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弦月を望む蛟竜  作者: 菅 樹
共藍
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障害

 商人が承服しない、と言った黄郡丞の言葉は、的を射ていたようだ。

 共藍の治水事業を公にすると、すぐに地元商会の長である李氏が反対の意思を告げに琉の下へ現れたのだ。

「殊更に何かを変えるつもりはない、というお言葉は偽りでございましたか」

「今のところは、と言ったはずだ。必要だと判断すれば実行する、何もしないことを約束はできないともな」

 要求があるのならば陳情を挙げれば聞く、とも言ったが、今のところ治水に関する陳情は挙げられていない。

「これだけの大きな工事です。民への影響を考えておいでなのか」

「考えている。考えているが、城の中で頭で考えているだけでは限界もあろう。要望があるのならば遠慮せずに言って欲しい」

 治水は共藍全体としては良い結果をもたらすと思っているが、一部の民には一時的にせよ不都合なこともあるだろう。当然、琉はその声を無視する気はない。

「では、申し上げます。治水工事を中止して頂きたい」

「理由を申してみよ。治水は共藍の発展のために必要なことだと考えている。理由もなく中止するわけにはいかない」

 理由の説明を求められた李氏は一瞬考え、すぐに続けた。

「平常の活動への影響が大きすぎるからでございます」

 工事に関して商人へ大きな注文が入れば、その対応に追われ平常の商いが困難になるというのが李氏の主張だった。

 理由としては不自然なものではない。十分に予想できていたものである。

 それだけに、どこか拭い切れない違和感があった。

――その程度の理由で、なぜここまで反対するのだろうか。

 大きな注文が入り対応に追われると言うのならば、それこそ商人集団である商会の出番というものではないか。商会の存在感が増すことになれば、その長である李氏にとって損になることはないだろう。

「そういうことであれば、治水工事に関する注文は拒否しても構わない」

 もとより無理に押し付けるつもりもない。

「民の生活を邪魔するつもりがないということは、先日も言った通りだ」

 李氏は続けて何かを言いかけたが、結局何も言わずに退出していった。


「やはり反対してきた。しかしその理由は明らかにしなかったな」

 他の者が退出し衛舜と二人きりになった琉は、李氏の反応についての意見を求めた。

 一応の理由は説明していたが、琉はそれが李氏の本心だとは思っていなかった。衛舜もそれに同意を示す。

「何か隠し事があるのは間違いないでしょう」

 それが初めて会った時に賄賂を使ってまで通したかった望みなのだろうか。

 琉らは、そもそもこの治水において最も利を得るのは商人たちだと考えている。

 確かに工事に関する注文が負担になる可能性は十分に考えられる。しかしそれは一時的なものであり、当然その負担に見合った対価は得られる。売り上げが増えて喜ばぬ商人はいない。

 何より大きいのは安全に渡河できるようになるということだ。

 南江以南は大した都市や集落はなく、弦国の勢力圏の外には密林と山脈が広がっている。

 しかしそれを越え、さらに南西を目指す商人がいるのだ。

 その先には南方の大国、衆南国(しゅうなんこく)がある。

 衆南国は弦にとって、弧国、大陸西部諸国と並ぶ重要な交易相手だ。

 通常、衆南国へは、南江下流の偽海へ注ぐ河口付近の港湾都市である業湊(ぎょうそう)を経由する。業湊は弧国や偽海南方の小国群との交易も盛んであり、弦国内では玄安に次ぐ賑わいを見せる大交易都市だ。

 そしてこの共藍にも衆南への交易路が存在する。

 業湊経由の交易路に比べ中継地となる集落等は少なく、道もあまり整備されていない山道が多いため難路であり、利用する者は少ない。琉も衛舜に教えられるまではその存在すら知らなかったほどである。

