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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
初陣
2/62

行軍開始

「どういうことなのだ……」

 煌丞は確かに別動隊と言った。

 煌丞自身がいる本隊の近くに琉を置いておきたくないということなのか。

 しかし別動隊を指揮するとなると、全体の戦況に関わる大功を立てやすい。戦況次第では別動隊の働きで全体の勝敗が決するということにもなりかねない。

 敵の後背を突くというならなおさらだ。

――そのような好機をあの異母兄が私に与えるだろうか。

 その疑問は作戦の詳細を確認して半ばは腑に落ちた。

 指示された経路は戦場を大きく迂回するものであまりに距離があり、そして難路であろうことが地図上でも想像できた。先ほどの軍議で、本隊の本格的な衝突は五日後となるだろうという話だったが、この経路を走破するには五日ではぎりぎりだろう。

 本隊同士の決着に間に合わなければ戦功を立てるどころではない。

「すぐに部隊をまとめて出立しなければ」

 琉はすぐに出立の準備を指示したが、砦を出る頃には既に日は暮れていた。夜の山道は危険であるため、本格的な山道に入る直前で野営ということになるだろうが、今はわずかでも先に進んでおきたかった。

 この任務の疑問は半分しか解消されていない。行程は難路であり、時間的な猶予もないが、それでも急げば間に合う程度であり、間に合いさえすれば敵の後背を突き一気に戦況を決する大功を挙げることができるだろう。


「どう思う」

 琉は野営に入り一息吐くと戒燕に意見を求めた。

「やはり何か罠があるのではないでしょうか」

「例えば、どんな」

「具体的にはなんとも」

 琉も戒燕も馬鹿ではないが、陰謀を巡らすことに向いている性質ではない。煌丞も策士というよりは猛将や武人といった方が似合う性質の人間であるが、気にするべきは参謀の田参軍である。

