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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
長途
29/62

旗印

 騎兵隊を率いていた男は、中陵(ちゅうりょう)県の県長・田祖良(でんそりょう)と名乗った。

 中陵は雀関を南へ抜け、やや東へ行った辺りにある小県である。大きな街道からは外れており、特別目立つもののない街である。

「我々は朝廷側の追っ手ではありません。むしろ共藍公を助けるためにその行方をお捜ししておりました」

 やはり山麓の村での騒動は、既に追っ手である朝廷側の兵にも伝わっていた。

「山麓の村から南へ行くにはいくつも経路があり、この辺りを通る可能性は低いと思っておりました。山賊に襲われている旅の者がいるというので助けに来たのですが、まさかそれが共藍公とは。しかも撃退しておられたとは、さすがでございます」

 田県長は一時期玄安で官職に就いていたことがあり、そのときに琉を見たことがあったらしい。

 上機嫌に語り続ける田県長は、そのまま中陵県城へ琉を案内する。

 すぐに宴の席が設けられた。

 しかし琉たちはこのような歓迎を受ける理由がわからず、警戒を解くことができないでいた。

「なぜ私が共藍公を歓迎しているかわからない、といったお顔でございますね」

「そうだ。私は朝廷に追われる身ではないのか」

「その通りでございます。私は県長という立場。共藍公を捕らえ玄安の兵へ引き渡すのが本来の責務でございます」

「では、なぜそうしない」

「それは共藍公が子の仇を討ってくださったがためでございます」

 田県長は手に持った杯を置き、琉に向かって平伏した。

 子の仇。

 相国・堰無夷のことである。

 田県長の子も、子昂の母のように”改革”によって罪人とされて命を落とした犠牲者だったのだ。

「息子は心優しい子でした。息子は民を苦しめる盗賊らを取り締まる役目を帯びておりました。しかし堰無夷の”改革”によって已む無く盗賊をせざるを得なくなった者たちが増えて参りますと、その者たちを取り締まることができなくなってしまったのです」

 そして温情をかけ盗賊を見逃しているところを、中陵県が属する陵山(りょうざん)郡の兵に見つかり、盗賊の仲間であると見做されその場で殺されてしまったのだ。

「元々は堰無夷が無謀な”改革”を強行したがための混乱なのです。人の情に従って行動した息子を、事情も聴かずその場で殺すなどあっていいことではない!」

 田県長の感情の奔流は止まらない。

「私はすぐに復讐の手を挙げることを決心しました。しかし相手は位人臣を極めた相国。そう簡単に復讐を遂げることはできません。地道に準備を進めておりました」

 復讐の準備。

 その対象が相国であるならば、それは謀叛の準備とほぼ同義である。

「ようやくある程度の武器と人数を揃えることができました。後は立ち上がるだけ。そうしたときに、共藍公が堰無夷を暗殺したとの報が入ってきたのです」

 琉が堰相国を殺してしまったことで、田県長の標的がいなくなった。即ち謀叛を起こす目的が消えた。

 琉はそう考えた。

「お主たちが無謀を起こす前で良かった」

 しかし田県長はこれで終わりとは考えていなかった。

「何を仰せられますか。堰無夷一人を除いたところで、陛下がその失策をお認めにならなければ、再び同じことが繰り返されます」

「なんだと……。まさか、まだ謀叛を起こすつもりなのか」

「共藍公がこの中陵へおいでくださったことは、天のお導きに違いありません」

 田県長の言う”天の導き”。

 それは琉をこの謀叛の旗印に掲げることだった。

 現在、帝位継承権を有する主な皇族は四人。

 皇太子に立てられたばかりの煌荘。そして皇帝の弟である煌崔、煌琉、煌登の三人。

 このうち煌荘と煌崔は堰皇太后の孫と子であるため、打倒堰氏を掲げる旗印にはならない。

 末弟の煌登は未だ若い。

 琉は共藍の発展という実績が実りつつあり存在感を増している上に、玄安にいたころから民の人気は高い。何より、平民出の母を持つ琉は対外戚勢力を標榜する旗印としては絶好の存在であった。

