も同意を示し、迂回はせずにこのまま街道を進む。
この辺りはこの街道の他に道は少なく、迂回をするとなると相当な時間がかかってしまう。
念のため琉と、琉に背格好の良く似た清隆は馬車の荷に隠れた。
検問の行列の最後尾に付き、順番を待つ。
志道の報告通り、前に並ぶ商人たちは簡単な問答だけで荷を改められることなく通過して行っているようだ。
琉たちの番となり、衛舜が商人一行の主として対応する。
「これは何の検問なのでしょう」
衛舜が衛兵に尋ねてみたが、衛兵はそれには答えない。
代わりに衛舜と戒燕の顔を特に観察しているようだ。
他の組はすぐに通されていたが衛舜には通行の許可がなかなか下りないことに、衛舜の心中に不吉な予感が湧いていた。
「馬車を引いてこちらへ来るのだ」
衛兵の指示に、一行の緊張感が高まる。
とはいえ兵に囲まれているここで逃亡を図っても到底逃げ出すことは敵わない。
大人しく指示に従い道を逸れた。
衛舜が待機を指示されしばらく待っていると、一人の男が目の前に現れた。
――どこかで見たような……。
記憶力の良い衛舜はすぐにこの男の正体を思い出した。
――小仰からの使者だ!
小仰は啓州の外れの小県である。
これといった特徴のない田舎の小県であり、共藍とも衛舜個人としても普段は特別交流のない土地である。
しかし数年前にこの小仰と共藍とを頻繁に使者が行き来していた。
琉の婚儀に関わるものである。
琉の亡き妻である杜涼香。その父の杜伯良はその小仰の県長であった。
「お久しぶりでございます、景郡丞。小仰の朱子桓でございます」
明らかな作り笑いを浮かべ、恭しく頭を下げる。
景郡丞と呼ばれたが、現在衛舜は共藍県の県令となっている。朱子桓が共藍へ来ていたころの役職で敢えて呼んだのか、それとも本当に知らぬのか。
「貴方が何故ここに」
「この辺りは小仰の県域に含まれる土地でございます。杜県長の指示に従いこうして検問を設け、共藍公をお待ちしておりました」
朱子桓は使者として多くやり取りを交わした衛舜と、いやでも目立つ巨躯を誇る戒燕をよく覚えていた。
そのため検問があれば荷に隠れてしまうであろう琉ではなく、この二人を探すよう衛兵に指示していたのだ。
「何故我々がここを通ると」
「共藍にお帰りになるのに、南江を遡上するのならばこの道を通る可能性はあると考えておりました」
しかし半ば以上は賭けだったという。おそらく通る可能性は低いと朱子桓は考えていた。
荷を改めない簡易な検問は、警戒されることなく近付いてくるであろうという策でもあるが、通る可能性の低い人物を待つために厳重な検問はできない、という意味もあった。
「いずれにせよ、互いに幸運なことです。」
「互いに……?」
「我々は共藍公のお味方、ということです。杜県長は共藍公の舅に当たるお方。身内の窮状に手を差し伸べないはずがありません」
そう言いながら朱子桓は兵たちに指示し、検問を撤収させた。
「杜県長が小仰県城でお待ちです」
そのまま検問を撤収した兵が琉たちの馬車を囲み、半ば強引に小仰への道を進み始めた。
杜伯良の人となりを考えても言葉通りに琉の味方であるとは考え難かったが、百余りの兵に囲まれていては脱出は容易ではない。
ここは大人しく付いていき、隙を突いて逃げ出すしかない。
「これは婿殿。お久しゅうございますな」
杜伯良は、満面に笑みを浮かべ琉を出迎えた。
表情を読むことに長けた琉には作り笑いであることは明白だったが、そもそもこの舅殿が心から笑った顔など見たことがない。
「ご無沙汰しております」
無感情に簡単な挨拶の言葉を口にする琉。
琉にとって杜伯良は亡き妻の父親である以上に、その妻を苦しめていた仇とでもいうような存在だった。
