董志道
第三章は琉以外の登場人物が中心になります。
今回は志道です。
董志道が煌琉に初めて出会ったのは姜涼族を征伐する遠征の軍中だった。
志道が所属する部隊を率いたその人は、宮中において軽んじられている不遇な皇子である、という噂は聞いていた。
しかし、平民である志道にとってそんなことは関係のないことである。
――閭長としての自分の職分を全うするだけだ。
部隊に与えられた任務は山中を行軍し、敵の後背を突くこと。
その行軍中に事件は起きた。
張屯長が軍令違反で斬首されたのだ。琉への嫌がらせとして、行軍の遅延行為を行っていたのだという。
同僚である閭長や直属の上官である呉屯長は、琉に対する恐怖を口にしていた。日ごろ迫害されていることの憂さ晴らしなのではないか、と。
しかし志道にとっては、そんな同僚たちの反応の方が不思議だった。
――軍令違反を犯したのならば、斬首されたとて不思議なことは何もないではないか。
信賞必罰は組織を運営する上で最も重視すべきことの一つである。
むしろそれに疑問や恐怖の念を抱く同僚たちにこそ微かな怒りを覚えるほどである。
琉は斬首した張屯長の代役に名乗りでる者を求めたが、同僚の閭長たちはやはり誰も名乗り出なかった。
志道はその求めに応じ名乗りを上げた。この好機に飛びつけない惰弱な連中より自分が名乗りを上げた方が良い結果になる、という自信があった。
「名はなんという」
「董志道」
「では董閭長、お主は今から董屯長だ」
些かの迷いもなく、琉はそう宣言した。それにはさすがに驚きを隠せなかった。
志道は自身の能力には自信があった。剣を持てば、武勇無双とまでは行かずとも常人以上の腕前であると自負していたし、斥候能力においては自分より勝るものなど存在しないとさえ思っていた。
しかし子供に見紛うほどの矮小な体躯と極端に寡黙な性格から、能力に見合う評価を受けたことがなかった。
琉はその見た目に捕われず、自分を用いると即断したのだ。
もちろん琉は志道の能力がどれほどかを知る機会はない。能力が評価されたわけではないということは理解していた。
「頼んだぞ、董屯長」
それでも期待に背くわけにはいかない、という想いが志道の力になった。
そして自身の斥候能力の高さを活かし皇子の期待に応え、敵の別働隊を撃破に大きく貢献した。
しかし志道は自身の働きは地味であると自覚していた。
斥候・索敵の重要性を認識する将は多かれど、その成果に大きな評価を下す者は多くない。初陣の皇子ならばなおさらだろう。
戦功第一として最大の褒詞を与えられるのは、皇子の腹心であるというあの猛将郭戒燕に違いない、と思っていた。
「戒燕! 董屯長! よくやってくれた!」
しかし皇子の口から発せられたのは、敵将を生け捕った腹心に対するものと同等の褒詞だった。
――不思議な人だ。
貴族の子弟が将として率いる部隊に志道が属したのは初めてではない。
彼らの多くは傲慢であり、配下の将士に対する気遣いを持つ者はほとんどいない。たかが閭長風情に直接褒詞を下す人物など皆無だった。
戦功を挙げれば自身の功績として、戦功を挙げられなければその責は部下である将士に。
それが貴族や皇族というものだと思っていた。
――こんな皇族もいるのだな
こんな皇子が皇帝になればこの国はもっと良くなるのではないか、という思いが志道の心に芽生え始めていた。
杞小燕は家の門前で近所の子供たちがなにやら騒いでいる声を聞いた。
姜涼族との戦に勝利し、玄安に凱旋して数週間経っているが、玄安は未だ初陣で大功を挙げた皇子・煌琉の話題で持ち切りだった。
「また子供たちに囲まれてしまいましたか」
疲れた様子で帰宅した夫の志道を迎え、労いの言葉をかけた。
志道がその皇子の部隊で兵を率いていた、ということも既に近所中に広がっていた。
琉は近所の子供たちにとって英雄のような存在になっており、その琉を助けたという志道は好奇の対象であった。
黙って頷く志道に、小燕はクスクスと小さな笑い声を上げる。
「近所の子供たちの中では、もう貴方は殿下の子分ということになってしまっているそうですよ」
「志姫か」
志道が挙げた名は二人の娘の名である。数年後に笄礼を控えた一人娘は、父に似ず明るく活発な少女だった。
噂を流している主は娘なのではないかと言う志道だが、小燕は否定も肯定もしなかった。
「さあどうでしょうか。でもその噂が事実なのであれば、一番喜ぶのはあの子でしょうね」
それは有名な美貌の皇子に近づけるかもしれない、という年頃の娘ならではの想いからではない。
処世術に疎いがために不遇な評価を受けている父が、ようやく陽の目を見ることになる、ということに対する喜びからであろうことを小燕は理解していた。
しかし志道が琉に従ったのは、たまたまその軍中における配置がそうなったからに過ぎず、志道が琉の直接の臣下になったわけではない。軍中で屯長代理として働き功績を挙げたため、凱旋後に正式に屯長へ昇進を果たしたが、琉と関わって受けた恩恵はそれだけだった。
しかし小燕は娘を立派に育て上げることができれば、他に多くは望んでいなかった。
