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傍観者ではいられない!  作者: ぽぽりんご
第一章 リー・リノ編(わいわいがやがや風味)
12/51

幕間劇 約束

2015/6/7

プロローグをここに移動しました。

ここに入れると話がぶつ切りになるけど、この後の2話がプロローグ読んだ後前提のままだったのでとりあえずここで。


◇◇クーの回想◇◇

 

 

 私はかつて、リノのいた世界に飛ばされた事がある。

 幼馴染と一緒にVRMMOをしていたら変なシャボン玉みたいなのに襲われて、気が付いたら異世界の荒野に二人で放り出されていたのだ。

 

 唖然としたよ。

 気づいたら見渡す限りの荒地、しかもログアウトできないと来たもんだ。

 一人だったら錯乱していたかもしれないな。

 

 

 ……ああ、幼馴染といっても残念ながら男だ。そして私も一応は男だ。

 物語にありがちな「幼馴染の美少女と一緒に異世界チート」なんてものはなかった。

 レベルだって一桁だったし。

 

 ただ少し付け加えるなら、私はVRゲームの経験などなく。そもそもVR端末自体も持っていなかった。

 なのになぜVRMMOをしていたのかと言うと「すげーリアルなんだぜ、一回体感してみろよ!」との幼馴染――ハルトの誘いに乗ったからだ。

 そしてハルトの妹である椿の端末を借り、椿()()私用に作ったアバターを使ってログインしていた。

 

 

 結果、何が起こったか。

 

 

 女性アバターのまま異世界に放り出されました。

 

 

 ……ええー。

 

 

 

 結構軽い感じで話しているが、いろいろと大変だった。いや本当に。

 まぁそれ以上に大変な事が山積みだったから、女性化した程度の事に構っている暇はなかったけれど。

 

 その世界には魔王がいて、魔物がいて。そして人々は常に魔物の脅威にさらされている。

 しかもリアルすぎる上に、負傷したら死ぬほど痛い。

 

 最初は、戦おうだなんて全く思わなかった。

 武器を振り回して魔物と戦う? 冗談じゃない。

 

 私だけじゃない。調子のいい事を言っていたハルトだって、本気でそんな事を考えてはいなかった。

 

 でも、その世界で生きる以上。

 傍観者のままで、居続けられるわけがなかったんだ。

 

 

 

 これから話すのは、異世界での旅の結末。魔王を倒した後のお話。

 そして、私の次なる戦いの始まりの物語。

 

 私はハルトや椿のようなユーモアセンスの欠片もないので、人に聞かせるような楽しい話し方はできないかもしれない。

 それについては申し訳ない。許してくれ。

 

 では、私の目的。

 親友との約束についてお話しよう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 鬱蒼とした森の中。本来なら道などないはずの場所。

 そこを私達は悠々と進んでいた。

 

 魔王城に乗り込んで魔王をぶっ飛ばした後、調子に乗った魔法使いが祝砲だと叫んで魔法をぶっ放したのだ。

 その結果、魔王城から森の中程まで馬車でも通れるほどの道が一直線に続いている。

 おかげでテントを張るのも随分楽だ。

 魔王城まで来る途中は森の中でテントを張るだけで随分と骨だった。

 なんせ、開けた場所も平らな場所もろくに無かった。

 毎度のごとく私が槍を振り回して木々をぶった切り、最後に魔法使いが地面を押しつぶして整地をしていたのだ。

 

 薪を集め終わったところで腰を着いて一息つく。薪集めはジャンケンで負けた二人が担当する事になっている。つまりは私の事だ。

 

 と、遠くからわずかに鈴虫の鳴き声が響いてくるのに気づいた。もう随分と涼しくなっているというのにまだ活動している奴もいるようだ。

 風情があるようにも感じるが、鈴虫の鳴き声は求愛のためのもの。つまり、今鳴いている奴は相方が見つからず売れ残っている奴という事になる。うむ、別の意味でしんみりとしてしまいそうだ。私もこの体のままだと同じ結末にたどり着いてしまいそうだからな。

