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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
長途
27/62

山麓の村

 夜が明けると琉たちは南へ向かって山道を進み始めた。

 先導をするのは猟師の息子、宋子昂。

 子昂の父は前日の猟の獲物を担いで山を下りたが、子昂が道案内を買って出てくれたのだ。

 山道、と言ってもそれは決して地図には載らない獣道のようなものばかりだった。

「夕刻には山麓の村へ出られます」

 そう言う子昂だったが、実際に村に着いたのはさらにもう丸一日後だった。山道に慣れた子昂の足では一日で着けたとしても、女性二人と体力の劣る衛舜が足を引っ張っていてはそうはいかなかった。

 村へ着くと子昂は村で一番大きな屋敷へ琉たちを案内した。そこは子昂の顔見知りの家らしく、子昂ら親子も獲物を追ってこちら側へ出てしまったときは、この屋敷に世話になっているのだという。

「今晩の宿を借りるため、話を付けて参ります」

「待ちなさい」

 駆け出そうとする子昂を衛舜が止める。

「我々の正体が知れれば、泊めた家の者に迷惑がかかることもあります。我々の正体は明かさず、顔も合わせずに済むようにしたいのです」

 そして衛舜は”道に迷った貴人を案内してきた。事情があって正体を明かすことができないらしいので、密かに泊めさせてもらいたい”という旨のことを説明するよう指示し、いくらかの銭を握らせた。

 子昂は衛舜の言った通りに屋敷の主に銭を渡し話を付けてくれたため、琉たちは誰にも会わずに屋敷の離れに入ることができた。

「子昂、本当に助かった」

 部屋に落ち着いた琉は子昂の働きを大いに労った。

「これはお主の取り分だ。父上と良いものを食べなさい」

 そう言って子昂にもいくらかの銭を握らせようとした。

 しかし、子昂それを受け取らなかった。

「いいえ、殿下。私には他に欲しいものがございます」

「なんだ。なんでも叶えてやりたいところだが、我々も危うい逃避行の最中なのだ。場合によっては私が共藍へ戻った後、ということになってしまうが……」

「私を臣下としてご一行に加えて頂きたいのです」

 子昂は幼少期より、琉への憧れを持ち続けていたと言っていた。

 この申し出は、琉にはある程度予想がついていたものだった。

「お主には父上がいるだろう。父上の元へ帰らねばなるまい」

「いえ、父には既にこのことは話してあります。男が抱いた夢を止めることはできない。それを叶えるまで帰ってくるな、とも言われました」

 子昂の夢。

 それは琉の下で、いつか見た琉のように玄安への凱旋の列に加わることだという。

 子昂の顔には、希望や期待、誇らしさなどの感情の色が入り混じっていた。

「駄目だ」

 しかし、琉の答えは拒絶だった。

「これは危険な旅になる。ここにいるのは玲寧を除き共藍から私に従ってくれた者たちだ。この者たちは私と共に逃げる以外にこの危難を避ける術はない。しかしお前は違う。わざわざ危難に踏み込むことはない」