 田県長はそのために、兵を動かし琉を探していたのだという。

「弦国を救うため、我らと共に戦いましょう!」

 熱を帯び理想を語る田県長は、琉が逆方向の感情を抱いていることに気付かない。

「そんなことのために私は剣を振るったのではない」

「共藍公は未だに帝位を目指しておられると聞き及んでおります。これはそういう意味でも好機でございましょう」

 琉た帝位を目指していることは、玄安にいた頃からよく知られていた。それが当時皇太子の皇丞から「身の程知らず」と嫌われる原因にもなっていた。

 しかしこの発言が、琉の中の鬼を刺激した。

「私は! 私の欲望のために民を巻き込むことなど考えていない!」

 心中の鬼が暴れだすほどではないにせよ、内から発するその気は琉の目に宿り、鋭い光を発していた。

 その強い拒絶の意志と迫力に、田県長がたじろぐ。

「そもそも勝算はあるのですか」

 衛舜が口を差し挟んだ。

「失礼ながら、この中陵という小県でいったいどれほどの人数を集めたのでしょうか」

「二千です」

 その数はこの小県で募ったにしては多い。

 しかし対朝廷、対堰氏と考えると余りにも少ない。

 予想していたとはいえそのあまりの少なさに衛舜は絶句し、予想外だった琉は絶叫した。

「そのような寡兵では、民を無駄に死なせるだけではないか!」

 玄安の常設兵はおよそ三万。

 その他、玄安に異変があれば付近の堰氏派諸侯がそれぞれ兵を率いて集結し、その数は十万をゆうに超えるだろう。

「それだけではない。玄安には禁軍もいるのだ」

 禁軍は玄安の皇帝直属の兵である。

 皇帝の居所である禁中を警護することをその任務とすることからそう呼ばれるが、その実態は皇帝が将軍を介さず意のままに操れる兵力という側面もある。

 その数は五千に過ぎない。

 しかしそれを構成する兵は弦国全土から選抜された精鋭中の精鋭であり、その戦力は五万・十万の兵にも匹敵するとも言われている。

 その強さから弦国の守護神にちなみ、黒竜軍とも呼ばれる。

「たった二千では、勝負にもならないのではないか」

 しかし田県長は自信に満ちた表情を崩さない。

「問題ありません。二千は私が手配した兵だけの数です。実際に立ち上がれば、堰無夷の”改革”によって朝廷に恨みを持っている者たちが呼応すること、疑いありません」

 それは楽観が過ぎる予測であろう。

 確かに堰相国の”改革”により、已む無く盗賊団に身をやつしている者は多いだろう。

 しかし仮にその者たちが全て集まったとして、数はどれほどになるだろうか。

「おそらく玄安の常設の兵数すら超えることは叶わないでしょう。堰氏の改革に不満を持つ者は確かに多い。しかし既に堰氏が斃れた今、その不満を朝廷まで向けようとする者がどれほどいるでしょうか」

 衛舜が冷静に分析する。

「仮に田県長と同じように考えている各地の県長や太守が呼応したとして、堰氏派の諸侯全ての数を超える兵が集まるとはとても思えません」

 堰相国があれほどの権勢を振るえたのは、皇帝の従兄であり堰皇太后の甥であるという外戚としての縁故の力だけではない。

 堰氏に近い諸侯は多い。

 その者たちは謀叛により堰氏の力が除かれれば、自身も共に失脚する可能性が高い。謀叛があれば間違いなく朝廷側に回るだろう。

「問題は数だけではありません。謀叛に呼応する側は、小さい勢力が弦国の各地に点在しているということが一番の問題なのです」

 各地に散っていると言うことは、集結まで時間がかかるということである。その間に迎え撃つ朝廷側は十分に準備を整えることができる。

 それどころか、集結する前に各個撃破されてしまう勢力も多いだろう。

「始めから失敗するとわかっていると断言してしまっても良いほどです」

 衛舜の分析に、田県長は何も反論できなくなっていた。

「いや、事の成否の可能性は関係ないのだ」

 衛舜が語るに任せていた琉が、静かに口を開いた。

「事が敗れて民や兵が無為に死ぬのは心苦しい。しかしそれ以上に、仮に事が成功したとしても私は喜ぶことはできないだろう」

 琉の語る言葉には、強い意志が込められていた。

「私の目標は皇帝になることではなく、”立派な皇帝になること”だ。自ら起こした混乱に乗じて謀叛を起こす。それによって得た地位で、果たして私の目標が成せたと言えるだろうか」

 不遇の皇子と言われ続けていた琉。

 しかし、その心の奥底には常に皇族としての矜持が秘められていた。

「私は弦の皇族だ。弦国の芯となるべき存在だ。謀叛に加担することはできない」


 田県長は謀叛の意志が覆ったわけではないようだが、琉を旗印に掲げることは諦めたらしい。

 代わりに共藍へ帰る琉たちのため、できる限りの協力を申し出てくれた。

 琉たちは田県長の用意した馬車へ乗り込んだ。

「良かった……!」

 衛舜が小さく、しかし力の籠った声を漏らす。

 馬車が手に入ったため、琉たちがここまで乗ってきていた四頭の馬は解放した。彼らは山麓の村で奪ってきたものである。このまま帰巣本能に従って村まで帰り着くことだろう。

「ここまで準備を進めていた決起をいきなり取り止めることは難しいですが、慎重に事を進めようと思います」

「無駄に兵や民を死なせることの無いようにして欲しい」

 琉の言葉に田県長は確かに頷いた。


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