 

 いや、ある意味女の子達にちやほやされたりはするんだけど、私の望んでいるのとは違うというか。

 お姉さま呼ばわりされたいわけではないのだ。なんというかもっと、にゃんにゃんしたいのだ。男と女の関係になりたいのだ。

 

 

 憂鬱な気分を無理やり押さえ込みつつ上空を見上げると、月が天高く登っているのが見えた。

 夜空は無数の星々で埋め尽くされていた。今でこそすっかり見慣れてしまったが、日本に居た頃には見たことも無いほど綺麗な星空だ。もし日本に帰ったのなら、こんな空を見ることはもう敵わなくなるのだろうか。

 そう考えると、なんだか目の奥が熱くなってくる。憂鬱な気分を無理やり押さえ込んだら別ベクトルでしんみりした気分になってしまった。いや、日本に帰る手段なんてまだ見つけていないけどさ。魔王を倒すという大きな目的は達成したのだ。次なる目標に目を向けたって、いいじゃないか。

 

 私の隣では、同じく薪集め係を拝命したハルトの方も夜空をぼんやりと見上げていた。

 わずかな月明かりの中、静かに佇む男の横顔は輝いて見える。

 ずいぶんと絵になる男だ。巷では黒衣の勇者と呼ばれ、うら若き乙女達の心を乱しているらしい。私と同じくネットゲームのアバターの姿をしているため、外見そのものは確かに超絶美形ではあるが……それだけが理由ではないだろう。

 何をしても、なんだか妙に様になってしまう男なのだ。そういう所が人を引き付けるのだろうか。

 

 これでちゃんと薪拾いをしてきてくれてたら何もいう事は無いのだが。

 堂々とサボりやがって、後でどつき回してやる。

 

 私がガルルと牙を向いて恨みがましい視線を向けると、ハルトの方はやや目を背けながらようやく薪拾いを始めつつこちらに声を掛けてきた。

 

「おい、格好が無防備すぎるぞ。またロッドに求婚されたいのか」

「今更だな……もう慣れた」

 

 私は遠い目をしながらハルトの言葉に返答する。

 今の私は、タンクトップにホットパンツという出で立ちで胡坐(あぐら)をかいて休息を取っていた。高レベルともなると虫ごときに挿されたりもしなくなるので、森の中でこんな格好をしていても問題ない。社会的にはもしかしたら問題あるかもしれないが。

 

 服を脱ぐのは仕方のない事だ。なんせ、薪を一気に集めるために枯れ木を一本丸ごと切り刻んだのだ。槍を振るった回数は数百に及ぶだろう。おまけに私の装備は毛皮満載のもこもこアーマーなのだ。対魔王戦のため、普段の使い勝手を無視した最強装備を選んできた。いくら涼しい季節になってきたからといって、着たまま運動したらめちゃくちゃ暑い。汗が引くまでの間、少しぐらい涼んだっていいだろう。

 

 それに、悪乗りした女性陣が私に女の子らしい仕草を身に付けさせようと躍起になっているのだ。

 今、女性陣は誰もいない。せっかくハルトと二人きりなのだからリラックスさせてくれよ。

 

 

 ハルトの薪集めが終わるまで、私はぐでーんとだらけた空気を放ちつつ待ちぼうける。夜風に当たりつつ月を眺めながら鼻歌を歌いはじめると、ハルトもそれに合わせて鼻歌を歌い始めた。

 何の気なしに口ずさんだ歌だったが、それは私達が日本にいた頃に流行っていたロックミュージックだった。人生を振り返って、楽しかった事ばかり思い出し、そして笑う。そんな歌。たしか、ハルトが好きな歌だった。というか、超おすすめの曲だからぜひ聞けとハルトに無理やり聞かされていたような気がする。いや確かに良い曲だったけどさ。

