商人
琉たち一行が乗る馬車は、弦国の地理上の中心に近い黄央の近くの森に隠れていた。
黄央は玄安、業湊を結ぶ街道の一つにある街である。大都市というほどではないが、交通の要衝であり共藍へ向かう際の分岐点ともなっている。
「ただいま戻りました」
街へ行っていた衛舜と子昂の二人が戻ってきた。
「ご苦労。衛舜、子昂。街の様子はどうだった」
「相国暗殺による混乱は予想より少ないようです」
どれほど悪名高くとも、三公を独占していた朝廷の最重要人物が突然斃れたとなれば影響がないはずもない。
しかしそれが表に見えないほど小さく抑えられている。
堰無夷の後にその座についた人物がよほど優秀なのだろうか。
「空いた相国の座には、堰無夷の子の堰無病が就いたようです。が、無病は若く父親の権勢を笠に着るだけ盆暗だという噂です。この混乱を治める力はないでしょう」
となれば、実際に朝廷をまとめている人物は御史大夫であろうか。
「御史大夫には袁永建が就いたようです。実際に朝廷内の混乱をまとめているのはこの人物でしょう」
袁氏は弦の属国である鋳山国の公家であり、現在では堰氏に次ぐ影響力を持つ勢力である。
皇帝・煌丞や琉たちの末弟である煌登。その母も袁氏の出身だ。
「思ったより混乱が小さい割りに追っ手の動きが緩慢なのは、この辺りに理由があるのかもしれません」
衛舜が言っているのは、堰氏と袁氏の対立の可能性である。袁氏からすれば、敵対勢力の頭を除いてくれた琉を追うより国内の安定の方が優先なのだ。
とはいえ、追っ手がいなくなったわけではない。
「大通りには殿下の人相書きと、捕らえた者に多額の報奨金を与える旨の高札が掲げられておりました」
人相書きは、人相の特徴などを箇条書きした手配書である。
「人相書きの内容だけで殿下を特定することは難しいでしょうが、できるだけお顔を見られぬようにお気をつけくださいませ」
衛舜は琉にそう注意すると、視線を清隆に転じた。
「乾殿も同様にお気をつけください。この人相書きの内容では貴方を殿下と勘違いする者もいるやもしれません」
確かに琉と清隆は背格好が似ており、何より共に類稀な美貌を持つ。
「美しいとは罪なことです。共に苦労しますね、殿下」
大仰な溜息を吐く清隆に、苦笑する琉。
「ところで、あちらのお方はどなたですか」
清隆の指摘に、衛舜と子昂が驚いたように振り替える。
「いつの間に……!」
何者かに街から尾行されていたらしい。
清隆はいつでも抜けるよう刀を握り、警戒する。
戒燕、志道もすぐに臨戦態勢を取る。が、すぐに緊張を解いた。
それが見知った顔だったからである。
「周殿!」
それは琉に衛舜を紹介した商人、周永全だった。
周永全は謎の多い人物である。
衛舜、衛業の祖父であり義父である景衛遼が存命のころから景家に出入りしており、その関係で衛舜を推薦することとなった。
しかし衛舜も周永全が景家へ出入りすることとなった経緯は詳しくは知らないらしい。
衛舜が景家当主となってからも、不定期に景家へ訪れて必要なものを届けてくれていたが、衛舜から周永全へ連絡する術はなかったのだという。
琉も衛舜を紹介してくれた代価を支払おうとその行方を捜させたが、周永全が共藍県城へ姿を現すまでついにその居所を掴むことができなかった。
「どうしてここへ」
「黄央の街で見知ったお顔をお見かけ致しましたので、商いの機会を求めて参上した次第でございます」
「商いか。私の首を朝廷へ売るか」
琉の戯れの言に、周永全は大げさに驚いて見せた。
「とんでもございません。仕入れの代価が高すぎるので、とても商売にはなりません」
そう言って周永全は視線を戒燕へ向ける。
ここで琉を朝廷側へ売ると答えれば、戒燕が周永全の首を取るだろう。どれだけの対価を得られようとも、自身の首を失うのであればそれは赤字と言わざるを得ない。
「本日は買い付けではなく、売り込みに参りました」
「ほう、用聞きではなく売り込みか」
「はい。殿下が必要とされているであろう品を既にご用意してございます」
そう言いながら背負っていた籠を下ろし、その中から取り出したのは衣装一式であった。
「商人風の衣服か」
「左様でございます。弦は交易、商いによって発展した国でございますので、国内を自由に行き来するには商人に化けるのが一番でございます」
続々と取り出される衣装は八人分あり、全て一行の各人の寸法通りに仕立てられている。
周永全とは面識のないはずの清隆や共藍を出発したときにはいなかった玲寧や子昂の分まで用意があった。
それは魔術や奇術の類としか思えなかったが、周永全には「商人の嗅覚というやつです」とはぐらかされてしまった。
「各人の役割は私の方で勝手に設定させて頂きました」
商人一行の主人役は衛舜。
その妻役に志姫。
使用人の頭である番頭に琉。
その妻役に玲寧。
志道と子昂が下っ端の使用人。
戒燕と衛舜は用心棒である。
「なんで私がこの男の妻なのよ!」
案の定、玲寧が抗議の声を上げる。
年齢的には自然な配役であるが、演技でも仇の妻にはなりたくないのだろう。
「我慢してくれ。他に適当な配役がないのだ。不服ならばこの場に置いて行くことになるが」
琉の言葉に玲寧は口を閉ざした。
玲寧の目的は、琉の近くにいて隙を突いてその首を取ることである。
懐の短剣以外に力を持たぬ玲寧は、一行に置いていかれた時点でその目的の実現は極めて困難になってしまう。
「ただの演技よ。わかっているわね」
「ああ。寝所まで共にしたら、文字通り寝首を掻かれてしまう」
そう琉は笑ったが、寝所を共にするという言葉に玲寧の顔は真っ赤に染まっていた。
周永全は続けて何かの木片を取り出した。
それは朝廷お抱えの御用商人に発行される通行手形だった。
「これがあれば、多くの関所で荷を改められることなく通行することができるでしょう。ただし万能ではありませんのでご注意を」
逃避行にはうってつけの品である。
「何故こんなものを持っているのだ」
周永全自身は御用商人ではないはずだ。
組織に属することを嫌う性質の人間である。共藍商会長の座が空いたときもその座に座ることを「性分ではない」と拒否していた。そんな男が朝廷の御用商人となっているとは思えない。
「商人の世界は信用と金の世界です。信用と金があれば大抵の物は手に入ります」
「なるほど。これの代価は高く付きそうだな」
一行は長い逃避行の最中である。現時点では手元に十分な銭があるが、これから先の旅程のために少しでも残しておきたかった。
「代価は共藍へ戻った後で構いません」
周永全はさらりとそう言った。
始めからそのつもりだったというような態度である。
「良いのか。我々は共藍へ帰り付けぬかもしれないのだぞ」
「もちろんでございます。商品を売ればそれで終わりというのは三流の仕事です。一流の商人の仕事は、その商品で顧客が満足して初めて成立するのです」
周永全が衛舜を紹介した際も、周永全がその代価を受け取ったのは琉が衛舜を気に入り臣下に迎えて後のことだった。
これが周永全の商人としての矜持なのだろう。
「そもそも殿下が共藍へ帰り付けなければ、この商い自体が無意味なものとなります。もし殿下が共藍へ戻れぬのであれば、私の商いが拙かったというだけの話でございます」
そう言い残すと、周永全は去っていった。