――敵兵と対峙することについては恐れはないが、それよりも気がかりなのは悪意のある味方だ。

 とはいえ、あれこれと想像を巡らせても答えは出ない。

 とにかく今は先を急ぐしかなかった。


 夜が明けて、本格的な山道の行軍が始まった。

 予想以上の難路に琉も馬の騎乗は諦め徒歩で馬を引いて進まねばならない難所がいくつもあったが、それでも山道の初日は何とか予定通りの距離を進むことができた。

 最初の変調はその翌日に起きた。

 琉が率いる部隊は曲と呼ばれる千人の部隊である。

 一曲は五百ずつの部隊である屯に分かれ、それぞれ屯長が率いている。その一方、張屯長が率いている隊が行軍に遅れだしたのだ。

 伝令を走らせ急ぐよう指示するも、前を行く隊との距離は縮まらない。遅れの理由を報告せよという指示にも明確な答えは返ってこなかった。

――ここでもまだ侮られるのか……

 琉が率いていると言っても、兵や兵をまとめる隊長たちは琉の臣下というわけではない。太子派の人間が紛れていても不思議ではない。

 琉は苛立つ心を抑えつつ遅れている隊へ向かい屯長のもとへに直接出向いた。

「これは三宮殿下。わざわざご足労頂き申しわけ……」

「そんな上辺の謝罪はいらぬ。遅延の理由を説明せよ」

 田参軍を思わせる物言いと軽薄な愛想笑いを浮かべる張屯長。その言葉を遮り、琉は説明を要求した。

「理由と申されましても、この難路でございます。遅延も仕方のないことかと」

「しかし前を行く呉屯長の隊は遅延なく進んでいる。何か特別な理由があるのではないか」

「おや、そうでしたか。呉屯長の隊はなかなか優秀なことで」

「そうではない。お主らが遅いのだ。何が原因で遅れているのだ」

「ああ、遅れていましたか。それは申し訳ないことで」

 琉の追及をのらくらと誤魔化し続ける。その張屯長に対し、先に怒りの頂点に達したのは琉ではなく戒燕だった。

「貴様、殿下は貴様の上官だ! さっさと質問に答えろ! 遅延の理由を答えろいうのがわからぬか!」

 巨漢の戒燕の迫力に張屯長の薄っぺらい愛想笑いが引き攣った。怒気を発する戒燕を制しつつ、琉はさらに追及する。

「張屯長、わけもなく行軍を遅延させるということは、まさか臆したのではあるまいか。素直にそう申せば、屯長の任を解いて兵たちの飯番でもさせてやろう」

 安い挑発だった。しかしその効果は覿面(てきめん)だった。

「なんだとこの孺子(じゅし)め!」

 およそ上官に対する言葉遣いではない。その顔は怒気に染まっていた。

「皇子とは名ばかりの力も持たぬ青二才が! この俺が臆しただと?!」

「しかし、今はその名で軍侯程度とはいえ力を持っている。屯長に過ぎぬお主より上位の、な」

「所詮軍侯であろう。俺はこの戦が終わればこの俺は校尉となるのだ」

 校尉は数千の部隊である「部」を率いることができる地位で、当然ながら曲(千人隊)を率いる軍侯よりも上位の地位である。

 得意げな笑みを浮かべる張屯長。その言い方は「戦功を挙げて昇進する」という程度の希望ではない。その顔には確信の色が浮かんでいた。

「太子がお主のような低位の者を相手にするのか」

「田参軍が確かにお約束くださったのだ。この別動隊の行軍を遅延させれば太子のお力で必ず校尉にしてくださると」

 この言葉を聞いた琉の眼つきが変わった。琉に睨まれた張屯長は自分が口を滑らせたことを悟った。

 行軍を遅延させることは任務の妨げであり、明らかな利敵行為である。当然軍法に触れることになる。

「それが敵を利する行為であることはわかっているな」

 鋭い目つきで張屯長を睨みつけゆっくりとした動作で腰に佩いた剣を抜く。

――まさか田参軍がこんな直接的な妨害行為にでるとは……

 琉の身の内を怒りの炎が灼いていた。

「軍法に照らし、お前を斬る」

 宣言しながら剣を張屯長へ向けた。その白刃をみて張屯長は早口に捲し立てる。

「ま、待て! 俺は田参軍、ひいては太子に目をかけられているんだ! その俺を殺したら……」

「二言目には田参軍、太子と主体性のない奴め! 私のことを名ばかりと罵ったが、お主は名も力もない口だけの小人ではないか!」

 琉の怒声に張屯長はもはや言い逃れはできないと悟り、佩剣を抜いた。

「ここでお前を殺しても、罰せられるどころか太子はお喜びになられるだろうさ」

 琉に向かって振り下ろされるその剣を受け止めたのは、戒燕の剣だった。

 張屯長が両手で押し込む剣を、戒燕は横から伸ばした右腕一本で支えている。

 戒燕の恐るべき膂力とその迫力に、張屯長は後退る。

「確かに私が死ねば太子は喜ぶだろう。しかしお前のような小物を守ったりはしない」

 この国の全ては次期皇帝である自分の所有物だ。煌丞はそう考えているだろう。使い捨ての道具に温情をかけるような人間ではない。

「いずれにせよ、ここで処刑される貴様には関係ないことだ」

 そう宣言すると戒燕はさっと剣を引く。

 次の瞬間、体勢を崩す張屯長の背中から戒燕の剣が突き出ていた。

 張屯長の身体が糸の切れた操り人形のように大地に放り出される。

 動かなくなった張屯長へ近づいた琉が剣を振り下ろすと。その首と胴はその繋がりを断ち切られていた。

「よく聞け!」

 張屯長の首を手に、周囲の兵へ演説する琉。

「私の無力な皇子と嘲笑うのは勝手だが、軍中においては上官の命令は絶対だ。命令には従ってもらう。命令を蔑ろにするものは、このように首と胴が離れることになると心得よ」

 返り血を浴びた美貌がより一層の迫力を生み出していた。


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