 私とハルトは視線を交わし、苦笑する。おそらく、ハルトも私と同じシーンを思い出しているのだろう。

 

 

 

 やがて、曲が終わり。

 深い森の中に静寂が訪れる。

 

 曲が終わってからのハルトはこちらに背を向け、立ち止まっていた。

 いぶかしんだ私が視線を向けてみると、ハルトは顔を伏せて何か考え込んでいるようだった。

 珍しい。即断即決のハルトが何かを考え込むなんて超レアシーンだ。ハルトがこんなに悩んでいたシーンなんて数件しか思い浮かばない。たとえば、カツラがずれているのを指摘しようかどうか悩んでいる時。たとえば、女性の下着が見えている事を指摘しようか悩んでいる時……うん? 

 私は、一応自分の体を見下ろし確認する。大丈夫だ、問題はない。たぶん。

 

 私がせっせと服装を直していると、ハルトの方はせっかく集めた薪をぼろぼろと地面に取り落としてしまった。

 そして、珍しく真剣な表情を浮かべて私の方を振り返る。

 

「俺、覚悟を決めたよ」

 

 唐突に。ハルトはそんな事を言った。

 真面目な話をしようとしているようだ。

 私は気持ちを切り替えて、ハルトの言葉に耳を傾けた。

 

 ハルトの声色を聞いていると、急に不安に押しつぶされそうになってくる。

 初めての経験だ。続きを聞くのが、少し怖い。自分と違う道を選ばれるのが、怖いのだろうか? 一人になるのが、怖いのだろうか?

 

「……俺、帰る事に決めた」

 

 しかし、ハルトの言葉は私の予想とは違うものだった。いや、ある意味予想通りではあったのだが。急に変な事を言い始めるものだから、決意を翻したのかと勘違いした。

 

「びっくりさせるなよ。覚悟なんて言うから、この世界に骨を埋める気にでもなったのかと思ったぞ」

「それも、悪くはないけどなぁ」

 

 ハルトは私の隣に並んで座り、手のひらを天にかざして目を細めた。

 何を眩しがっているのだろう。月? 星空? ……いや、そういう類のものではなさそうだ。昔でも思い出しているのだろう。

 この世界に来てはや十年。楽しい事も、辛い事も多すぎた。どちらかと言うと、辛い事の方が多かったかもしれない。

 

「だがその選択肢は、帰る手段がどうしても見つからなかった時に取って置くよ。正直、この世界に来て五年目ぐらいまでは迷いもあったんだけどな」

 

 ハルトは、自らの心情を吐露する。私も初めて聞く内容だった。

 なんにでも一直線なハルトが、迷っていた?

 ……ハルトだって人間だ。迷うことぐらいあるだろう。だがしかし、私はハルトの言葉を聞いて意外だと感じていた。つまり私は、ハルトの事をちゃんと見てやれていなかったという事だろう。

 

「この世界にも未練はある。だが……やっぱり、向こうに残してきたものが多すぎる事に気づいちまった」

「そうだな。家族とも、友達とももう一度会いたいし……てか、帰る手段が見つからなかったら選択肢も糞もないだろ」

 

 私は内心の動揺を抑えつつ、苦笑しながら答える。

 

「いいや! たとえ選択肢が一つしかなかったとしても、それを消極的に選ぶのは無しだ。俺は望んでその選択肢を選ぶのさっ」

「ポジティブだよなお前は。だから、皆が着いてきたんだろうけど」

 

 勇者なんて称号が似合うのは、こいつぐらいのものだろう。

 たとえどんなに強くたって、私は勇者にはなれない。ハルトのように不安を覆い隠す事なんてできない。勇者は、特別なのだ。

 勇者だってただの人間。でも、人は勇者に夢を託す。希望を託す。勇気を託す。そして託した以上の夢と希望、勇気を返して貰うのだ。勇者が勇者たらんとその役割を全うすれば、人々は熱狂し120%の力を出せる。人々の目にする勇者の姿が、たとえ真実の姿でなかったとしても。