「婿殿の大決断。民からは大変な喝采が挙がっております。私も舅として鼻高々です」
大決断、とは、琉た堰相国を刺したことである。
実際には成り行きによるものではあるが、巷では計画的な暗殺と見る者が多い。
「称賛されるようなことはしておりません」
「ははは、あれほど大層なこと成しておきながら、婿殿は謙虚ですな。なにしろこの弦国を支配していた巨星を落としたのですから」
ことさらに琉を褒め称えようとする杜伯良だったが、琉にはその魂胆が見え透いていた。
――この人の目は相変わらず私には向いていない。
琉の反応を見ずに自身が言われたら気持ちの良い言葉だけを連ねている、そんな印象がどうしても拭えない。
琉の目には、常に杜伯良の顔に欲望の色がこびりついているように映っていた。
「婿殿も長旅でお疲れでしょう。今後のことは私にお任せくださり、今夜はお休みなさいませ。部屋を用意してございます」
黙して答えない琉を杜伯良は疲労によるものと察したのであろうか。
すぐに部屋へ案内された。
「部屋の前に護衛の兵を立たせておりますので、何かありましたらお知らせください」
護衛と言ったが、その実は監視であろう。
衛舜ら臣下は別の部屋に通されていたため、琉は一人となった。
臣下がどの部屋に通されたのかを聞いてもはぐらかされた。
事実上の隔離である。
――やはり舅殿は信じるに値しない。
その気持ちを強く感じさせたのは、杜伯良が娘の涼香について一言も触れなかったことにあった。
杜伯良の心中に、涼香の存在は欠片も残ってはいないのだ。
そして孫の鈴についても触れていない。
本当に琉との縁を再度構築しようという気があるのならば、その架け橋となる鈴の存在は最重要事項であるはずだ。
――舅殿は必ず私を売る。
それを否定する材料は何一つ無かった。
一刻も早く小仰から離れなければならない。
杜伯良はどす黒い欲望が内部で渦巻く巨大な腹を揺らしながら回廊を歩いていた。
「さて、あの”欠陥”の皇子はどうしてくれようか」
無用な愛想を振りまき、城内に招き入れてやったのだ。
できるだけ高値で売れてくれなければ困る。
「啓夏太守に引き渡しても、手柄を横取りされるだけだろう。やはりここは自ら玄安へ上り、直接朝廷へ引き渡すか」
新帝が立ち、丞相だった杜伸季が早々に位を辞し所領へ戻ったことで、それまで杜伸季に媚びていたことが全て無駄になってしまった。
杜伸季が未だに丞相の位にいれば、自分も既に太守程度にはなれているはずだと、杜伯良は本気で思っていた。
「しかし再び風が向いてきた。あの欠陥の皇子を売れば、私もどこかの太守に……。いや相国暗殺の大罪人だからな。場合によっては州牧……、いや玄安の要職に就くことも夢ではないか」
ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべ皮算用をする杜伯良。
その鼻が、何かが焦げる臭いを嗅ぎつけた。
遠くで馬の嘶きも聞こえてくる。
「何事だ!」
怒声に反応し従者が状況の確認に走る。
「馬屋で火の手が上がったようです。火災の混乱で馬が脱走し、暴れまわっております」
「なんだと! あの欠陥の皇子め!」
火の気のない馬屋で自然に火災など起こるはずがない。
琉の臣下が工作をしたに違いない。
「皇子を捕らえよ! 皇子の臣下は全て殺してしまえ!」
すぐに指示を出す。
しかしその指示を受けた兵たちが琉の部屋へ駆け込んだときには、既にその姿はなかった。
部屋の前には護衛と称して監視させていた兵が倒れている。臣下の部屋も同様だった。
杜伯良の失策は、琉の臣下を一つの部屋に固めていたことだった。