 しかし玄安への輸送ならば業湊を経由するよりも距離は短く、時間的にも早く着く可能性が高い。

 南江を治め、安全に渡河することができるようになれば、共藍は交易の中継地として更なる発展が見込めるだろう。

 当然その主役となり、多くの利を得るだろう存在が商人たちなのだ。

「李氏が治水に反対する理由を考えても、明確な答えはでないでしょう。それよりも注文拒否を認める言質を与えてしまった以上、商会に属する商人たちを治水に関わる品の調達には使えなくなると考えねばなりません」

 そうなると商会に属さない商人を使わねばならない。衛舜を紹介した周氏もその一人だ。

「周氏とは連絡がとれるだろうか」

「あの男はなにかと謎の多い人物でして、こちらから連絡する術はないのです」

 以前から景家を出入りしていた商人だが、訪れる頻度も一定ではなく、どの辺りを拠点に活動している商人なのかも判然としない。

 しかし何故か家に不足の物があると、見計らったかのように現れるという。

「案外すぐに現れるのではないでしょうか」

 琉が周氏に初めて会った時も、突然現れて琉の欲していたものを紹介していった。

――そういえば衛舜を紹介してくれた礼もまだしていないな。

 「人物」を求めた琉の注文の代金としていくらかの銭を支払おうとしたが、「まだ納めてもいない商品に対する代金を受け取るわけにはいかない」と断られていた。

 衛舜に会い、臣下にするに足る人物でなければ代金は受け取らないということだろう。当然、琉は十分な代金を支払うつもりでいる。

 しかし連絡が取れない以上、衛舜の言葉を信じて彼が現れるのを待つより他はなかった。


 治水工事の第一歩は工事資材の調達である。

 地元商会の協力が得られないため、それを商人に頼ることは難しいが、元々全てを商人任せにするつもりはなかった。可能な限り自力調達をしなければ、資金はいくらあっても足りない。

 自力で山に入り、木材や石材を切り出して来なければならない。

 現在琉が自由にできる労働力は大きく二つ。

 一つは罪人に課す労役である。

 罪人に対する処罰も太守の権限である。しかし共藍には、現在それほど多くの罪人はいない。

 もう一つは共藍に属する兵士である。

 郡に属する兵を指揮する権限は都尉という官が持つが、多くの場合その郡の太守が兼任する。共藍においてもそれは例外ではなく、琉は共藍の兵を動かす権限を持っている。

 当面は街の警備などの通常任務に就く兵以外は可能な限り動員し、工事を進めなければならない。


 問題はすぐに発生した。

「襲撃、だと?」

 木材を切り出しに山に入っていた部隊からの報告である。幸い僅かな怪我人だけで済んだが、折角伐採した木材を全て焼き払われてしまったという。

「何者だ」

「わかりません。突然出現し、木材を焼き払うと煙のように消えてしまいました」

 襲撃された位置を確認すると、すぐ近くに南江の支流のひとつである丁水のすぐ近くだった。

 それを確認すると、黄郡丞が口を開いた。

「河賊の仕業ではないかと」

 黄郡丞の話では、ここ数年共藍周辺の南江やその支流で衆南との交易のため渡河する商人を襲って金品を強奪する河賊が出没するのだという。河賊が出没するようになってから、共藍経由で衆南と行き来する商人は更に減っているらしい。

「しかし金品も持たぬ部隊を襲撃して、やったことは木材を焼いただけとは……」

 琉らにとっては損があるが、河賊側に得はない。つまり、明確な妨害行為に他ならない。

「河賊にとっては、治水は不都合なことなのでしょう」

 治水の完成に伴い共藍に港ができれば、警戒の水軍も素早く対応に出ることができるようになり、河賊も活動が難しくなる。

 今回の襲撃で被った被害は大したことはない。当然これだけで妨害行為が終わることはないだろう。実際の工事が始まれば、作りかけの堤を直接破壊しに来ることも考えられる。

 それに一々対応していても神経と労力を無駄に削るだけだ。

「憂いは早めに断つ。河賊討伐を行うぞ」


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