 

 ハルトは勇者の役割を全うした。だが今のハルトは、若干気落ちしているようだった。腕をだらりと下げ、顔を伏せてしまっている。魔王を倒すという大きな目的を達成したが故の、喪失感だろうか。

 

「俺は、お前がいなかったらここまでこれなかったよ」

 

 ぽつりと。

 ハルトはそんな事を呟いた。

 普段の陽気なハルトからは想像もできない、弱々しい口調だった。

 先ほどの決意表明にも増して、唐突な話だ。急にどうしたんだ?

 

「ずっと、礼を言う機会を伺ってはいたんだ。言うなら今だろ? 正直、俺一人じゃ不安で押しつぶされていたよ。お前が居てくれてよかった……ありがとう」

 

 むず痒い言葉を口にするハルトに、私は真面目な言葉を返す事ができなかった。私はハルトのように、酒を飲んでいないのだ。しらふでこんな問答ができるか。

 

「やめろよ、恥ずかしいセリフは禁止だ」

「え、今のって恥ずかしいセリフだったの?」

「断言しよう。お前は明日の朝、顔から火を噴いて悶絶している」

「まじでっ!?」

 

 そんな会話を交わしながら、私達は笑い合った。

 若干ハルトの様子がおかしいとは思ったが、いつもの、なんでもないやり取り。

 

 

 

 それは、唐突に終わりを告げた。

 

 

「さて……元の世界に必ず帰ると決意表明もしたし」

 

 ハルトは腰を上げ、服についた草を払いながら続ける。

 

「お別れだ」

 

 言葉を返せない。

 私は、ハルトの方に視線を向ける。ハルトは腰に下げた剣を遠くに放り投げると、私を見下ろした。

 

「魔王の置き土産か何かかな。さっきから、精神が侵食されているような感覚がする。抑えきれなくなるのも時間の問題だろう」

「……浄化の魔法は? エリザの魔法なら、どんな凶悪な呪いだって打ち消せるだろう?」

「どうも、そういう類のものじゃないらしい……心配するな。こんなもんすぐぶっ飛ばして、元の世界に帰ってやるよ」

 

 ハルトが胸を押さえる。胸からは、黒い霧のようなものがうっすらとにじみ出てきていた。

 歯を食いしばっているからだろうか。口の端からはうっすらと血が滲んでいる。

 ハルトの目は、赤く染まっていた。

 

 

 私は立ち上がり、収納量増加の魔法が掛けられた鞄から槍を取り出す。持ってきた三本の槍の中で、この場に最も適したもの。麻痺の付加効果を持つ攻撃力の低い槍だ。

 

「お前が一人で抱え込もうとするなんて、らしくないぞ。いつものお前なら、皆を巻き込むだろうに」

「……今度ばかりは、どうにかできる気がしなくてな。頼むのも気が引けるというか、なんというか」

 

 私は会話を続けつつも、ハルトの手足に切りかかる。冷静ぶってはいるが、私のはらわたは煮えくり返っていた。せっかく魔王を倒して世界が平和になったと思ったのに、ハルトを失う? 冗談じゃない! 無理やりにでも拘束し、ぶん殴ってでも元に戻してやるつもりだった。

 しかし、私の槍はハルトの周囲に広がった黒い霧に阻まれる。うっすらと広がっていた霧は徐々に固まり、形を成し、やがて闇の衣となってハルトの体を覆いつくした。

 

「やっぱな。今の俺達でどうにかできる類のものじゃないわ、これ」

 

 ハルトは笑いながら、こういった。

 

「すまん。やっぱ俺一人じゃ無理かも。助けてくれ。……こいつをどうにかする手段を、探してくれ」

「……ああ。約束する。必ず、お前を助ける」

「その言葉を聞いて安心したよ。お前は、約束を必ず守る奴だからな」

 