すぐに衛舜は志道と清隆に指示し、城内の様子を探らせた。
諜報活動を得意とする志道や、盗賊として各地の県城を荒らしてきた清隆にとって、小仰のような田舎の小県の城を誰にも気付かれずに行動することなど、庭の散歩にも等しいことである。
そのことを杜伯良は知らなかった。
杜伯良が知っていたのは戒燕の猛勇だけであり、武器を取り上げ軟禁していれば無用の長物となると考えていたのだ。
杜伯良の甘い認識が兵にも伝わり弛緩した雰囲気が生まれ、付け入る隙となった。
「城門を固めろ! 何人たりともこの街から外へ出すな!」
おそらく琉たちは既に県城を出ているだろう。
しかしまだ小仰の街を脱してはいないはずだ。
「そう簡単に逃げられると思うなよ……!」
琉たちが街を出る前に門を閉めることができれば、もはや逃げられない。
混乱に乗じて県城を脱出した琉たちは、馬車を城門へ走らせた。
夜である以上、門は閉められている。
しかし城門を護る兵が異変を知る前であれば、交渉次第で通行できるだろう。御用手形も効力を発揮するはずだ。
「火急の用で啓夏へ向かう! 城門を開けられたし!」
戒燕が単騎で先駆けし、大音声で開門を求める。
実際の目的地ではない啓夏へ行くと言ったのは、門外へ脱出した後の追っ手を惑わすためだ。
「何用か、理由を述べよ」
「理由は明かせぬ。火急の用である。門を開けよ」
御用手形を突きつけ開門を迫る。
戒燕が問いに敢えて理由を答えないことで、衛兵は却って緊急であると察した。
「む、解った。しばし待て」
御用手形の権威と戒燕の迫力に押され、開門操作を指示する。
小仰は田舎の小県といえどかつては弦国に服さぬ小国が前衛拠点としていたこともあり、都市の規模の割りに重厚な城門を備えていた。
その分、城門の開閉にも時間がかかる。
重々しい動作で門が開き始めた。
開門を待つ間に琉たちの乗る馬車も追いついた。
――急げ! 急げ!
城門が開き切る前に杜伯良の城門封鎖の命令が届けば脱出は困難になる。
逸る気持ちを面に出さぬように琉は徐々に開きつつある城門を見上げる。
「来た!」
短く志道が声を発する。
弾かれるように振り替えると、いくつかの騎影が見えた。
「……開くな……! 城門を閉じよ……!」
遠くから微かに聞こえる声。
杜伯良からの城門封鎖を伝える伝令に違いない。
「何事だ」
先ほど戒燕に対応していた衛兵が振り返る。
伝令の声は聞こえていたが、その内容までは聞き取れていなかったようだ。
まだ伝令は遠い。
伝令の声がこの衛兵に届き、閉門を指示がでるまでは開門動作は止まらない。
それを察した静かに清隆が動き、衛兵の意識を刈り取った。
「城門を閉じよ! 誰も外へ出してはならん!」
再び聞こえる伝令の声だったが、その声に応えて閉門の指示を出すべき衛兵は夢の中である。
既に馬車一台が通行するのに十分なほど門は開いていた。
閉門動作が始まる前に、速やかに琉の乗る馬車と戒燕の馬は城壁の外へ滑り出た。
「待て! 止まれ!」
「止まるわけには行かないが、代わりに杜県長への伝言を残していく!」
城門の外へ出た琉は、馬車の上で振り返り伝令へ向かって呼びかけた。
「杜県長は亡き娘の涼香に対し僅かの哀惜の念も表さず、ただ己の利を求めるのみである。身内への情よりも己の利を優先する人物に、舅と婿という縁だけの理由で信を置く者があろうか」
杜伯良を詰る言葉。
もはや怒りや哀しみなどの感情は湧かなかった。
ただただ失望があるのみだった。
「私は杜涼香の夫である。私の信を得たいと欲するならば、まずは涼香の霊を祀りその許しを乞うのが先である」
言い終えた琉は、その後は一度たりとも背後を振り返ることなく夜陰へ消えていった。




