会談
立太子の礼は恙無く執り行われた。
琉が甥である煌荘を見たのは、この儀式の際が初めてである。
煌荘は兄の煌丞の粗暴とも言えるほどの力強さとは対極にあるような、静かな気配に包まれた皇子だった。
――長兄より、むしろ次兄に近い空気を感じる。
長兄は言うまでも無く現皇帝・煌丞のことであるが、次兄とは煌丞と同じ母を持つ兄、煌崔のことである。
煌崔は長州の長清郡をその勢力基盤とするため、一般には長清公とも呼ばれる。なお、共州の共藍を勢力基盤とする琉も、同様に共藍公と呼ばれることがある。
煌崔は、権勢欲の旺盛な長兄と異なり目立たぬ存在であった。
むしろ”不遇の皇子”と呼ばれていた琉の方が目立っていたとも言える。
――長兄と同じ母を持つとは思えぬ。
琉は玄安にいた頃から、そう思っていた。
儀式を終えた数日後。
琉は皇帝への謁見を許され、数年ぶりに兄弟が対峙していた。
「俺に何か言いたいことがあるようだな」
皇帝になっても、煌丞の持つ雰囲気に変わりはなかった。
「堰相国の行っている”改革”についてでございます」
琉は数年前、共藍へ追いやられたときとは違う。
自信と決意の篭った声で、民の窮状を訴えた。
滔々と語る琉の様子に、煌丞は不快げに顔を歪める。
「どうなのだ、相国」
「確かに、現在は多少の混乱がございます」
水を向けられた堰相国は、平然と答えた。
「しかし、大きな変化の途上においては多少の混乱は避けられないこと。小事に捉われすぎれば大事を行うことなどできません」
国中が罪人と流民で溢れ多くの民が困窮している現状を”多少の混乱”と言ったことに、琉の心中に怒りの炎が点った。
「何を申されますか。各地で罪人とされた者が溢れ、已む無く盗賊として生きていくしかない者も大勢いるのです」
難民として共藍へ流れてくる者は、むしろ幸運であると言ってもいいくらいである。
罪を逃れて故郷を出奔し盗賊として他の民から奪わねば、生きていくことすらもままならない、という状況は珍しくないという。
「どうか、失策をお認めになり、”改革”の見直しをお願い致します」
琉は”失策”という言葉を使った。
客観的には、これだけの混乱を引き起こした”改革”は失策以外の何ものでもないだろうが、この場でこの言葉を使ったのは琉の”失策”であった。
「なんだと?!」
この言葉が皇帝・煌丞の自尊心を大いに燃え上がらせてしまった。
「相国の”改革”が失策だったと言うのか! 相国は俺が全権を委任している人物だ。相国の否定は、この俺を否定することにもなるのだぞ」
わかっているのか、と凄む煌丞。
怒りに染まるこの兄を宥める方法を琉は持たない。
その迫力に琉は言葉をすぐに見つけられなかった。
「陛下。私も”改革”が誤っていたとは考えておりませんが、現状は多少ながらも混乱が生じているのは事実であり、それは私の不徳の致すところでございます」
意外なことに、堰相国が琉への助け舟を出した。
「共藍公殿下には、何か腹案があるのでしょう。私は他者の意見に耳を傾けぬわけではありません。この場はどうかお収め頂き、私にお任せ頂けないでしょうか」
こう言われては「全権を委任している」と口に出したばかりの煌丞も引き下がるを得なかった。
翌日、琉たちが乗る馬車は堰相国の屋敷へ向かっていた。
煌丞との謁見の後、堰相国は琉とゆっくり会談がしたいと自邸に招いたのだ。
堰相国の屋敷は、位人臣を極めた人物の屋敷とは思えぬほど質素なものだった。
ある程度の広さを有する屋敷であるようだが、弦という強国の相国とは思えぬ程度のものであり、華美な装飾などは見当たらない。一般的な小貴族という程度のものだ。
「志道と志姫は馬車で待っていてくれ」
琉の指示は衛舜の進言に寄るもので、屋敷の中で異変があった際にすぐにこの場を離れるためである。
皇帝の御前では琉を助けるような言動をした堰相国であるが、琉が堰相国の”改革”に反対する立場であることは変わらない。
今回の会談で説得できなければ共藍へは帰さない、といった害意を抱いている可能性も否定できないのだ。
