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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
群像
19/62

乾清隆・壱

 乾清隆(けんせいりゅう)が共藍へやってきたのに、大きな理由はない。

 もとより目的の無い旅である。

 清隆は各地を放浪する旅人であり、その地の豪商の屋敷や県城に忍び込み余剰の財貨から路銀を”借りて”回る盗賊でもあった。

 当然ながら借りた路銀を返済した試しはない。

――元は無辜の民から美しくない方法で奪って蓄えたようなものだろう。

 それが清隆の理屈だった。

 共藍行きの理由を強いて挙げるとすれば、新たな太守に弦国の皇子が就いたという噂を聞いたからだ。

 正確にはその皇子が類稀な美貌の持ち主という噂である。

――私とどちらが美しいかな。

 美しい女性は数多く出会い、同じ数だけ寝所を共にしてきた清隆だったが、自身よりも美しいと思える男に出会ったことは無い。

 その美しい皇子に会ってどうしようということはない。

 ただ興味が湧いたから一目見てみたくなっただけのことである。


 共藍へ着いた清隆は、辺境の割りに意外な賑わいを見せていることに驚いた。

 どうやら大規模な治水工事を行っており、治水によって確保した農地を割譲することでその作業員を集めているという。

 集まった者たちはなんらかの理由で故郷にいられなくなったはみ出し者、前科者なども多いらしく、街を歩いていると血の気の多そうな者がよく目に付いた。

――美しくない連中ばかりだな。

 民の美醜と為政者の美醜とに関連はないだろうが、それでも清隆は”類稀な美貌の持ち主”という噂の信憑性を疑い始めていた。


 数日間、清隆はいくつかの商人の屋敷に忍び込み、ついでのその家の娘と寝所を共にするという”日常”を行っていた。

 やがて共藍の街に”美貌の盗賊が現れた”という噂が広まってきていた。

「それにしても、この街は大した豪商がいないな」

 茶屋で茶を啜りながら、ひとりごちる清隆。

 共藍は辺境とはいえ郡都である。

 大きな街には欲の皮の突っ張った狐狸のような商人が何人もいるものだが、この共藍にはそのような者はあまりいないらしい。

「ちょっと前まではいたんですけどね」

 清隆に声をかけてきたのは、茶屋の看板娘である。

「前の共藍商会長はもうまさに”豪商”って感じの人だったんですよ。まあ商会長本人よりも、その取り巻きの方が威張り散らして迷惑していたんですけどね。でも、商会長が今の太守に悪事を暴かれて、みんなまとめて失脚しちゃったんですよ」

「そうなんだ。詳しいね、お嬢さん」

 清隆が振り向いて笑いかけると、娘は僅かに頬を染めた。

「ゆ、有名な話ですからね。太守がこの街に着てから、共藍商会の商人は威張らなくなったし、人が増えてお店も繁盛するようになったし。県城の方向には足を向けて眠れませんよ」