多くを語らぬ夫も同じ想いであることは、長らく支えてきた小燕には解っている。男児に恵まれなかったため、できれば婿を迎えて董の名を残したいという程度であろう。
――噂の熱が治まるまでは、この賑やかさを楽しみましょう。
外から聞こえる子供たちの喊声を聞きながら、小燕はまたクスクスと小さな笑い声を上げた。
「母上!大変!」
董志姫は慌てた様子で戸を開け放ち、部屋へ駆け込んだ。
「あっ、父上もお帰りでしたか」
部屋に志道が座っていることを認めると、取り繕うかのように静かに戸を閉めた。父の顔は「はしたない」と叱責をするときの顔だった。
「どうしたの、騒々しい」
小燕も奥から出てきた。小燕は口では嗜める言葉を紡ぎつつも、その顔は穏やかな笑顔が浮かんでいた。
「何が大変なの?」
「あっ、そうでした。間もなくお客様がこちらにおいでになります」
「お客様?何も聞いていないけれど……」
小燕は後ろの志道に振り返るが、志道も心当たりがないと首を横に振っていた。
「いったいどなたがいらっしゃるの?」
「皇子様です!」
目を輝かせて高らかに宣言する志姫。
両親は”驚き”を絵に描いたような表情で固まっていた。
志道の心にまず浮かんだのは「どの皇子か?」ということだった。
皇子と言っても、弦には皇子は四人いる。
志姫の興奮した様子は、不安や不思議以上に喜びが大きい。となれば、やはり噂の皇子、即ち先日指揮を仰いだ煌琉殿下か。
次に浮かんだのは「何の用で?」ということだったが、これは皆目見当もつかない。
続けて浮かんだのは「なぜ?」だった。
用があれば呼び出せば良い。相手は皇族で、こちらはただの平民なのである。
様々な疑問が湧きあがり、混乱しかけた志道を引き戻したのは、近所の子供たちの喊声だった。
遠くで聞こえていた喊声が一際大きく聞こえているのは、件の皇子が門前まで来たのであろう。
「失礼する。董志道殿の邸宅はこちらで間違いないか」
門の外から聞こえてきたのは、確かに聞き覚えのある声だった。
慌てた様子で小燕が応対に向かう。
訪問してきたのは、間違いなく弦国第三王子である煌琉その人だった。
共連れは戦場でも共に戦った腹心の郭戒燕ただ一人。皇族とは思えぬ身軽さだ。
「突然の訪問で申し訳ない」
部屋に通され、志道の姿を見た琉が発したのは謝罪の言葉だった。
琉は恐縮で平伏する志道を起こし共に着座する。
「実は今日は董殿に相談があってきたのだ」
琉はいきなり本題に入った。
多言を嫌う志道にとっては、長々とした前置きなどは煩わしいと感じるところであり、むしろ心地いいくらいである。
――貴族らしからぬこの皇子の性質なのか、私の性情を理解した上でのことなのか。
続けて琉の口から出てきた”相談”は思いもよらぬことだった。
「私と共に共藍へ来て欲しい」
琉がどこぞの太守となる、という噂は既に志道の耳にも届いていた。それが共藍であると言う。
「どうか、ここにいる戒燕と共に、私を支えてくれないだろうか」
ただの平民に過ぎない志道に対し、弦という大国の皇子が懇願とも言うべき風情で語りかけてくる。
志道は琉の求めに、即座に応じてしまいそうになるのを辛うじて堪えていた。
共藍がどの辺りか、咄嗟には思い浮かばなかった。
玄安の近郊で生まれ育った志道には、それほど馴染みのない土地なのである。
自分の身一つでいいのならば迷いはなかっただろう。
しかし志道には妻子がいる。妻も子も玄安近郊で生まれ育った者であり、当然共藍などという辺境の地に馴染みなどないだろう。
「迷うのも当然だ。妻子のこともある。急いで答えを出す必要はない」
志道に逡巡の色を見た琉が表情を和らげた。
「出立の日取りが決まったらまた答えを聞きに来る」
そう言いながら琉は立ち上がった。やはり長々とした挨拶などは省いて、身支度を整える。
立ち去ろうとする琉を呼び止めそうになる志道。
「お待ちください、殿下」
しかし実際にその言葉を発したのは娘の志姫だった。
「父は既に心を決めております」
「志姫!」
短く叱責の色を含めた声を上げる志道。しかし志姫は止まらなかった。
「父は多くを語りませんが、父のことは家族である私や母にはよくわかります。父は殿下に着いて行きたいと思っております。そうでしょう、母上」
娘の視線を受ける小燕は穏やかに微笑んでいた。
「そうですね。殿下へのお答えに、時間を頂く必要はないでしょう」
小燕も志姫も既に共藍へ行くと決めているようだった。
「良いのか」
琉の顔には若干の戸惑いが浮かんでいた。
「良いのです。夫が決めたことに、妻は従うだけですから」
小燕の言葉に志姫も大きく頷いていた。
――私はまだなにも言っていないのだがな……
内心苦笑する志道。
小燕や志姫が志道のことがわかると言ったように、志道にも二人のことはよくわかっている。
こう、と決めたらその意思は決して揺るがないだろう。
それが”志道の気持ちの代弁”として発する言葉ならば特に。
そしてそのような時に、志道の気持ちが妻子の言葉と異なっていたことはない。
「地の果てまでも」
頭を下げながら志道が発した言葉は、忠誠を誓うことばだった。
志道が琉の臣下となった瞬間である。




