ユリカと篠原さん
今日は風もなくて陽射しの温かい日だ。夕飯のお使いに行った帰り、いつものメンバーで井戸端会議に花を咲かせていた。近所に住むユリカちゃんが通りかかったのはそんな時だった。
「あらぁ、ユリカちゃんじゃないの」
彼女が愛想よく声をかけると、対するユリカちゃんはちょっと瞬きをして、それから人見知りでもするような上目づかいで軽く会釈した。
「……あ、篠原さん。こんにちは」
ユリカちゃんが晴れた昼間に外に出ているのは珍しい。人に会うのが苦手なのか、いつも夕方や雨の日を選んで外に出かけていくのを見かけていた。
「こんなお天気の日にめずらしいねぇ。お散歩?」
「はい、たまには弟と出かけようかと思って」
と頷いて、ちらりと篠原の後ろへ目線が行く。ユリカちゃんはなんとなく普通の女の子とは異質な空気をまとっている感じで、そのせいかご近所の間でも腫れもの扱いされている節がある。そのことをユリカちゃんも知っているらしかった。篠原は屈託なく笑ってユリカちゃんのセーターの袖を引き、井戸端会議の輪に近づけた。ユリカちゃんは表情こそ変えなかったが、革靴を履いた足が怖気づいたように踏みとどまった。篠原もそれ以上引っ張るのをやめて、話の続きにユリカを引き込んだ。
「いやね、今奥さんたちといつものスーパーが最近あんまり値引きをしなくなってきたから、車を出して隣町のスーパーまで行こうかって話をしてたのよ。ユリカちゃんちは大丈夫?二人だとあんまり変わらないかしら」
ユリカちゃんは両親と暮らしていない。引っ込み思案な弟のイツキくんと二人暮らしだ。両親がなくなっているのか、それとも単に離れて暮らしているだけなのか、気にならないわけでもないがもし滅多なことだったら訊くに忍びない。それで篠原はユリカちゃんのことを気にかけながらも、あまりどんな暮らしをしているのかを知らなかった。
「……多分、そんなに変わりませんよ。電車を使うので、むしろそっちの方が高くなっちゃうかもしれないです」
「ああ、そうよねぇ」
篠原は窺うような井戸端メンバーに同意を求めた。奥さん方は困惑がはっきり表れた顔でしきりに「そうよね、電車賃がね」と話を合わせていた。分からないでもないが、篠原は内心で呆れてしまう。話をすればそう問題のある子ではないと分かるだろうに、先入観の方が強く出ているらしい。篠原は気を取り直してユリカの方に向いた。
「今度何かおすそ分けを持って行ってあげるから、もらってくれない?」
篠原が言うと、ユリカちゃんは戸惑ったのか瞬いて少し顎を引くようにした。
「いや、ありがとうございます。でも……この間も頂きましたし」
「何言ってんの。いつか持って行ってあげたいって思ったまま、一度も行ったことないじゃない」
篠原がカラカラと笑う。ユリカちゃんは愛想のようにほのかに口元に苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「そういえばそうでしたね、ごめんなさい。篠原さん、いつも気にかけてくれるから勘違いしました」
その苦笑にこもった優しい響きを聞きながら篠原はユリカの肩を叩いた。
「いいのよ。うちの娘と同い年だからかな、なんだか親しみがあるのよねぇ。今日だってユリカちゃんとは初めてまともに話すっていうのに、なんだか初めてな気がしなくって」
なんだか勝手にごめんなさいね、と笑うと、いえ、と目を伏せて笑い返してくれる。それを見た奥さん方も、つられるように笑った。ぎこちなくはあるが、奥さん方の間にもユリカちゃんのことが少しだけ伝わったようだ。なんとなく温かい気持ちを感じていると、ふいにユリカちゃんは目線を上げて篠原の目を見返した。
「……ちょっと失礼します」
疑問の声を上げる間もなくユリカちゃんの手が伸びてきて、流れるように奥さん方の頭に軽く触れていった。
篠原がはっと気づくと、ユリカちゃんが井戸端会議の横を通っていくときだった。弟のイツキくんも一緒だ。こんなお天気の日にめずらしい。散歩だろうか。
「ユリカちゃんだわ……買い物かしら。こんな時間からどうしたんですかね」
声を潜めた井戸端メンバーを見て軽く呆れながら、篠原は頬に手を当てた。
「最近スーパーで値引きしなくなってきたしねぇ。大丈夫かしら。おすそ分け持って行ってって言ったら、ユリカちゃん嫌がるかしらね」
「やめときなさいよ、篠原さん。あんまり手を出すもんじゃないわよ」
心配そうに顔を顰めて囁く前の家の奥さんに「そうかしらねぇ」と愛想笑いを返しながらカーディガンを羽織ったセーラー服の後ろ姿を見送る。いつか話しかけて、おすそ分けを持って行ってもいいか聞いてみようと思いながら、篠原は夫の愚痴で盛り上がり始めた井戸端会議の中に戻って行った。