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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
長途
26/62

山中

 無人の馬車を街道にそのまま走らせ、琉たちは山中へ入った。

 一行の中にこの辺りの土地勘がある者はいない。志道が先駆けし地形を確認しつつ、当てもなくとにかく追っ手から逃れるため、山奥を目指し道なき道を進んでいる。

 戒燕、志道は武官であり、琉も含め山中行軍の経験もあるため問題はない。清隆は涼しい顔で付いてきている。志姫は仲の良い祢祢に鍛えられているからだろうか、玲寧を助ける余裕すらあった。

 一行で一番不安があるのは、志姫に助けられている玲寧を除けば間違いなく衛舜であった。

 衛舜は幼少期から本の虫であり、外へ出ての活動など必要最低限のことしかしてこなかった。琉に仕えて以降は戦場へ出ることも想定し馬術などをある程度は身につけていたが、山道の徒歩に耐えられる体力は十分備わっているとは言えなかった。

「少し休むか、衛舜」

「私は、まだ、大丈夫、です……」

 琉の提案にそう答えつつも、衛舜は息も絶え絶えであり限界が近いことは明らかだった。

「無理はするな。間もなく日も暮れるし、早めに休める場所を探そう」

 琉が先を行く志道に呼びかけると、志道は心得たように頷き駆けて行く。

 程なくして戻ってきた志道の案内に従って行くと、山肌に洞窟が見えた。

 ここが今夜の宿となった。


「これからどうするか」

 既に追っ手は無人の馬車に追いついており、一行が街道を抜けたことを知っただろう。

「このまま街道へ戻っても、雀関は封鎖されており南へ抜けることはできないでしょう。となるとこのまま山中を抜ける道を探すか、一度近くの村か街へ戻り南へ行く商人の荷に紛れるかしかありません」

 一休みして落ち着きを取り戻した衛舜が、現在の状況を整理する。

 雀関は普段は開放されているが、その扉が閉ざされれば難攻不落の堅牢さを誇る。いくら戒燕や清隆が強かろうとも、正面から力尽くの突破は不可能だ。

 業湊などとを行き来する商人などは通れるだろうが、荷を改められたときに隠れ通せるかどうか。

「街へ戻るのは危険ではないか」

 琉の懸念に衛舜も同意する。

「協力を求めた商人が我らを騙して衛兵へ売る、ということも考えられます」

 しかしこのまま闇雲に山中を彷徨っていても、南へ抜ける道が見つかるとは限らない。山中を南へ抜けられなければ、共藍へは雀関を通るしかない。

 何か良い方策はないか、と頭を悩ませていると、入り口付近を見張っていた志道から合図があった。

 琉が様子を見に行くと、志道が洞窟に向かって近付いてくる明かりが見えた。

「追っ手の松明だろうか」

 しかし志道は首を横に振る。琉の目には遠い上に暗くてよくわからないが、志道の目には見えているのだろう。

 確かに追っ手にしては松明が一つというのも少なすぎる。

「しかし警戒を怠るわけにはいかない」

 琉は志道と清隆に指示し、洞窟の入り口付近の岩陰に隠れさせ、松明の主を待ち受ける。

 洞窟に現れたのは、二人の男だった。

 松明の明かりが洞窟の奥に立ちはだかる戒燕を照らす。

 突然現れた大男に二人の男が驚きの声を上げた瞬間、岩陰から志道と清隆が飛び出し二人を拘束した。


「こんなところで猟師仲間以外の人間に出会うとは思わなかった」

「驚かせてしまい申し訳ありません」

 腕を擦りながら笑う男に、琉が謝罪の言葉をかける。

 洞窟に現れた二人組は、地元の猟師の親子だった。獲物を追って山奥まで来てしまったが、日が落ちてしまったので夜を明かす場所を求めてこの洞窟へ来たらしい。ここは地元猟師の休憩場所となっているようだ。

「気にするな。仲間内でもこういう場所は早い者勝ちさ。先に休んでいたところへ後から来たワシらが悪いのよ」

 猟師の父はそう言って豪快に笑う。

 二人は宋孟昂(そうもうこう)と宋子昂(しこう)といった。

 父の孟昂は壮年を過ぎたくらいだろうか。息子の子昂は冠礼を迎えるくらい、志姫や玲寧とあまり変わらぬ程度の年頃だ。

「あの……もしかして、共藍公殿下でございますか」

 ずっと黙っていた子昂が口を開いた。

「私のことを知っていたか」

「は、はい。殿下のことは一度だけ拝見したことがあります」

 この宋親子は山麓の小さな村の猟師だと言うが、獲物の毛皮などを売るために玄安へ上ることがあるという。

 数年前に玄安へ上ったそのとき、琉は初陣で戦功を挙げ凱旋してきたところだった。

「馬上で堂々とされている殿下のお姿を見て以来、ずっと殿下に憧れておりました。こうしてお傍でお話をさせて頂けるなんて、夢のようです」

 目を輝かせる子昂。

「この男は私の義父上を殺したのだ! 憧れるようなものではない!」

 突然叫んだ玲寧に、子昂は驚きの表情を見せる。

「殿下?今の話は……」

「事実だ。私はこの娘の義父である堰相国を殺して逃げているところだ」

 琉の言葉に、子昂はむしろ納得したようだ。

「堰相国ですか。いつか誰かがそうするだろうと思っておりましたが、まさか殿下がなさるとは」

 そう言うと、子昂と父親は琉に向かって頭を下げた。

「殿下、堰相国を討って頂いたこと、感謝申し上げます」

 突然のことに、琉も玲寧も当惑する。

「私の母は、堰相国の”改革”によって罪人とされ命を落としました」

 子昂の母は、子昂と父が狩ってきた獲物の毛皮などから作った商品を街に売りに出ていた。

 その前の週までと同じ場所で(むしろ)を広げて商いをしていると、突然衛兵に咎められ商品を没収されてしまったのだという。商いが認められる場所が”改革”によって制限されたためであった。

 商品の売り上げが無ければ生活は成り立たない。母は商品を取り戻すためその場で衛兵に抗議したが、聞き入れられないどころか罪人として投獄され、そのまま獄中で亡くなってしまった。牢獄は”改革”による罪人で溢れかえり、衛生的な問題等で獄中死は珍しくはない。

 宋親子にとって、堰相国は仇も同然であった。

「私たち親子の仇をお討ちくださった殿下に、どのようにご恩返しをすればよいか」

「それは貴方の母親が法を犯したから罰せられただけではないか!」

「その前の週まで問題なかった行為を、いきなり罪だと言われて納得できる人間がいると思うのか!」

 玲寧がたまらず弁護するが、仇の娘に何を言われても子昂は却って熱くなるばかりである。

「堰相国の養女だという貴女は、堰相国に守られて自分だけは罪にならぬ安全な場所で過ごしてきたのだろう!」

「そんなことない! 私だって……!」

「やめてくれ!」

 堪らず琉が制止する。

「やめてくれ……。堰相国を殺したのは、私の罪だ。お主らの母の仇を討ったわけではない。私は怒りのままに堰相国を刺したのだ」

「ですが、殿下の怒りは義憤によるものではありませんか」

 戒燕が擁護するが、琉は受け入れない。

「怒りの衝動であることには違いはない。怒りに任せて人を刺したのだ。感謝や賞賛されるようなことではない。玲寧の怒りは当然のものだ」

 琉の悲愴な感情の吐露に、子昂も玲寧もその場は矛を収めるしかなかった。


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