屋敷の中に入るのは、琉、衛舜、戒燕、清隆の四人。
孟兄妹と衛業は共藍へ残って琉の留守を守っている。
門の中に入っても、やはり過剰な装飾などは見られなかった。
門、壁、扉など、全てにおいて至って”平凡”なのだ。
調度品の類も必要最低限といった域を出ない。
――後世の歴史書に載る、という欲望に取り付かれているという噂は、どうやら真実のようだな。
歴史書に載るという欲望以外には興味がないという面もあるかもしれないが、この質素な屋敷は、何よりも歴史書に良い様に描かれたいがためであろう。
過去の偉大な聖人は、質素を好むとされている場合が多かった。
琉たちは今回の会談の場となるであろう堂の前へ案内された。
「佩剣はこちらでお預かりさせて頂きます」
案内してきた堰家の家臣がそう告げる。
「堰相国の”改革”により、堂内での帯剣は禁忌とされております」
余りに”改革”が多すぎたため、一つ一つの内容など全て覚えきれぬのも無理はない。
琉は帯剣を外し家臣へ預けよう剣を差し出しかけたが、すぐに手を戻した。
「我々の荷物のために、堰家の家臣の手を煩わせるのも忍びない」
そう取り繕い後ろに控える戒燕の方へ振り返る。
「剣を持ってここで待っていてくれ」
「しかし、それでは堂内での護衛が」
「清隆がいるから大丈夫だ。それより万一の際にすぐに動けるようにしておかねばならん」
清隆は無手の技も多く身につけており、堂内の護衛ならば戒燕よりも適任と言える。
「何か異変を感じたらすぐに踏み込んでくれ」
清隆も戒燕に刀を預け、琉、清隆、衛舜の三人で堂内へ入っていった。
堂の中には堰相国が待っていた。
「ようこそおいでくださいました、殿下」
「本日はお招き頂きありがとうございます」
型通りの挨拶を済ませ席に着く。
堂内はあまり見慣れぬ作りとなっていた。
中央に丸い卓、所謂円卓が配置されており、そこに酒肴が並べられている。
――堰相国が創作した礼だな。
古来の礼では方角によって席次が定められていたが、堰相国は特別な式典などを除きそれらの席次の礼を廃し、序列のない円卓を用いるよう定めたのだ。
もちろん、お上に「これが新たな礼である」と宣言されたからと言ってもそれが即座に浸透するということはないが、流石に発信者である堰相国は実践しているようである。
堰相国の対面に琉が座り、衛舜と清隆がその左右に座った。
堰相国側の陪席者はいないらしく、四人が座ると若い女性がそれぞれ給仕に付き宴が始まった。
先に口を開いたのは、堰相国の方であった。
「殿下が治めておられる共藍の発展が著しいと、この玄安でも評判になっております。地方が発展すれば、それに押し上げられて中央も賑わいを増します。先日の騒動はひとまず置いて、本日はその発展の秘訣などをお聞かせ頂きたいと思っております」
「私は何も特別なことはしておりません。元々共藍には発展の土台となる要素が数多くあったのです。しかしそれを妨げる邪な者がおりましたので、私はその者を除いたに過ぎません」
邪な者。
それは共藍商会の長だった李氏と、それに協力する黄郡丞である。
二人は既に罪人として処罰されている。
「なるほど、弦国全体の治世の参考になるやもと思っておりましたが、それならば参考にはできませんな」
弦国の中枢には邪な者はいない、そう堰相国は言っているである。
――この御仁はどこまでが本気なのだろうか。
その後も堰相国が”理想の治世”についてを語るのを聞きながら、琉は堰相国の真意を掴みかねていた。
先日の騒動の際に国内の混乱について言った「大事の前の小事」についても、ただその場を取り繕う言い訳ではなく、本気でそう思っているのかも知れない。
堰相国の”理想”は琉や衛舜には絵空事にしか聞こえないが、それを語る堰相国の顔には少年のような無邪気な色しか浮かんではいなかった。
――本当にこの弦を良くしようと考えて”改革”を進めてきたというのだろうか。
確かに数多の”改革”の中には、きちんと運用すれば良い結果をもたらすであろうものもある。
