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ユリカと学校

 授業も終わった。学校から解放された生徒たちが足取りも軽く教室を出ていく中、相変わらずユリカちゃんは自分のペースで帰り支度をしている。俊輔がそれを尻目にノート整理を進めていると、担任の先生が教壇から手を上げた。

「おーい、遠野。暇か?」

間延びした声で問われて俊輔は首を傾げた。

「えっと……やることがないって意味では暇じゃないですけど、取り込んでるかって意味なら暇と言えば暇です。どうかしたんですか?」

俊輔がシャーペンを置いて立ち上がろうとすると先生は首を伸ばすようにした。

「あ、勉強中か。ならいいや。――坂崎」

先生は俊輔の斜め後ろのユリカちゃんを呼ぶ。ユリカちゃんは不思議そうな顔を上げた。その顔に担任は意地の悪い笑みを浮かべた。

「ちょーっと先生の手伝いしないか?」

にやにや笑う先生の顔を見て、ユリカちゃんはかすかに眉をひそめた。

「時間がかかる手伝いならしませんよ。弟が待ってるので」

わずかな警戒心に似た声に先生はにっこり笑う。

「おう。弟思いの優しい子だもんな、お前は。もちろんそう時間はかからないよ。ちょっと資料室から机を十個ばっかり玄関まで運んでもらうだけだ」

俊輔は思わずユリカちゃんを振り返った。

「いいよ、女の子にはきついし。俺がやっておくよ」

俊輔の言葉にユリカちゃんはピクリと眉を動かした。何か気に障ったことでも言ったかと身構えたところで、ユリカちゃんは腕を通していた鞄を机の上に下ろした。

「学年トップは勉強頑張って。私は先生の好感度を買う」

俊輔には目もくれず歩いていく。俊輔は焦ってその背中に声をかけた。

「だ、だからそれ前回のテストの話だってば」

ユリカちゃんはぱっと意外そうな顔で振り返る。夕日が白い鼻にかかって通った輪郭を際立たせた。

「『だから』って、遠野と話したの今日が初めてじゃん」

驚いたような声に瞬く。確かに自分の言い回しがおかしかったこともあるが、それよりもユリカちゃんが俊輔の名前を覚えていたことの方が意外だった。それとも、さっき先生が呼んだ一言を覚えていたのだろうか。驚いたまま固まっていると、ユリカちゃんはさっさと先生の後をついて教室から出て行ってしまう。呼び止める間もなかった。

 それからユリカちゃんが教室に戻ってきたのは二時間ばかり後のことだった。いい加減外も暗くなり始めていて、俊輔も集中力が切れ始めていた。ユリカちゃんは上機嫌の先生を伴って教室に戻ってくるなり、俊輔の顔を見て妙な顔をした。

「まだ残ってたんだ。秀才くんはさすがに違うね」

ユリカが言う。

「坂崎さん、そういう嫌味やめてよ」

俊輔が思い切り顔を顰めると、ユリカちゃんは軽く笑った。

「相変わらず面白い反応するね、遠野は」

後ろからついてきた担任も意地の悪い笑みを浮かべた。

「どうせ反応が面白くてからかってるだけだろ。わざわざ相手してやるお前が悪い」

二人してにやにや笑われて、俊輔は鼻にしわを寄せて黙り込む。それを見ているのかいないのか、ユリカちゃんは机の間をすり抜けて自分の席へと向かいながら先生を振り返った。

「二時間かかる手伝いが『そう時間はかからない』と言える先生は、普段からたいそう優雅な時間を過ごしているんですね。うらやましいです」

ぎくりとして思わず俊輔が先生を見ると、先生は教卓の椅子にふんぞり返った。

「俺は遠野とは違って、からかわれたくらいじゃ反応しないぞ」

「これは嫌味です」

すかさずユリカちゃんが言う。先生は気にも留めずに笑った。

「でも助かったよ。坂崎が手伝ってくれたから」

ユリカちゃんは教材を鞄の中に詰め込む。手伝う前にやりかけだったらしい。

「そうですね。机に資料に運ばされて、資料室の掃除と先生の机の整理とプリントの印刷と。あれだけ手伝って助からない方が不思議です」

ユリカちゃんが小さく息をつく。弟が待ってるって言ったじゃないですか、と軽く恨みのこもった声に先生はさすがに笑いを引っ込めて唇を尖らせる。

「ま、努力がなかったことにはならないんだからいいだろ」

先生が言うと、ユリカちゃんは束の間手を止める。俊輔の目の前で何度か瞬き、そうですね、と言いながらまた手を動かし始めた。

「でも、忘れてしまえばなかったことになるんでしょう」

浮かない声に、先生が教卓に頬杖をついた。先生の目にも、ユリカちゃんが何か悩みを抱えているように映ったらしかった。外は陽が沈んで真っ暗になっている。窓ガラスに映ったユリカちゃんの横顔は白かった。

「手伝ってくれたお礼にクサい説教を垂れちゃうとだな、人間っていうのは忘れるもんだろ。けどそこで何をしたか、とか、あるいは何もしなかったかっていうのは、ちゃんと環境になって残るものなんだよ。人一人が存在してるっていうのは、それだけの影響がある。世界中の人が忘れたとしても無くならないものってのはあると思うぜ、俺は」

なかったことにはできるだろうけどな、とにやにや笑う。ユリカちゃんは淡々と帰り支度をしながら、そうですか、と笑った。その目に映っている色は俊輔には窺い知れない。むしろ何も考えていないようにさえ見えた。身支度を整えて鞄を肩にかける。ぽんと頭を叩かれて、気づいたらユリカちゃんは教室の外に出ていた。先生が欠伸をして、

「坂崎が手伝ってくれないから俺一人で頑張っちゃったよ」

とユリカちゃんの後ろ姿を眺めていた。外は暗い。ユリカちゃんはさっきまで自分の席で勉強をしていた。弟と二人暮らしだと風のうわさで聞いていたけど、大丈夫だったのだろうか。しかし自分の意志でこんなに遅くまで学校に残っているくらいだから、きっと大丈夫なのだろう。


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