 ハルトは目を伏せた。

 口に呟くのは、呪文の詠唱。よく知っているフレーズ。術式が完成するのに、五秒も掛からない。

 

「じゃあな」

 

 ハルトはそう言い残し、私の前から姿を消した。

 転移の魔法だ。追跡手段は、ない。

 

 

 

 

 

 五分ほど立ち尽くしていただろうか。

 いつの間にか、鈴虫の鳴き声は聞こえなくなっていた。

 いや、それだけではない。木々のざわめきの声すらも聞こえない。風が無いにしても、ここまで無音なのは異常だ。まるで、森が何かに怯えて身を縮こまらせているかのような錯覚を覚える。

 

 私は、頭の上にある獣耳の向きを変えて周辺の状況を探った。

 おかしい。仲間達が酒盛りをしているはずなのに、人の声も聞こえない。あいつらが騒がないはずがないのに。

 

 ひどく胸騒ぎがした。

 私は地面を蹴り、仲間達の所へ向かう。木々が流れるように視界の後方に流れていく。俊敏でしなやかな体は、まさに獣そのもの。夜の森を高速で駆け抜けることすら造作も無い。

 

 

 

 森を抜けてキャンプ地に戻ると、そこにあったのは赤く染まった仲間達の姿だった。

 何故赤いのかなんて考えるまでも無い。

 

 ハルトの事が大好きだと公言してはばからなかった魔法使いは、頭部を失っていた。ハルトと一緒に異世界に着いて行くとまで決意してしまうほど、ハルト一筋の女の子だった。あれほど人が好きになれるのなんて羨ましかった。ある意味、私が憧れていた女性でもある。

 

 私達に旅の仕方を教えてくれた弓使いは、その体を真っ二つに裂かれていた。私達が魔王を倒す旅にでる羽目になったのも、こいつが元凶だ。私達の旅を支え続けてくれた男は、その旅を終えてしまった。

 

 酒が大好きでいつも暴走する重戦士はその体に数十もの杭を生やし、立ったまま絶命していた。いつも私に馬鹿な冗談を言ってくる男だった。もう、こいつの冗談を聞くこともできない。

 

 みんなのお姉さん役だった付与魔術士は、目立った外傷がないように見える……いやよく見ると、その両目が失われていた。虚ろな空洞が、私の方を向いている。私はこの女性によく叱られていた。私は元男だと言っても「だからどうした。今は女だ。だから女性としての慎みを持て」と返してくる豪快な人だった。叱り付けて来るのに、なぜだか不思議と悪い気にならない。そんな人だった。

 

 黒焦げになっているのは、精霊使いか神官か。……いや、両方だろう。炭化し体積を失っているからわかりにくいが、二人分の死体が折り重なっていた。旅が終わったら神官を止め、結婚式を挙げると言っていたのに。二人が式を挙げる事は、もうない。

 

 

 

 苦楽を共にした仲間達は、全員死んでいた。

 

 

 その場に唯一立っているのは、見覚えの無い一人の男のみ。

 凄惨な現場だというのに、男はまるで散歩でもしているかのように気軽に周囲を見回していた。

 体格も重心の運びも申し分ない、かなりの強者。

 作り物めいた美しさの肉体を持つ男ではあったが、視線が合った瞬間にその考えは捨てた。

 黒い泥を塗りたくったような暗い瞳。こんな瞳をしている奴を美しいと思う人間がいるはずがない。悪い冗談のようだ。もはや醜悪だとしか思えない。

 

 男は、暗闇に佇んでいるにも関わらず圧倒的な存在感を放っていた。男から目が離せない。体が震える。その姿を見ただけで死が追いかけてくるかのよう。こいつは人間ではない。魔王なんかより、もっと……

 

「……なんだ。羽虫がまだ残っていたか」

 