「私は危険など恐れません! 殿下のお力になりたいのです」

「ならば私が共藍へ戻った後に、同じ申し出をしに来て欲しい。共藍へ帰った後ならば、私の臣として迎えよう」

 必ず受け入れてもらえる、そう思っていたのだろうか。

 子昂の顔に落胆の色がみるみる広がっていく。

「今この場で一行に加えて頂けないのは……、私が足手纏いになるからでしょうか」

「そうだ。これ以上足手纏いは増やせない」

 琉が「これ以上」と言ったのは、玲寧のことである。

 しかしこれは琉の本心ではない。

 これから先、今回のように追っ手を避けるために街道を離れて山道に入ることもあるだろう。そのとき山歩きに慣れた子昂がいれば、大いに役に立つに違いない。

 しかし、それでも踏み込む必要のない危険に、前途ある若者を巻き込むことは忍びなかったのだ。

「夜が明けたら父上の元へ帰れ」

「ですが……!」

 子昂がなおも食い下がろうとするのを止めたのは、外の異変を告げる志道の声だった。

「殿下、外を」

 既に戒燕と清隆も異変に気付き得物を手元に引き寄せている。

「囲まれているな」

 琉が外を覗き見ると、屋敷の周囲を何者かが取り囲んでいるようだった。

「追っ手ではないな」

 琉の言葉に志道も同意を示す。

 この場所は通常であれば雀関を抜けねば辿り着けぬ地域である。琉たちは地図には決して載らぬような山道を進んで来たのだ。ここまで追っ手の兵が来るには早すぎる。

「おそらくこの村の住人かと。相国暗殺の報は既に回っているのでしょう」

 衛舜の予想に琉も同意する。

「兵士でない村人ならば殺すことはできない。戒燕、殺さずに突破できるか」

「おそらくは可能でしょう。しかし突破したところで馬が無くては……」

 一行には女性の志姫や玲寧、体力の劣る衛舜などもいる。徒歩で走り続けても振り切るのは難しいだろう。

 それでもこのままここでじっとしているわけにはいかない。

「子昂、お主は裏から母屋へ逃げろ。我々の正体を知らなかったと言えば、お主まで捕われることはないだろう」

 それでも逡巡の色を見せる子昂。

「行け!」

 琉の声に弾かれたように、子昂は駆け出して行った。


 琉たちが外へ出ると、潜んでいた村人が立ち上がり、琉たちの行く手を阻んだ。

 村人の手には、鍬や鎌などが握られている。

「どちらへ行かれますのかな」

 前へ進み出たのは、首謀者らしき初老の男性。おそらくこの屋敷の主だろう。

「急ぐ旅なので、慌しくて申し訳ないがもう出立することにした」

「そうは参りません。共藍公殿下」

――やはり気付いていたか。

 琉たちに緊張が走る。

「お上からの命令で、殿下を見つけた者は捕らえるべしとお触れが出ているのです。大人しくして頂きましょう」

 追っ手の兵は辿り着かずとも、情報だけは到達していたようだ。

 もはや力尽くの突破しかない。

 戒燕が得物を掲げて前へ進み出た。

「我が名は郭戒燕! この鉄槍の餌食になりたくなければ道を空けろ!」

 戒燕の大喝に村人がたじろぐ。

 戒燕の持つ槍は通常の槍ではない。

 通常の槍の柄は木製であるが、戒燕の槍は柄まで全て鉄で作られている。戒燕は初陣の際、姜涼族の侑軒との一騎打ちで勝負に勝ちはしたものの、侑軒は落馬しつつも戒燕の槍を離すことはなくそのまま共に落下し、その衝撃で戒燕の槍は折れてしまった。その後は侑軒の槍を奪い戦闘を継続したが、この経験から”折れない槍”を求めてこの鉄槍を作らせたのだ。

 全て鉄で作られている分、その重量は常人では扱えないようなものとなってしまったが、戒燕の膂力ならば問題はない。村人に向けられた槍の穂先は鞘で覆われているが、この重量の鉄槍でなぎ払われればただでは済まないだろう。

 戒燕の圧力に囲いの村人はじりじりと後退はするが、道が空けられることはなかった。

 このまま戒燕が駆け出して囲いを追い散らすことは難しくないだろうが、その後はどうやって逃げ切るのか。

「殿下、私が残って村人を食い止めます」

 戒燕の提案は、琉や戒燕も考え付いていた。

 しかし琉はその案を容れなかった。

「駄目だ。それはできない」

「私ならば大丈夫です。殿下がお逃げになったのを確認したら、私も逃げます」

 戒燕の猛勇ならば、一人で村人たちを制し頃合を見て離脱することは容易だろう。

 しかし、その後戒燕は琉らに追いつけるのか。

 目立つ行動は避けなければならない逃避行である。別行動となる場合、予め落ち合う場所を決めてそこに潜んでおかなければならないが、琉たちにこの辺りの土地勘はない。

 また、無事に落ち合えなかった場合、一人になった戒燕は無事に共藍に戻れるのか。戒燕を欠いた琉たちはその後も無事に逃げ続けられるのか。

――どうするか……。

 逡巡する琉の耳が馬の嘶きと馬蹄の音を聞いた。

 音の方向へ目をやると、村人たちの輪を蹴散らすように馬が現れた。

「子昂!」

 馬の数は四頭。

 その一頭の首に子昂がしがみ付いている。

 戒燕、志道、清隆がそれぞれ馬に飛び乗り暴れる馬を鎮め、子昂の乗る一頭も志道が手綱を引き落ち着かせた。

「すみません、殿下。馬が必要になると思い、裏にある馬屋を開け放ったのですが、私は馬に乗ったことがありませんので……」

「いや、子昂。助かった」

 子昂は外へ出た後、逃げる足が必要になると考え行動していたのだ。

 子昂の行動は、全て琉の役に立ちたい、という想いによるものだった。一行に加えることはできないと拒絶されても、絶望せずに自身ができることを考え行動した。

「やはり私も連れて行ってください。お役に立てるように致しますから」

 琉は子昂の乗る馬に飛び乗り笑顔を見せた。

「ここまで役に立つことを示されると、足手纏いだから来るなとは言えないな」

 志道が衛舜を、戒燕が玲寧を、清隆が志姫をそれぞれ馬に引き上げる。

 そして戒燕を先頭に囲いを突破し、四頭はそのまま駆け出し夜陰へ消えていった。


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