「へえ、いい太守様なんだね。それに相当な美貌という噂も聞いたけど」

「ええ! それはもう! あ、でもお客さんも負けてないですよ」

 途端に興奮したように娘の語気が強くなる。

 美貌という噂は間違いないのだろう。

「それは嬉しいな。どうだいこの後……」

「おおい! ねえちゃん! こっちにも茶を持ってきてくれよ!」

 清隆が娘を口説こうとした言葉をさえぎるように、別の客の大声が店内に響き渡った。

「はあい、ただいま! ごめんなさい、お客さん。また後でね」

 慌てて声の方へ小走りで去っていく娘。

 その背中に手を振る清隆は、内心でため息を吐いた。

――粗野で美しくない声だったな。美しい男は焦ったり慌てたりしないものさ。

 それが清隆の信条である。

 ゆったりと茶を啜りながら、今後のことに思考を巡らす。

――噂は本当らしいし、やはり一目見てみたいな。

 しかし太守ともなると、そう簡単に会えるものではないだろう。

 何かの式典でもあればいいのだが、あまり長く滞在していると”路銀を借りた”相手である豪商たちが返済を迫ってくるかもしれない。

――やはり県城に忍び込むか。

 県城に忍び込み財貨を借りてくるのは、他の地域でもやってきたことだ。

 ついでに太守の顔を盗み見て行くくらい、なんでもないだろう。

「やめてください!」

 黙考する清隆の意識を、先ほどの娘の悲鳴が引き戻した。

「いいじゃねえかよ。仲良くしようぜ」

「いやっ!」

 粗野で美しくない男が、嫌がる娘の腕を掴んで引き寄せようとしていた。

「やめてくれ! 私の娘に乱暴しないでくれ!」

「うるせえ!」

 店主が娘を助けようと間に割って入ろうとするが、大柄で筋肉隆々なその男には敵わず突き飛ばされてしまう。

 他の客たちは恐れをなして誰も近付こうとしなかった。

――やれやれ、どこまでも美しくない男だな。

 ゆっくりと立ち上がり、騒動の中心へ歩いていく清隆。

 そのあまりに穏やかな挙措に、接近に気付いた男も怒鳴るのを忘れて見入ってしまう。

「嫌がっているじゃないか」

 そのまま清隆が男の腕を掴むと、次の瞬間には娘は解放されていた。

 何をされたのかわからない、といった表情で固まる男の肩に清隆の手が置かれると、男の膝が崩れ椅子に座らされてしまった。

「茶を飲むときくらい、静かにしたらどうだい」

「な、何をしやがった」

「別に何も」

 恍ける清隆は、看板娘と突き飛ばされた店主を助け起こす。

「女性には優しくするものだろう。もう大丈夫ですよ」

 爽やかに笑いかけながら、その手はしっかりと娘の手を握り締めていた。

「てめえ! ふざけやがって!」

 我に返った男が、椅子を蹴って立ち上がる。

 そして怒りの形相のまま、腰に提げた柳葉刀を抜く。

 店内に悲鳴が響いた。

「こんなところで抜くんじゃないよ。店の迷惑になるから外へ出よう」

「逃げるんじゃねえぞ」

「逃げる?なぜ?」

 清隆はまたも不敵な笑みを浮かべ挑発的な言葉を口にする。

 二人が店の外へ出ると、騒動は周囲へ広まっていたらしく既に野次馬の輪が出来上がっていた。

「おい、大丈夫なのか、あの青年は」

 野次馬の中から清隆を心配するような声が聞こえる。

 やや長身ながらどちらかと言えば細身の清隆に対するのは、大柄で見るからに筋骨隆々の大男。

 男の手に握られているのは、大きく重そうな柳葉刀に対し、清隆が腰に佩く刀も比較的細身の部類に入る。

「さあ、刀を抜け」

「必要ないな」

 柳葉刀を構えながら男が言ったが、清隆はまるで構える様子を見せない。

「ならば死ね!」

 男が激昂して斬りかかった。

 一気に距離を詰め、柳葉刀を振り下ろす。

 その柳葉刀に引き裂かれる直前に、清隆は横へ一歩飛び退き避ける。

 立て続けに竜巻のように振り回される柳葉刀を紙一重で避け続ける清隆。

「てめえ! やる気あんのか!」

 いつまでも避け続けるだけの清隆に、男が苛立った声を上げる。

「ははは、それはこっちの台詞だな。さっきからちっとも当たらないじゃないか」

 清隆は挑発的な発言を止めない。

「死ね!」

「聞き飽きたよ」

 清隆は完全に冷静さを失った男の柳葉刀を避けると、男の懐に潜り込む。

 男の鳩尾に、清隆の肘が突き刺さっていた。

 その衝撃に呻き声を漏らす男を、清隆が背負い上げるように投げ飛ばす。

 男の身体は宙を舞い、路傍の樹に激突した。

 自分より大きい相手を投げ飛ばした清隆に、野次馬の輪から歓声が上がる。

「刀ってのは、こうやって振るものさ」

 起き上がろうとする男に近付きながら、清隆がついに刀を抜いた。

 しかし、その刀を抜いた瞬間を確かに目撃できていた人物がいただろうか。

 野次馬たちの目には、いつの間にか樹に食い込む刀が映るばかりである。

「後ろの木に感謝するんだね」

 男の目の前には、清隆の刀が陽光を反射し輝いていた。

 街路樹に止められなければ、清隆の刀は男を両断していたことだろう。

 もちろん、清隆は街路樹の存在を承知で刀を抜いたのだが。

――こんな美しくない男の血で刀を汚すのは惜しい。

 誰の目にも清隆の勝利は明らかだった。


「そこまでだ!」

 清隆が刀を鞘に納めたところで、野次馬の輪から若い男の声が聞こえた。

 声の方向に目をやると、輪の一部が欠けており、そこに美貌の青年と精悍な顔立ちの大男が立っていた。

 その正体を野次馬の声が教えてくれた。

「太守!」

 弦国第三皇子であり共藍太守でもある、煌琉その人だった。

 隣にいるのはその腹心であり、共藍最強と名高い郭戒燕であろうか。

「こんな街中で刀を振り回すんじゃない」

 叱責するかのような言葉を発するものの、その語気には清隆を咎めるような色は感じなかった。

 ことのあらましは把握しているのだろう。

――これが噂の……。

 琉を実際に目の当たりにした清隆が納得の表情を見せる。

 ”美貌”という噂に間違いはなかった。

「引き分けだな」

「うん?何か言ったか?」

「いえ、なんでもございません」

 その皇子は、清隆が見てきた男の中で、清隆自身と並び最も美しい男だった。


清隆のお話はまだ続きます。

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