 男は気だるげにこちらを一瞥し呟いた。耳にしただけで、心臓を握られたような慟哭。やはりこいつは、人間ではない。

 

 男がこちらに腕を伸ばす。私は、動けない。

 

「散れ」

 

 魔法を放った様子はない。魔力の流れを感じない。

 男はただ命じただけだ。命じただけでそれが現実になる。私は逆らう事もできずに命を散らす。男の言葉には、そう思わせるだけの強さが込められていた。

 

 男の命令に従い、周囲の仲間達から赤い糸のような物が私の方に向かって幾条も伸びる。

 これは、血だ。血の刃だ。

 

 血の刃に体を切り刻まれる瞬間になって、ようやく私の体は自由を取り戻す。

 長年繰り返した訓練の成果だろうか。自分の体に向かってくるものは、無意識のうちに切り払ってしまう癖がついていた。

 魔力を帯びて淡く発光する槍が暗闇に複雑な軌跡を残して周辺を切り刻み、伸びてきた刃を全て霧散させる。

 

「ほう?」

 

 気だるげに、何にも関心を示していなかったその顔に。初めて人間らしい表情が浮かんだ。どうやら、興味をもたれてしまったらしい。

 体の震えを無理やり押さえ込む。

 ようやく頭が働いてきた。強引に喉を動かして、声を絞り出す。

 こいつは、皆を。仲間を。

 

「――戦う前に、一つだけ聞いておこう」

「何だ。言ってみろ」

 

 私の言葉に素直に返答を返す男。

 私は、手に持つ槍を最強の槍に取り替えつつ質問を続ける。

 

「こいつらは、お前が殺したのか?」

「そうだが。見て判らんか?」

 

 至極当然のように男は答えた。

 私も、それ以外の回答が返ってくる事を期待したわけではない。ただ、決意するために確認しただけだ。

 こいつを、殺すと。

 

「そうか、わかった」

 

 私は獣のように姿勢を低くし、槍を構える。

 私の最大の強みである瞬発力を生かした構え。短期決戦だ。ひたすら攻めて、討ち取る。敵の手札が見えない以上、それが最善手。

 

「お前は死ね」

 

 突撃。

 最大速度で一気に飛び出すと、男の喉元に槍を突き出す。男は避けるそぶりすら見せない。

 獲った、と確信した。

 

 しかし、槍は男の喉を貫く事は無かった。

 男の前には六角形の輝く盾のようなものが浮かび、槍の進入を阻んでいる。

 爆発したような音が辺りに響いた。力の激突により押しのけられた空気が、周囲の草木を散らす。槍と盾の境界面では行き場を失った力が暴れまわり、パキパキとまるで空間が歪むような音を立てていた。

 

「なかなかいい攻撃だ。アイギスが軋みを上げるなど、そうそうない事だぞ?」

 

 アイギス……イージス? 神の盾、か。ご大層な名前だが、確かに名前負けはしていない。

 私の神槍を防ぐなど、魔王ですらできなかった事だ。

 

 私は槍をくるりと回して構えなおすと、一瞬で男の脇に回る。幻影魔法を使い、注意を逸らすのも忘れない。男は間違いなく私の姿を見失っている。

 槍を突き上げる。狙いは男の脇だ。自らの体が邪魔となるため、槍の軌道が見切られる事はないだろう。

 

 しかし、六角形の盾が再び出現し、攻撃を弾かれる。

 槍を引き戻しつつ足を払って体勢を崩そうとする。盾に邪魔され、触れる事すら敵わない。試しに軽く手を伸ばして男の体に触れようとしてみる。これも弾かれた。そもそも触れる事すらできないようだ。

 弾かれた勢いを利用して体を回転させ、背中を切り裂く。当然のように防がれる。

 

 男は、仁王立ちしたまま微動だにしていない。こちらの動きを目で追ってすらいない。

 つまり、この防御は自動発動。知覚すらしていない攻撃も防げるという事は、男の意思には関係なく発動しているという事だ。

 