一例を挙げると、肉刑の廃止がそれである。
肉刑とは肉体に対する刑罰で、や苦痛を与える”鞭打ち”、罪人という目印を残す”入れ墨”、肉体に損傷を与える”足切り”などがある。
この”改革”も、例によってその施行が急過ぎたことが問題となった。
肉刑が廃止されると、罪人の自由を奪う自由刑がその代替となった。
投獄や労役を課すものであるが、数多の”改革”で増え続ける罪人により、既存の牢獄はすぐに溢れてしまったのだ。
罪人に課す労役の内容が、「牢獄を建てる」という地獄のような状況も珍しくないという。
また、少ない牢に許容量を超える人数を押し込めたために衛生的な問題が多発し、結果死に至る罪人も少なくないという。
そのような問題は多かったが、そもそも肉刑については残虐であるという理由で廃止を訴える者は古くから存在していた。
十分な量の牢を準備するなど、しっかりした準備をしておけば、歓迎・賞賛される”改革”となったことだろう。
しかし堰氏の真意がどうであろうと、現実にこの改革により民が苦しんでいることは事実なのだ。
「堰相国は、この弦国の窮状をどこまでご存知でしょうか」
琉は単刀直入に疑問を投げかけてみた。
「私は陛下よりこの国の運営を委任されておりますゆえ、この国のことは全て知っている必要があります。この国のことで私が知らぬことはありません」
琉の問いに、堰相国の顔に僅かながら陰が差した。
”この国を運営している”という矜持を傷付けられたように感じたのだろうか。
「私の”改革”を理解せぬ者どもが大勢いることは承知しております。嘆かわしいことです。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、とはよく言ったものです」
堰相国の言った燕雀とはツバメやスズメなどの小鳥、つまり小人物の比喩であり、鴻鵠はオオトリやコウノトリのような大きな鳥、即ち大人物を指す。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、とは、小人物には大人物の志・考えが理解できない、ということである。
堰相国は大人物である自身の考えを小人物である民が理解しないために、”改革”に背き罪を犯している、と言っているのだ。
琉の心中にある怒りの炎が、徐々に大きくなっていた。
「堰相国は、民が敢えて”改革”に背いているとお考えなのですか」
内心の怒りを面に出さぬよう、務めて静かに発言する琉。
「当然でございます。我が”改革”を民がよく理解しておれば、それに反する行いをするはずがありません」
「そうではありません! 民は数多の”改革”に対応し切れぬだけなのです」
「何を仰せになられますか。真に弦の国と皇室への忠誠を持つ者ならば、どんな命にも背くはずがありますまい」
民が国の法に従うのは弦という国や皇室に対する忠誠心に寄るものである、と堰相国は言うのだ。
「相国。それは幻想と言わねばなりません」
熱くなりかけた琉を、衛舜の冷静な声が引き戻した。
「民が”改革”による法に背く結果となったのは、忠誠心とは無関係のことです。例えば、戦場において”矢に当たって死ぬことは罷りならん”という命が下ったとして、誰がそれを確実に遂行することができるでしょうか」
結果として矢に当たらず生き残る兵はいるだろうが、それは命令に従う忠誠心によって成せたものではない。
矢に当たって死んだ兵は、忠誠心のなさから命令に背いて死んだわけではない。
「相国が仰せになられているのは、これと同等のことではありませんか」
戦場では、いつどこから矢が飛んでくるか、ある程度の予測はつくが、堰相国の”改革”はいつどのようなものが発せられるか予測がつかないという点では、戦場の矢以上にかわし難いものとさえ言える。
「そもそも民は忠誠心によって国や法に従うのではなく、利と恐怖のために従うのです。為政者の側にあるお方が、そこを思い違いなさってはいけません」
この衛舜の発言に、堰相国は顔を赤くしてぶるぶると震えていた。




