ユリカとアイス
給水塔の上に並んで座る夜は明るい。ビルが互い違いに放つ赤い光を眺めて、イツキはアイスキャンディをくわえた口元をもごもご動かした。ときおり唇の隙間から漏れる息も、アイスをかじる今は曇らずに広がる。隣でユリカが欠伸をした。
「姉ちゃん、なんか楽しそうだね」
「そう?」
ユリカは鞄の上に脱ぎ捨てたカーディガンの袖を掴んだままぐるぐると振り回した。
「あー、今日遠野と話したからかな」
ユリカはカーディガンを丸めて上に投げあげたり袖同士を縛って捩じったりとカーディガン遊びに余念がない。
「彼氏?」
「まさか」
ユリカはひねくれたカーディガンを鞄の上に放ってイツキが下げていたコンビニの袋を奪い取った。中にはさっき買ったアイスキャンディが入っている。
「溶けたんじゃない?」
袋を覗き込むイツキを押しのけ、ユリカは包装をはがしてアイスキャンディをくわえる。
「へーき。寒いし夜だし」
言いながら袋を畳んで鞄のポケットに突っ込む。黒髪が風に揺れて、眼下のビル街に照らされる横顔は相変わらず白かった。ユリカは錆びかけて赤い屋上の柵を目で辿りながらアイスをかじった。
「……どうしたの。やけに今日はいろいろ考えるね」
イツキが言った。ユリカは首を傾げた。
「いや、みんな輪っかが好きだなぁと思って」
「輪?なに、それ」
イツキが妙な顔をする。ユリカは細く編んだミサンガを外して空にかざした。月のない夜空には星さえもまばらにしか見えない。眼下に目が眩んでいた。
「私にもあんたにも分かんないよ。少なくとも私がユリカやってる間は絶対無理」
イツキは腑に落ちない風でふうん、と形ばかりの相槌を打った。ユリカは腕にミサンガを戻した。制服のスカーフと同じ赤だった。ずっと腕に付けている代物であるが、これをくれた人はいったい誰だったか。給水塔に腰かけてぶらぶらしていた両足を振り上げて仰向けに寝転ぶ。空は青く沈んでいた。ところどころ、切れ切れの星の光が目に届く。
「忘れられた方がマシなのに、寂しいから思い出してほしい、か。あんたこの意味分かる?」
「姉ちゃんに分かんないことがオレに分かるわけないじゃん」
「だよね」
ユリカは息をついて一度目を閉じ、鞄をひっつかんで飛び起きると同時に給水塔から飛び降りた。着地した勢いそのままに屋上の上をぐるぐる走り回る。両手を広げて走り回ると風が髪をさらって背景の黒を吸い取った。
「またそんなことやってんの」
イツキはポケットに手を突っ込んだまま呆れたため息をついた。
「楽しんでるの。そう思いなよ、ひねくれ者」
ユリカの放り投げるような声に、イツキはひねくれ者、と呟いて顔を曇らせる。
「姉ちゃんがそれ言うの」
「黙ってよ」
ぷうと息を吐いて、ユリカは鞄を肩にかける。ポケットに手を突っ込んだまま給水塔から飛び降りた。
「明日土曜だったよね。どうするの」
食べ終わったアイスキャンディの棒をコンビニの袋に突っ込んでユリカの背中に声をかける。ユリカは眼下を見下ろした。眩しいビル街には金曜日の夜独特のざわめきが蹲っている。
「んー……寒いねぇ」
ひとりごちて丸めたカーディガンをバサッとはたいて袖を通す。校庭を振り返ったユリカの横顔には白い影が落ちている。ゆっくり瞬いた目に、ビル街の赤い点滅が映った。