「チェーンバインド」

 

 私は、スキルを発動する。魔力で編まれた鎖が男の体の周囲を舞い、拘束する。

 フェイントの類に効果が無いのであれば、単純に防御範囲を広げてやろうという魂胆だ。

 盾が広範囲に広がれば、私の槍でも貫けるかもしれない。

 

「!?」

 

 魔力の鎖が男の体に巻きつこうとするが、男の体に触れたとたん鎖は砕け散った。

 予想外の事態だ。効かないだろうとは思っていたが、砕け散るとは。

 

 

 私は男から距離をとり、再び姿勢を低く構えて男の様子を伺う。

 

 小細工は通じない。

 なら、自分の持つ最大威力の攻撃を通す。

 

 引き絞った体は力を溜め込み、ギチギチと音を漏らす。

 頭からはアドレナリンがほとばしっている。限界を超えた力を込めているにも関わらず、痛みすら感じない。

 これなら、最高の一撃が放てる。

 

 

 と。

 気づけば、男が目の前に居た。

 

「ぐっ!?」

 

 男が私の首に手をかけ、持ち上げる。

 捕らえられたため、私の最大の強みである機動力を生かせない。

 男が残った方の手で無造作に私の槍を掴んだかと思うと、神槍とまで呼ばれた武具は粉々に砕け散った。

 獲物を失った私はやむなく男に蹴りを放つが、当然のごとく現れた六角形の盾に防がれる結果を生んだだけだ。

 

「何をいきりたつ必要がある? この世に巣くう生命など、所詮は神々が戯れに作った退屈しのぎのための道具。仮初めの体を持つお前も私と同類であろう。お前も理解しているのではないか?」

「黙れ」

 

 聞きたくない言葉だ。考えないようにしていた事柄だ。

 私は、声を絞り出す。喉を掴まれているとはいえ、完全に気道を塞がれたわけではない。かすれる様な弱々しいものではあるが、私は必死に声を上げた。

 

「私は、人間だ。この世界にいる皆も、同じ人間だ。みんなと一緒に過ごして、旅をして、飯を食って、いろんな話をした」

「だが、所詮は一時の夢。瞬く間に散り行く定めよ。運命には抗えぬ」

「運命、だと……?」

 

 私は、男の手に爪をつきたてる。

 私に触れている部分には、あの盾が出現しないだろうと思ったからだ。

 だが逆に血を流したのは私の指の方だった。

 

「お前が殺したッッ!」

 

 私は、声を張り上げる。

 私には、それしか出来ない。

 私一人では、こいつには勝てない。

 

「くく、ヴィクターめ。一人で済むものを何故二人も呼び出したのかと思えば……なるほど、これは確かにいい余興になる。魔の王風情より、よほどいい」

 

 体に強い衝撃が走る。そして、酷い喪失感。

 視線を下げると、男の腕が私の胸を貫いていた。

 心臓が失われ、隙間からは止め処なく血液があふれ出す。

 ごふりと音を漏らしながら、口から血を吐き出した。

 致命傷。回復不能。つまり、私は死ぬ。この男に、なんら痛痒を与える事すらできずに。

 

 せめてもの抵抗とばかりに、私は男の顔を睨み付けた。

 男は笑っているつもりなのか。口の端を歪にゆがめ、私の耳元まで顔を寄せて語りかけてきた。

 

「踊れよ道化。踊り続けねば、一矢報いる事すら叶わん……お前が戻ってくるのを、楽しみにして待つとしよう」

 

 それだけ言うと、男は無造作に私の胸から腕を引き抜く。

 血が噴き出し、暗い森と仲間達の死体を汚した。

 

 首を掴んでいた手も離され、支えをなくした私の体は無様に地面に崩れ落ちる。

 視界が暗い。

 手足の感覚がない。

 体が重い。

 

 

 まるで、眠りに付くかのように。

 

 

