ユリカと俊輔
斜め後ろの席のユリカちゃんは、ちょっと変わった子だった。長い黒髪で、目尻のくっきりした印象的な子だ。かわいいし、別に人当たりも悪くないのだが、なんとなくクラスの中で浮いた子だった。勉強は中の下、平均点が取れるかとれないか。運動は上の下、運動部の子たちにもついていける。素行は多分いいけど、時々上級生の男子に絡まれているのを見る。あの目つきのせいなんだろうな、と俊輔は思う。女子の中では背は高い方かもしれないが、男子と比べると幾分か低い。見上げているはずなのに、どこか上から眺めているような目つきだからどうしたって人目を惹きやすいのだった。
「遠野」
名字で呼ばれて驚く。名前なんて覚えていないように見えていた。休み時間の喧騒のなか、ユリカちゃんは軽く頬を掻いた。
「なに?」
俊輔は椅子の上でぐりっと体をねじって背もたれに肘をついた。ユリカちゃんはノートと教科書を開いたままじーっとそれを睨んでいた。
「さっきの演習問題なんだけどさ、なんかよく分かんなくて」
「どこ?」
さっきは古文をやっていた。ユリカちゃんは現代文が得意だったはずだが、古文は苦手なのか。問題文のかかれたプリントを覗き込むと、文法問題は大方合っているようだった。ユリカちゃんは、XYと文字の振られた和歌を指さした。単語に意味が振ってあって、これだけ見れば解けそうな気がする。
「意味は取れてるみたいだけど。間違ってる気がする?」
俊輔が聞くと、ユリカちゃんは「別に」と短く答えた。
「何が分かんないの?」
プリントをこっち側に引き寄せる。ユリカちゃんはシャーペンを頬に刺しながら首を傾げた。
「忘れて、って言っておきながら、なんで思い出してほしいなんて付け加えるの」
俊輔はきょとんとした。納得がいかないなら設問に関係がなくてもはっきりさせておきたいというのは俊輔にも分かる感覚だ。しかし。
「それって現代文の問題じゃない?坂崎さん、現代文は得意じゃなかった?」
坂崎はユリカちゃんの名字だ。俊輔が首を傾げると、ユリカちゃんはどこか男っぽい仕草で頭をかき混ぜた。
「よく知ってるじゃん。そうだけど……小説問題は苦手」
小さく息をついて広げたままのノートの上に顎を乗せる。尖らせた唇に、面倒臭い気持ちがはっきり表れていた。難しい、理解が面倒だと、そんな風だ。
「うーん……俺にも分かんないけど……、多分、本音は忘れてほしくないけど、忘れられた方がいっそマシ、でもやっぱりさみしいから思い出してほしい、って感じじゃないのかな……。和歌って基本的にはラブレターだから相手の気を引きたいのかも。推測だけどね」
俊輔が眼鏡を外すと、ユリカは意外そうな顔で俊輔を見上げた。顎を付いたままな上に驚いているから、いつもと違ってちゃんと見上げているように見える。
「眼鏡外したらかっこいいんじゃん。ただの根暗だと思ってた」
「はぁ……」
他人から見るとそんなに根暗なのだろうかと俊輔は前髪をつまむ。切るのが面倒で放っておくから、この前髪が原因かもしれない。ちょっと顔を顰めている間にユリカちゃんはシャーペンを走らせる。さっき言ったことをメモしているらしい。律儀だ。
「坂崎さんってさ、授業中ずっと寝てるわりには成績良くない?家で頑張ってるの?」
俊輔が訊くと、ユリカちゃんはちょっと肩を竦めた。
「学年トップの遠野に言われてもね」
「それは前回のテストの話だろ……」
俊輔自体はあんまり学年トップと囃されるのが好きではない。というより、あまり目立ちたくない。もちろん頑張っていい点数が取れたこともそれを褒めてもらえるのも嬉しいのだが、なんとなく学年トップという言葉に揶揄や皮肉が混じっていそうで不安になる。顔を曇らせていると、ユリカちゃんがちょっと笑った。
「遠野って思ってたより面白いね。ただの根暗だと思ってた」
「ねえ、それさっきも聞いた」
眼鏡をかけ直して顔を顰めるとユリカちゃんは笑いを噛み殺すようにした。
「ごめん、これでも褒めてる」
くすくすと笑いだしたユリカちゃんを見ながら、またもとのように正面向きに座り直した。俊輔は憮然として呟く。
「坂崎さんだって、とっつきにくそうに見えて普通に話せるのに」
休み時間の喧騒は相変わらずだったが、ユリカちゃんにはちゃんと聞こえてしまったらしい。ふと笑うのをやめて、ちょっと苦笑しながらため息を吐くふうの声が聞こえた。
やれやれ、と声がして頭を叩かれた。瞬いて振り返るとユリカちゃんはいつものように教材を片付けながら、さっき古文の時間に使ったプリントを睨んでいる。分からないところでもある風だ。ユリカちゃんは現代文が得意だったはずだが、古文は苦手なのか。クラスの中でもちょっと浮いた子で、ちょっととっつきにくい印象がある。ちょっと話しかけづらい雰囲気があって、俊輔はまだ一度もユリカちゃんと話したことがなかった。