 私はこの時、確かに一度死んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 目を開けると、真っ白な閃光が目を焼き思わず目を閉じる。

 しばらくしてからゆっくり目を開けると、やけに白い部屋が目に入った。

 

 白い壁、白いカーテン、カーテンから透けて見える太陽、壁には時計、天井には電気式の照明灯。

 車の走る音、エアコンから風が吹き出る音、消毒液の匂い、少し汚れた空気。

 俺が横たわっているベッドの脇の台には新聞が広げられており、その脇には電源の付いていないテレビが置いてある。

 手を伸ばしてカーテンを開けると、空に飛行機が飛んでいるのが見えた。

 ここは、病院か。

 

 私は――俺は? 

 

 自分の体に、酷く違和感がある。長い夢から覚めたばかりのような、意識の混濁。

 俺は手をゆっくりと上げて、自分の手のひらを見つめてみる。

 見慣れた手ではない。いや、見慣れてはいたはずだが……今となっては懐かしいという感傷の方が強い。

 

「生き、てる……」

 

 懐かしい、自分の声。

 今までの、誰だお前と言いたくなるような可愛らしい声ではない。

 

 俺は上半身を起こした。まるで鉛のように体が重い。長時間プールに入ってから地上に這い上がってきたときのようだ。

 体の状態をモニタしているのであろうコードを無造作に引き剥がす。一緒に点滴の針も引き抜いてしまったのか、腕にわずかな痛みが走った。

 

「戻ってきた……のか?」

 

 それとも、ただの夢? ……どっちが?

 ふらつきながらもベッドから這い出て立ち上がり、傍にあった棒を手に取った。

 棒は、ベッドを仕切っているカーテンを引っ掛けるためのものだろう。槍に比べると細すぎるが、槍と同じような握りが出来ないほどではない。

 

 俺は、新聞紙の一枚を放り投げる。

 ばさりと音を立て、新聞紙は空中に広がった。

 

 くるりと回しながら棒の感触を確かめると、そのままの勢いで新聞紙に三度の斬撃を叩き込む。

 棒に右手を添えて回転を止めると、今度は連続で突き出した。そして槍を回しつつ引き戻して脚を一歩引き、再び槍を突き出せる姿勢でピタリと静止する。

 

 新聞紙が地面に落ちる。

 新聞紙は六分割にされた上に、その全ての中央に小さな穴を空けられていた。

 体が重く思い通りには動かないが、これぐらいならこの体でもできるようだ。

 十年もの間、ずっと振るい続けてきたのだ。槍の扱い方は、魂に刻み込まれている。

 

「夢じゃ、ないのか」

 

 俺は、どさりと無様にベッドの上へと倒れこんだ。

 

 

「空也さん!」

 

 と、少女が病室に駆け込んでくるのが見えた。活発そうな女の子。その声を聞いた瞬間、俺はなぜだか泣きそうになった。ひどく、懐かしい声。

 

「……君は」

 

 ハルト――春斗の妹、椿。10年ぶりに会う、大事な人。

 

 椿はベッドの上に横たわった俺にすがり付くと、そのまますすり泣きはじめた。

 

「よかった……もう十日も目を覚まさないから、このまま目を覚まさなかったらどうしようって……怖かったんだからぁ!!」

「……十日?」

 

 俺は椿の頭を撫でてあやしながら話を聞きだす。

 昔の俺なら、こんな事できやしなかっただろう。

 だが、この十年間。泣いている人を見ることが、多すぎた。

 

 椿の話によると、俺と春斗は十日前からずっと眠り続けていたらしい。

 精密検査の結果は、異常なし。起きない原因は不明だった。

 

「でも良かった。空也さんが無事で……あ、空也さんが目を覚ましたって事は、お兄ちゃんもきっとすぐに目を覚ますよね」

「……そう、だな」

 

 俺は、それ以上言葉をつむぐ事ができなかった。

 

 


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